■■■■■
帯とけの「伊勢物語」
紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読んでいる。
伊勢物語(九)
身をえうなきものに思ひなして
むかしおとこありけり(昔男がいた…武樫おとこがあった)。その男、わが身を要の無いものと思って、京(都…絶頂)には居られない、東の方に、すむべき(住むべき…心澄むべき)国を、求めにということで行った。もとより友とする人一人二人して(もとより伴っている人ひとりとおとこはふたりして)行ったのだった。みちしれる人もなく(道を知っている人もなく…人の道知る人もなく)て、迷い・惑い、ながら行ったのだった。三河の国やつはしという所に至った。そこを「やつはし」と言ったのは、水の流れる、かは(川…おんな)が、蜘蛛の手のようであったので、はしを(橋を…端お)、八つ渡してあったので、それで八橋とは言ったのだった。その沢のほとりの木の陰に、馬を下り、座って乾飯を食った。その沢に「かきつばた」がとっても風情あるさまに咲いていた。それを見て、ある人が思いついて、「か・き・つ・は・た」という五文字を句の上に据えて、旅の心を詠めと言ったので、詠んだ、
から衣きつゝなれにしつましあれば はるばるきぬるたびをしぞ思ふ
(唐衣着つつ慣れ親しんだ妻が都に、八人ほど・居れば、はるばる来てしまった旅を惜しいと思う……空の心身、来つつ、よれよれになってしまった身の端があるので、はるばる来た旅、をしぞ・お肢ぞ、いとおしいぞと思う)と詠んだので、皆人は、ほしいひ(干し飯…欲し井泌)の上に涙を落として、ほとびにけり(ふやけたのだった…潤んだのだった)。
「言の心」を心得え「言の戯れ」を知る
「京…山ばの頂上…極まり至ったところ…宮こ」「すむ…住む…心澄む…身が済む」「くに…国…生まれた地…女」「とも…友…伴」「みち…行く道筋…人の道」「まどひ…迷い…惑い…まとひ…まといつき」「河…川…水…女」「八…多い」「はし…橋…端…身の端…おとこ」。「から衣…唐衣…都の女の上着…京の女…空心」「衣…心身を被うもの…心身の換喩…心身」「きつつ…着つつ…来つつ」「なれ…慣れ…馴れ…熟れ…よれよれ」「つま…妻…端…身の端」「をし…惜しい…愛しい…男肢…おとこ」「かきつはた…杜若…花の名…草花の言の心は女…名は戯れる。斯く来つはた、かくして来たがいやはや・どうなるのだろう」。「かれいひ…乾飯…涸れ井泌」「井…おんな…ほと…陰」「ほとびにけり…ふやけたのだった…潤んだことよ」。
ゆきゆきて駿河の国にいたりぬ
行きつづけて駿河の国に至った。宇津の山に至って、我が入ろうとする道は、とっても暗く細いうえに、蔦、楓は茂り、もの心細く、思いがけないめに遭うことと思っていると、修行者に出逢った。「このような道にどうしておられるのですか」と言うのを見れば、見知った人であった。京にいる、あの人の御もとにと文を書いてことづける。
するがなるうつの山べのうつゝにも ゆめにも人にあはぬなりけり
(駿河なる宇津の山辺の現にも夢にも人に出逢わない・寂しい所だことよ……するがなる、憂つの山辺の現にも、夢にも、もう・女には合わないことよ)
富士の山を見れば、五月のつごもりというのに、雪がたいそう白く降り積っている。
時しらぬ山はふじのねいつとてか かのこまだらにゆきのふるらん
(時知らぬ山は富士の峰、いつと思ってか鹿の子斑に雪が降るのだろう……時知らぬ山ばは、不尽の根、いつと思ってか、彼の子、未だ未だと、白ゆきふるのだろう・うらやましい)
その山(山ば)は、ここにたとへば(京でたとえれば)、比叡の山を二十ばかり重ね上げたほどとで、姿は塩尻のようだったのだ。
「言の心」を心得え「言の戯れ」を知る
「河…川…言の心は女」「うつの山…山の名…名は戯れる。宇津の山、現の山ば、憂津の山ば」「津…女」「みち…道…路…女」「めを見る…出くわす…経験する…女を見る」「め…女」「見…覯…まぐあい」。「するが…駿河…所の名、名は戯れる。擦るが、為すが」「河…女」「あはぬ…出会わない…合わない…和合しない」「その人…都で見たひと…(このような破目になる原因となった)あの女人」。「ふじの山…不死の山または武士の山、竹取物語に時の帝の命により武士たちがかぐや姫の置き土産の不死の薬をその山の頂で燃やしたとある。それで、ふしの山と名がついたとか。不尽の山ば、不二の山ば、二つとない最高の山ば」「山…山ば」「ね…峰…根…おとこ」「ゆき…雪…白ゆき…おとこの情念」。
すみだ河のほとりにむれゐて
なお行き行きて、武蔵の国と下総の国の間に、たいそう大きな河があり、それを、すみだ河(隅田川…す身多かは…澄んだ女)という。その川のほとりに集まって、思いやり、限りなく遠くへ来たものだとわびしがっていると、渡し守が「はやく船に乗れ、日も暮れてしまうぞ」と言うので、乗って渡ろうとすると、皆人はものわびしくて、京に思う人、なきにしもあらず(無きにしも非ず…皆居たのである)。そのような折りしも、白い鳥で、くちばしと脚の赤い鴫の大きさのが、水の上を遊びながら、魚(いを…いお)を食う。京では見かけない鳥なので皆人は知らない。渡し守に問うと、「これなん宮こ鳥(これはだな都鳥…これはだな宮この女)」と言うのを聞いて、
名にしおはばいざ事とはむ宮こ鳥 我が思ふ人はありやなしやと
(名に付いているなら、さあ事を尋ねたい都鳥よ、我が思う人は京で健在かどうかと……汝に感極まったので、さあこと問いたい宮このとりよ、わが思うひとは京で健在かどうかと)と詠んだので、舟こぞりて(船人こぞって…夫根子反りて)泣いたのだった。
「言の心」を心得え「言の戯れ」を知る
「なほ…猶…汝お…おとこ…直」「ゆき…行き…雪…逝き」「すみた河…隅田川…川の名、名は戯れる。澄み田かは、心澄んだ女」「河…川・水…女…かは…疑問・反語の意を表す」「た…田…女…多」「とり…鳥…言の心は女、神話の時代から、飛ぶ鳥、庭つ鳥、鳴く鳥など鳥の全ては、なぜか女。その原因や理由は知らない。言葉とはそのようなもの」「いを…魚」「い…井…女」「を…男…おとこ」「くふ…食う…(井がおを)喰う」「宮こどり…都鳥…宮ことり…絶頂の女」「みやこ…京…山の頂上」「な…名…汝」「おふ…負う…追う…ものが極まる…感極まる」「舟…夫根…おとこ」「こぞりて…皆な揃って(ここでは舟に乗っている人みな貰い泣きしたか)…こそりて…おとこ反りて」「なきにけり…泣いたのだった…涙を流した…汝身唾を流した」。
清げな姿(東の国の名、山の名、川の名、鳥の名とその様子など)にこと寄せて、言の戯れを利して、あの人との、愛憎、惜別、哀傷、愛着などの心の内を、エロチシズムのある語り口で語っている。語るべき動機と、このように語れる才能のある人は、この歌を詠んだ業平本人以外に居ない。