帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百八十五〕見ならひする物

2012-01-23 00:04:07 | 古典

  



                     帯とけの枕草子〔二百八十五〕見ならひする物



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



清少納言枕草子〔二百八十五〕見ならひする物

 清げな読み
 見ならいするもの、あくび。乳児たち。
 (見て同じことをしてしまうもの、あくび。幼児たち)。

 原文
 見ならひする物、あくび。ちごども。

 心におかしきところ

 見慣れするもの、飽く火。乳御ども。
 (まぐあい慣れてしまうもの、飽き足りた思い火。乳房ども)。


 言の戯れと言の心

 「見…目で見る…目ぐ合う…まぐあう…覯…媾」「ならひ…習ひ…真似…まなび…慣らひ…慣れ…慣れっこ」「あくび…欠伸…あくひ…飽きる日…飽く火…飽き足りた思い火」「ちご…乳児…幼児…乳御…乳房…みれば慣れられる」「御…敬意を示す」「ども…親しみを示す…二つあるので複数を示す」。


 言は戯れる。一義だけの言葉はない。

 なぞなぞ遊びでも、問いも、答えも一つではないと知っておくべき。上はその一例。
 宮の内で、大勢の大人たちが左方と右方に別れ行われた「なぞなぞ合わせ」がある。第〔百三十六〕章に示した、なぞなぞ「天に張り弓」。この左方の問いを「天にある張弓」と解して、答えを簡単に月か三日月と言っては、答えになっていないと相手に抗議されて、負けになるでしょう。問は「あまにとって、張弓とは何ぞや(女にとって弓張のおとことは何ぞや)」ということ。
 「天」「に」「張弓」はそれぞれ多様な意味を孕んでいる。答はわかっても、大勢の人前で簡単に言えることではないので、答える右方の女は困惑して、笑いながら「やや、さらにえしらず(いやや、ようしらんわ・改めて言うことでも知り得ることでもない)」「知らぬ事よ」と言ってしまったので、負けになった。左方は、意地悪な「問い」をわざと仕掛けたのだった。

 何と答えれば、判者は勝ちとするでしょうか、答「久堅のささらえをとこ」ではどうでしょう。万葉集によると、「月」は月人壮士、枕詞「ひさかた」の表記は久堅。「ささらえをとこ」は月の別名とある。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。