帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第七 賀歌 (347)かくしつゝとにもかくにも (348)ちはやぶる神や

2017-12-03 19:16:05 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。

 

古今和歌集  巻第七 賀歌347

 

仁和御時、僧正遍昭に、七十賀たまひける時の御歌

かくしつゝとにもかくにもながらへて 君が八千世にあふよしもがな

(仁和の御時、僧正遍昭に、七十の賀たまひける時の御歌……仁和の帝の御時に、僧正遍昭のために、七十歳の賀を祝われた時の御歌)

(こうして祝いつづけ、何としてでも命永らえて、君の八千歳の賀に逢う手立てがあればなあ……かくしつつ・それでも、とにかく長らえて、わが貴身が、女たちの八千夜に合う手立てがあればなあ)。

 

「かくしつつ…斯くしつつ…このように十年毎に祝い続け…隠し筒…斯く肢筒」「筒…中空洞…中空のおとこ」「君が八千世…君(遍昭)の八千歳…貴身が女の八千夜」「あふ…逢う…合う…山ば合致する」「よし…手立て…方法」「もがな…願望を表す」。

 

こうして十歳毎に祝い続け、何としてでも命永らえて、君の八千歳の賀に逢う手立てがなあ・あれば欲しい――歌の清げな姿。

斯く肢筒でも続け、なんとか長らえて、わが貴身が、女たちの八千夜に合う手立てがあればなあ――心におかしきところ。

 


 露の間の男のさがを、今更ながら、お嘆きになられた御歌のようである。


 

 

古今和歌集  巻第七 賀歌348

 

仁和の帝の、親王におはしましける時に、御叔母の八十賀

に、白かねを杖に作れりけるを見て、かの御叔母に代りて

よみける                  僧正遍昭

ちはやぶる神や伐りけむ突くからに 千とせの坂も越へぬべらなり

(仁和の帝が親王であられた時に、御叔母の八十賀に、銀を杖に作られたのを見て、かの御叔母に代わって詠んだ・歌)遍昭

(ちはやぶる神が伐り出されたのでしょうか、この杖つけば、千歳の山坂も越へてしまいそうね……血気盛んな女が伐りだしたのでしょうか、白かねの杖つけば、千門背の山ばのさが超えてしまいそうよ)。

 

「ちはやぶる…枕詞…霊力強い…血気盛んな」「神…かみ…言の心は女」「ちとせ…千年…千歳…千門背…千のおんなと男「と…門…言の心は女」「坂…山坂…さか…さが…性…本来の性情」「べらなり…の様子だ…しそうだ」。

 

白かねの杖つけば、千歳のおんなの坂も、越えてしまいそうよ――歌の清げな姿。

白金の杖突けば、千のおんなと、背の貴身のさがも、山ば越えてしまうでしょうね――心におかしきところ。

 

女のさがの、男とは大きく違う様子を教示した歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)