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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。
貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。
古今和歌集 巻第七 賀歌 (349)
堀川大臣の四十賀、九条の家にてしける時によみける
在原業平朝臣
さくら花ちりかひ曇れ老いらくの 来むといふなる道まがふがに
(堀川の大臣の四十賀、九条の家にてした時に詠んだ……藤原基経大今射ちきみの四十賀、苦情の井へにてしける時に詠んだ)なりひら
(桜花、散りかい曇れ、老いの来るだろう道、紛れる程に・老いが来ないでしょう……おとこ花・早や射ち貴身、散りかい苦盛れ、感の極みの快楽の来ると言う道、紛れて見えなくなる程に)。
「さくら花…木の花…男花…おとこ花」「おい…老い…追い…ものの極み…感の極み」「らく…(おいるを)名詞化する詞…楽…快楽」「がに…程度を表す…となるように…理由や目的を表す」。
太政大臣の四十歳の賀の歌――歌の清げな姿。
或る男を大いなる早射ち貴身、快楽来ないと侮辱する歌――心におかしきところ。
太政大臣(おほいまうちきみ)基経に対する侮辱である。基経の妹の二条の后に対する(294)の歌「ちはやぶるかみよも」と同じく、この一族に対する業平の怨念さえ感じさせる。その経緯については「伊勢物語」を業平の日記として、「言の心」を心得て読めば書いてある。歌だけだと、感情が有り余って、「言葉足らず」で、こんな歌を詠む原因理由はわからない。
この歌は、「伊勢物語」(97)にあり、第96章の終わりは、或る女との仲を引き裂かれた男が、その女と関係者を怨んで、「天の逆手(どのようなしぐさかは知らない)を打ちてなむ呪いおるなる」「いまこそは見め(いまに見てろ…いまに見てやる)とぞいふなる」に、ひき続いて、詞書きと共に、この歌「さくら花ちりかひ」が置かれてあり、恨み歌・呪い歌として聞くべきである。「歌の清げな姿」しか見えないのは、うわの空読みである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)