帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第七 賀歌 (349)さくら花ちりかひ曇れ老いらくの

2017-12-04 19:08:21 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。

 

古今和歌集  巻第七 賀歌349

 

堀川大臣の四十賀、九条の家にてしける時によみける

在原業平朝臣

さくら花ちりかひ曇れ老いらくの 来むといふなる道まがふがに

(堀川の大臣の四十賀、九条の家にてした時に詠んだ……藤原基経大今射ちきみの四十賀、苦情の井へにてしける時に詠んだ)なりひら

(桜花、散りかい曇れ、老いの来るだろう道、紛れる程に・老いが来ないでしょう……おとこ花・早や射ち貴身、散りかい苦盛れ、感の極みの快楽の来ると言う道、紛れて見えなくなる程に)。

 

「さくら花…木の花…男花…おとこ花」「おい…老い…追い…ものの極み…感の極み」「らく…(おいるを)名詞化する詞…楽…快楽」「がに…程度を表す…となるように…理由や目的を表す」。

 

太政大臣の四十歳の賀の歌――歌の清げな姿。

或る男を大いなる早射ち貴身、快楽来ないと侮辱する歌――心におかしきところ。

 

太政大臣(おほいまうちきみ)基経に対する侮辱である。基経の妹の二条の后に対する(294)の歌「ちはやぶるかみよも」と同じく、この一族に対する業平の怨念さえ感じさせる。その経緯については「伊勢物語」を業平の日記として、「言の心」を心得て読めば書いてある。歌だけだと、感情が有り余って、「言葉足らず」で、こんな歌を詠む原因理由はわからない。

この歌は、「伊勢物語」(97)にあり、第96章の終わりは、或る女との仲を引き裂かれた男が、その女と関係者を怨んで、「天の逆手(どのようなしぐさかは知らない)を打ちてなむ呪いおるなる」「いまこそは見め(いまに見てろ…いまに見てやる)とぞいふなる」に、ひき続いて、詞書きと共に、この歌「さくら花ちりかひ」が置かれてあり、恨み歌・呪い歌として聞くべきである。「歌の清げな姿」しか見えないのは、うわの空読みである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)