帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百七十三)(三百七十四)

2015-09-01 00:11:52 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

むすめにまかりおくれて               なかつかさ

三百七十三 わすられてしばしまどろむほどもがな いつかは君をゆめならで見む

娘に先だたれとりのこされて            (中務・伊勢の御の娘)

(悲痛なこと・忘れられて、しばしうとうと眠る時が欲しい・夢で逢いたい、いつの日か、あなたを夢ではなく見るでしよう……見捨てられて、しばしまどろむ時があればなあ・夢でも見ていたい、何時かは、貴身を、夢のはかなさではなく、合えるでしょうか)

 

言の戯れと言の心

「わすられて…忘れることができて…忘れられて…見捨てられて」「しばし…少しの間…しばらくの間」「まどろむ…うとうとと眠る…心安らかに眠る」「ほど…程…時間…ころ合い…ありさま」「もがな…願望の意を表す…であればなあ」「君を…娘を…あなたを…君を…貴身を」「ゆめ…夢…はかないもの…現実ではないこと」「見む…見るでしょう…見るつもりである」「見…対面…覯…媾…まぐあい」

 

歌の清げな姿は、夢でも逢いたい、弔辞。

心におかしきところは、、夢ではなく合っていたい、煩悩のうめきごえ。

 

おそらく近代人の文脈では、その言語観や倫理観が、歌の「心におかしき」部分を、ありえないと頭から否定するだろう。その文脈は平安時代の言語圏外へと移ろってしまったのである。

俊成は言う、歌は「哀れにも艶にも聞こえる」ものであると。万葉集には挽歌が多いが、巻第二「挽歌」の「柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌」を聞きましょう。(都での妻は数人いたと思われるがその一人の)妻死して後、血の涙を流し哀しみ嘆きて、作った歌である。

秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母(一云路不知而)

(秋山の、もみぢが茂り、迷いぬる、愛しい・妻を求めてゆこう、逝きし・山道知らずとも……飽き満ちた山ばの、もみぢ端繁り、迷いながれぬる、愛しい妻を、乞い求めてゆかむ、越えて逝きし女の・山ばの路知らずして)

 

 

むまごにおくれ侍りて               (なかつかさ)

三百七十四 うきながらきえせぬものはみなりけり うらやましきは水のあはかな

孫に先だたれ、遅れとり遺されて          (中務・伊勢の御の娘)

(憂きながら消えてしまわぬものは、我が・身でああることよ、羨ましきは、水の泡かな……浮きながら消えてしまわぬものは、我が・身の見であることよ、羨ましいのは、水の・みづの、泡かな)

 

言の戯れと言の心

「うき…憂き…浮き」「み…身…見」「見…覯…媾…まぐあい」「水…言の心は女…みづ…見ず…見ない」「あは…泡沫…泡…消えやすいもの」「かな…感嘆・詠嘆を表す」

 

歌の清げな姿は、孫にまで先だたれた哀しみ。

心におかしきところは、雀百まで雄鳥忘れぬなげき(すす女、百まで、お取り入れ忘れぬなげき)。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

平安時代の言語観と歌論について述べる(以下、再掲)


 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解し無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不可能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。