帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第六 冬歌 (334)梅の花それとは (335)花の色は雪に

2017-11-16 19:07:46 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 平安時代の
紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様を知り」とは、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知ることである。先ずそれを知らなければ、歌の解釈など始まらない。

 

古今和歌集  巻第六 冬歌334

(題しらず)            (よみ人しらず)

梅の花それとは見えず久方の 天霧る雪のなべてふれゝば

           この歌、ある人の曰く、柿本人麿が歌也。

(梅の花、それとは見えず、久方の天空、濃霧のように雪が全面に降ったので……男木の花・我れ、それとは見ることできず、久堅の吾女きる、おとこ白ゆきが、全て降ってしまったので・身も心も萎え)。

           この歌、或る人が言うには、柿本人麿の歌である。

 

「梅の花…木の花…男花…はる待つおとこ花」「それ…冬の男花…罪人・流人…おとこ花」「久方の…枕詞…久堅の(万葉集の表記にある)…盤石の」「天霧る…四面五里霧の中…あまきる…女きる…吾女被る…吾女限る」「それとは見えず…それとは世の人々には見えない…それとして見ることは出来ない」「見…覯…まぐあい」「雪…おとこ白ゆき」「なべて…全て」「ふれれば…降ってしまったので」「れ…り…完了した意を表す」。

 

白梅の花咲いても、それとは見えず、天空濃霧のように白雪が全面に降った情景――歌の清げな姿。

おとこ花、それとは見得ない、盤石の吾女きる、おとこ白ゆきがすべて降ってしまったので・――心におかしきところ。

 

流人とされた時、目の前も頭脳も真っ白の、男の心情を詠んだ歌のようである。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌335

梅の花に雪の降れるをよめる      小野篁朝臣

花の色は雪にまじりて見えずとも 香をだにゝほへ人のしるべく

(梅の花に雪が降ったのを詠んだと思われる・歌……男木の花に白ゆき降ったのを詠んだらしい・歌) おののたかむらあそん(流人となった人・人麿を詠んだのか、自身の事を詠んだのかなわからない)。

(花の色彩は、白雪にまじりて見えずとも 香だけでも匂え、人々が知ることができるように……おとこ花の気色は、白ゆきにまじり、見得ずとも、香りだけでも匂え、女が、知り・汁ることができるだろう)。

 

「花…木の花…梅の花…男花…おとこ花」「雪…おとこ白ゆき」「見えず…目に見えない…見ることができない」「見…覯…まぐあい」「人…人々…女」「しる…知る…汁…にじむ…うるむ」「べく…べし…することができるだろう…するはずだ」。

 

花の色彩は、白雪にまじりて見えずとも 香だけでも匂え、人々が知ることができるように――歌の清げな姿。

おとこ花の気色は、白ゆきにまじり、見られなくとも、香りだけでも匂え、妻女が知り、汁るだろうよ――心におかしきところ。

 

流罪は誰にも知らされず、闇から闇へ粛々と行われ、その人が、都から忽然と居なくなるものらしい。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)