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帯とけの金玉集
紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。
公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。
金玉集 冬(三十五) 紀 貫之
思ひかねいもがりゆけば冬の夜の 川風さむみ千鳥なくなり
(思いに耐えられず、愛しいひとの許へ行けば、冬の夜の川風寒くて、千鳥が鳴いている……思火に耐えられず、愛しいひと、かり逝けば、冬の夜のひとの心風寒くて、頻りに泣いているようだ)。
言の戯れと言の心
「思ひ…心に思うこと…思い火…情愛」「かね…かぬ…出来そうもない…しにくい」「いもがり…妹の許…彼女の許…女かり」「かり…狩り…あさり…刈り…ひきぬき…めとり」「ゆけば…行けば…逝けば」「かはかぜ…川風…女の心に吹く風」「川…女」「さむみ…寒いため…冷やかなため…さむ見」「み…原因理由を表す…見…覯…まぐあい」「千鳥…しば鳴く鳥…頻りに泣く女」「鳥…女」「なく…鳴く…泣く」。
歌の清げな姿は、女を訪ねる途中の寒々とした夜の景色。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、思火に耐えられずいってしまったので、泣く女の冷やかな気色。
拾遺和歌集 冬に、題しらず、貫之としてある。
なぜ泣いているのかと問えば、「夜が寒くて目覚めて聞けば(千鳥ではなく泣いているのは)をし鳥のひと、羨ましくも、みは成りに成ったのねえ」と女は答えたとか。歌に還元すると、
夜をさむみ寝覚めて聞けばをしどりの 羨ましくもみなるなるかな
「をしどり…夫婦仲睦ましい鳥」「みなる…水慣る…(冷たい)水に慣れている…み成る…見が成就する…身が成就する」「なるなる…複数成ったことを表す」「かな…感嘆・詠嘆の意を表す」。
この歌は、同じ拾遺集 冬に、よみ人しらずとしてある。女歌として聞く。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。