帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」巻第二 春歌下(83)桜花とく散りぬともおもほえず

2016-11-26 19:48:22 | 古典

          

 

                  帯とけの「古今和歌集」

          ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。                                                                                                                                                                                                                                   

 

「古今和歌集」巻第二 春歌下83

 

桜のごと、とくちる物はなしと人の言ひければ

よめる                (貫之)

桜花とくちりぬともおもほえず 人の心ぞ風もふきあへぬ

桜の如く早々に散る物は他にないと、人が言ったので詠んだと思われる・歌……おとこ花のように、早く散るものはないわと女が言ったので詠んだらしい・歌。 (つらゆき)

桜花が、早々に散ってしまうとは思えない、人の心こそ、心に吹く風に堪えられず・すぐ変わる・ものなのになあ……おとこ花は、早く散るとは思えない・山ばの激しい心風に堪えられないのだ、女の心こそ、山ばの嵐に合わない・ものなのだなあ)

 


 歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「桜花…男花…おとこ花」「とく…疾く…早過ぎ…さっそく」「ちりぬ…散ってしまう…果ててしまう…尽きてしまう」「ぬ…完了した意を表す」「人…人々…男…女」「風…心に吹く風…山ばで吹く激しい心風(これを、荒らし・嵐という)」「ふきあへぬ…吹き堪えぬ…吹くのに堪える事が出来ない…吹き合えぬ…吹くのに合わすことが出来ない」「あへぬ…堪えぬ…もちこたえない…合えぬ…合致しない…間に合わない…和合できない」「ぬ…『ず』の連体形…打消しを表す…体言が省略されてある、余情があり詠嘆表現でもある」。

 

桜花が早々に散ってしまうとは思えない、人の心こそ、心に吹く風に堪えられず・すぐ心変わりするものよ――歌の清げな姿。

おとこ花が早く散るとは思えない、山ばの心風の嵐に堪えられないのだ、女の心こそ、山ばの嵐に合わないものだなあ。――心におかしきところ。

 

この歌は、女が「さくら花のごとく疾く散るのね」と言ったので詠んだ歌である。


  感情曲線の山ばの合致し難いのは、言うまでもなく、女性の性の格に、はかない男性の性情など遠く及ばないためである。求める、高み、深み、それに持続力など女性が格段に上回るためである。男性は詠嘆するしかない。


 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)