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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。
「古今和歌集」巻第二 春歌下(83)
桜のごと、とくちる物はなしと人の言ひければ
よめる (貫之)
桜花とくちりぬともおもほえず 人の心ぞ風もふきあへぬ
桜の如く早々に散る物は他にないと、人が言ったので詠んだと思われる・歌……おとこ花のように、早く散るものはないわと女が言ったので詠んだらしい・歌。 (つらゆき)
(桜花が、早々に散ってしまうとは思えない、人の心こそ、心に吹く風に堪えられず・すぐ変わる・ものなのになあ……おとこ花は、早く散るとは思えない・山ばの激しい心風に堪えられないのだ、女の心こそ、山ばの嵐に合わない・ものなのだなあ)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「桜花…男花…おとこ花」「とく…疾く…早過ぎ…さっそく」「ちりぬ…散ってしまう…果ててしまう…尽きてしまう」「ぬ…完了した意を表す」「人…人々…男…女」「風…心に吹く風…山ばで吹く激しい心風(これを、荒らし・嵐という)」「ふきあへぬ…吹き堪えぬ…吹くのに堪える事が出来ない…吹き合えぬ…吹くのに合わすことが出来ない」「あへぬ…堪えぬ…もちこたえない…合えぬ…合致しない…間に合わない…和合できない」「ぬ…『ず』の連体形…打消しを表す…体言が省略されてある、余情があり詠嘆表現でもある」。
桜花が早々に散ってしまうとは思えない、人の心こそ、心に吹く風に堪えられず・すぐ心変わりするものよ――歌の清げな姿。
おとこ花が早く散るとは思えない、山ばの心風の嵐に堪えられないのだ、女の心こそ、山ばの嵐に合わないものだなあ。――心におかしきところ。
この歌は、女が「さくら花のごとく疾く散るのね」と言ったので詠んだ歌である。
感情曲線の山ばの合致し難いのは、言うまでもなく、女性の性の格に、はかない男性の性情など遠く及ばないためである。求める、高み、深み、それに持続力など女性が格段に上回るためである。男性は詠嘆するしかない。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)