帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (371)おしむから恋ひしき物を白雲の

2017-12-25 20:15:40 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。さらに、藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

人のむまのはなむけにてよめる         紀貫之

おしむから恋ひしき物を白雲の たちなむのちはなに心ちせむ

(或る人の、餞別の宴にて、詠んだと思われる・歌……他人の餞別の宴で詠んだらしい・歌)(きのつらゆき)

(別れを惜しむから、恋しいのに、白雲のように立ち去る後は、皆さん・どんな心地がするでしょうか……愛しく惜しむから、恋しい貴身の物を、白々しい情愛で・白雲のように、立ち去る後は、残された妻女は・どんな心地するだろうか)。

 

「おしむ…惜しむ…愛しむ」「から…ゆえ…によって…原因理由を表す…(すると)すぐに…(する)につれて」「物を…けれども…のに…物を…おとこ」「白…白い…白々しい」「雲…空の雲…心雲…煩わしくも心に湧き立つもの…情欲など」「の…が…主語を表す…のように…のような…比喩を表す」「たち…出立…発ち…断ち…絶ち」「なに心ちせむ…どんな心地するだろうか…(女は)どれほど惜しむことだろうか」。

 

君との別れを惜しむから、恋しがるのに、白雲のように、立ち去る後は、皆さんは・なに心地するでしようか――歌の清げな姿。

貴身との別れを惜しむので、恋しい物を、白々しい心雲がたった後は、君の妻女は・なに心地するだろうか――心におかしきところ。

 

 

『土佐日記』には、任期終えて京へ返る前国守(貫之)に、餞別の宴をしようと、人が次々とやって来る様子が記されてある。講師(国分寺住職)の宴では、「ありとある上下、童まで酔ひしれて(身分の上下や年齢関係なくみな酔っぱらって)」とある。また、新任の守の館に呼ばれて、饗宴し騒いで、「やまと歌、主人も客人も他人も言ひあへりけり、やまと歌、主人(新任の国守)のよめりける」歌、

みやこいでゝきみにあはむとこしものを こしかひもなくわかれぬるかな

都を出て、君に逢おうと来たものを、来た甲斐もなく別れてしまうのですねえ……京を出て、貴身に合わそうと、山ば越したものの、貴身は・妻女の身も心も知らず、かいもなく別れてしまうのだねえ)。

 

「みやこ…都…京…宮こ…絶頂」「きみ…君…貴身」「あはむ…逢おう…合おう…山ば合致しょう」「こし…来し…越し…山ば越した」「かひ…効…甲斐…檜…ふねの推進具」「ぬる…完了を表す…自然にそうなってしまうことを表す」「かな…詠嘆の意を表す」。

 

となむありければ、帰る前の守(貫之)のよめりける歌、

しろたへのなみぢをとほくゆきかひて われにゝべきはたれならなくに

(白妙の波路を、遠く行き交わして、われに似ているに違いないのは、誰なんだろうね……白絶えの汝見じを、よそよそしく行き交わして、つれて山ば越した妻女の甲斐もなく、離れてしまう我に、似ているに違いないのは、誰なんでしょうね・薄情なのは貴身もだらう)。

 

「しろたへ…白妙…白絶え」「なみぢ…波路…汝見じ…見無い」「見…覯…媾…まぐあい」「ゆきかひて…行き交わして…逝き交わして」「われに似べきは…我に似ているに違いないのは…我と同じ薄情なさがなのは」「だれならなくに…誰なんだろうね(貴身もだろうが)」。

 

両人とも、「酔い痴れて、心地いい言、いい合って」、「下りて(庭などに降りて…言は下劣となって)」などとある。

貫之の創作か、実際の記録かわからないけれど、当時の「むまのはなむけ」の様子が記されてある。普通の男たちが、酔って詠み交わす歌などこの程度の内容である。

 

(古今和歌集並びに土佐日記の原文は、新 日本古典文学大系本による)