帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第六 冬歌 (327)みよしのゝ山の (328)しらゆきのふりて

2017-11-11 19:33:19 | 古典

            

 

                         帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

公任は、歌の様(歌の表現様式)を捉えて「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりと言ふべし(新撰髄脳)」と優れた歌の定義を述べた。歌には多重の意味があり、「心におかしきところ」には、エロス(生の本能・性愛)が表現されてあったのである。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌327

 

(寛平の御時、后宮の歌合の歌)       壬生忠岑

みよしのゝ山の白雪ふみわけて 入りにし人のをとづれもせず

                           みぶのただみね

(吉野の山の白雪踏み分けて、入山した人が、訪れも音沙汰もせず……み好しのの山ばの、おとこ白ゆき、婦身分けて、入門した男が、おと、摩れもせず)

 

「山…山ば」「白雪…おとこ白ゆき」「ふみわけ…踏み分け…婦身分け」「をとづれ…訪れ…音沙汰…おと摺れ」「を…おとこ」「と…門…おんな」。

 

吉野の山に、白雪踏み分けて入山した人、訪れも音信もせず・吉野山の雪深い風情――歌の清げな姿。

あの山ばで、しらゆき降らし、ふたたび婦身に分け入りし男、をと・おとこと門、擦れ合う気はひもせず・はかないおとこのさが――心におかしきところ。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌328

(壬生忠岑)

しらゆきのふりてつもれる山ざとは すむ人さへや思きゆらむ

(みぶのただみね)

(白雪降りつもっている山里は、住んで居る人さえ、思火、消えるのだろうか……おとこ白ゆきが降って、積もっている山ばのさ門は、棲む男小枝や、思いの火、消えるのだろう)。

 

「しらゆき…白雪…白ゆき…おとこ白ゆき」「山…山ば」「さと…里…言の心は女…さ門…おんな」「すむ…住む…棲む」「さへ…さらに加えて…さえ…小枝…おとこの自嘲的表現」「や…疑問・感嘆・詠嘆の意を表す」「思…思ひ…思火…燃える思い」。

 

白雪降りつもった山里に住む人の心情を思いやった――歌の清げな姿。

327)の歌とほぼ同じ情態を、別の視点から表現した・はかないおとこのさが――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)