帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (198)秋萩も色づきぬればきりぎりす

2017-04-11 19:09:16 | 古典

            

 

                     帯とけの古今和歌集

              ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 198

 

題しらず             よみ人しらず

秋萩も色づきぬればきりぎりす 我が寝ぬごとや夜はかなしき
                           
(詠み人知らず・女の詠んだ歌として聞く。これより三首の女歌が並ぶ)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

(秋萩も色付いてしまえば、コオロギよ、わたしが眠れぬように、秋の・夜は哀しいのか……厭き端木も、色尽きてしまえば、胸キリキリす・ものキリキリしめつけす、わたしが、眠れないように、夜は、すも・もの愛しいのね)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「秋…飽き…厭き」「はぎ…萩…草であるが、端木などと戯れて、おとこ…木の言の心は男…男の身の端」「いろづく…色づく…紅葉する…色つく…色尽く…色情果てる」「ぬ…してしまう…完了の意を表す」「きりぎりす…コオロギ…鳴き声はキリキリと聞けば聞こえる…鳴く虫の言の心は女…胸しめつけられるさま」「す…する…棲・巣・洲などの言の心は女・おんな」「ごとや…如くや…同じようにか」「や…疑いを表す」「夜…秋の長夜…よ…余…余りの()」「かなしき…哀しい(ことよ)…愛しい(のよねえ)…体言を省略した体言止め、余情がある」。

 

秋萩も色づいてしまえば、キリキリと鳴く、わたしが眠れないように、コオロギも・秋の夜は哀しいのか。――歌の清げな姿。

飽きた男の身の端も、色情尽きてしまえば、締めつけキリキリ、す、おんなよ、わたしが眠れないように、余りの夜は、すも、ものが愛しいのね。――心におかしきところ。

 

女の心に思うことを言い出した。厭きの端木、はかないおとこに遭遇したおんなのありさまが、歌の「心におかしきところ」に顕れている。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)