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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。
歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。
古今和歌集 巻第四 秋歌上 (224)
(題しらず) (よみ人しらず)
萩が花散るらむ小野の露霜に ぬれてをゆかんさ夜はふくとも
(詠み人知らず・女の歌として聞く)
(萩の花、散っているでしょう小野の、露霜に濡れても、君との旅を・行くわ、小夜は更けても。……端木のおとこ花散るのでしょう、山ばのない小野のつゆ下に、濡れてもよ、貴身の後追い・逝くわ、さ夜は更けても)。
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「萩が花…端木の花…おとこ花」「小野…すばらしい野…すばらしい山ばの裾野」「小…接頭語…美称」「野…山ばでは無くなった処」「つゆ…露…液…汁」「しも…霜…下」「ぬれてを…濡れてぞ…濡れてもよ」「を…強調・感動…お…おとこ」「ゆかむ…行かむ…旅などつづける…(貴身は)逝くのでしょう…(私も)逝くつもり」「む…推量を表す…意志を表す」「さよ…小夜…すばらしい夜」。
秋萩の花散る、野原の霜や露に濡れても、君と旅を・行く、さ夜は更けても。――歌の清げな姿。
端木の白い花散る、ひら野の、つゆ下に濡れても、わたし・逝くわ、さ夜は更けても・そのままで居て。――心におかしきところ。
おとこのはかない性を知った女の、それでも、和合しようとする思いを、言葉にした女歌のようである。これは、平城帝の御慈しみの波、御恵みのお蔭であろうか。(220)と(221)の女歌は、真名序に「怨者其吟悲」とある歌であったが、(223)と、この(224)の女歌は、不満があって怨む者の悲しい歌では無くなっている。真名序にいう「逸者其声楽」、(不満や怨みを)逸する者、其の声楽しいというのだろう。「逸…失せる」。
古今集の歌は、内容にも配慮して並べられてある。秋萩の歌が、ただ並んでいるのではなさそうである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)