帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百八十二)(二百八十三)

2015-07-04 00:18:43 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。

 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

三百六十首なかに                 曾禰善忠

二百八十二 わがせこがきまさぬよひのあき風は こぬ人よりもうらめしきかな

三百六十首の中に                (曾禰好忠・人妻への恋歌として聞く。公任の父の左大臣藤原頼忠には認められた歌人らしい)

(わが夫君の来られない宵の秋風は、身にしみて・来ない人よりも恨めしきかな……わが夫君の気増さない宵の飽き風は、こ寝人よりも恨めしいなあ)

 

言の心と言の戯れ

「わがせこ…我が背子…わが夫」「きまさぬ…来まさぬ(尊敬語)…おいでになられない…気増さぬ…思い萎えた」「よひ…宵…宵の口」「あき風…秋風…心に吹く飽き風…厭き風」「こぬ人…来ない人…訪れない男…子寝人…子の貴身が寝ている男」「ぬ…打消しを表す…寝…臥す…立っていない」「うらめしき…恨めしい…にくらしい」「かな…詠嘆の意を表す…だなあ…ことだなあ」

 

歌の清げな姿は、夫君が飽き風吹かせて去った女への同情。つまり恋歌。

心におかしきところは、宵の口から、思いし萎え気増さぬ、夫君をもった女への同情。我ならそのような事はないという、乞い歌。

 

 

題不知                       読人不知

二百八十三 あひ見てはいくひささにもあらねども としつきのごとおもほゆるかな

題しらず                     (よみ人しらず・拾遺集では人麻呂)

(結ばれてより、幾久しくはないけれども、年月経たように思えることよ……合い見てより幾日、細々ではないけれども、疾し尽き・早過ぎる尽き、のように思えるなあ)

 

言の心と言の戯れ

「あひ…逢い…相…合い」「見…対面…覯…媾…まぐあい」「いくひささ…幾久しい…幾日しかじか…何日これこれ…幾日あのときは良かったなど」「としつき…年月…疾し突き…疾し尽き…早過ぎる果て」「おもほゆる…思える…自然に思えてくる」「かな…詠嘆…だなあ」

 

歌の清げな姿は、長年一緒に暮らしてきたように思える。もはや離れられない仲だなあ。

心におかしきところは、早過ぎる尽きに思えるかなあ、これは、おとこのさがだからね。


 

本歌は、万葉集巻第十一「正述心緒」の歌群にある、よみ人しらず。

相見而 幾久毛 不有尓 如年月 所思可聞
(相結ばれて、幾久しくもないのに、幾年月も経ったように思えることよ……合い見て、幾久しくもないのに、疾し尽き・早すぎる尽き、のように思っているかもなあ) 

 

言の心と言の戯れ

「見…結婚…覯…媾…まぐあい」「年月…としつき…長い時間…疾し尽き…早過ぎる尽き…おとこのさが」「可聞…かも…疑いの意を表す…かもしれない…詠嘆をあらわす…かなあ…聞くことができる…聞くことができた」

 

歌の清げな姿は、(結ばれてより久しくはないのに、幼いころから・永い年月、一緒だったように思える)、妻への愛の陳述。

心におかしきところは、合って長くはないのに、早過ぎる尽きのように思えるかも(これは、おとこのさがである)。


 事実、何があったのかは、わからないけれども、「二人は遠く離されるかも、愛は尽きるかも、と思う」と言っているようでもある。


 誇張も物に喩えることもなく、正直に心持を述べた歌である。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。