帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百六十四〕単衣は白き

2011-12-28 00:08:17 | 古典

  



                                            帯とけの枕草子〔二百六十四〕おとこはなにの色の



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百六十四〕おとこはなにのいろの


 文の清げな姿

 男は何の色の衣をも着ている。単衣は白・がいい。昼の装束の紅の単衣の袙(内着)など、仮に着ているのは良い、だけど、やはり白いのよ。黄ばんだ単衣など着ている人は、まったく気にいらない。練り色(薄黄色)の衣を着ていても、やはり単衣は白いのこそよ。


 原文

 おとこはなにいろのきぬをもきたれ、ひとへはしろき。ひのさうぞくの、くれなゐのひとへのあこめなど、かりそめにきたるはよし。されど、なをしろきを。きばみたるひとへなどきたる人は、いみじう心づきなし。ねり色のきぬどもきたれど、猶ひとへはしろうてこそ。


 心におかしきところ

 男は何色の色情でも来る。一重は白らじらしく・わるい。昼のあいさつで、暮れない間に、一重の吾こめなどに、かりそめに来たのは良い。だけど、やはり白きお、黄ばんだお疲れ色で来ている男は、まったく気にいらない。お疲れ色で・ゆっくり模様で来ても、汝お・やはり、ひとかさねでは、白らじらしいよ。


 言の戯れと言の心

 「男はなにのいろのきぬをもきたれ…男は色々な色情と身の状態でも来る…黒は強い色、赤は元気色、青は若い色、黄はお疲れ色、白は尽き果ての色」「きぬ…衣…心身を包む物…心身の換喩」「ひとへ…単衣(裏のないもの)…ひとかさなりだけの薄い心身…七重、八重は無理でも三重なる山ばが望ましい」「さうぞく…装束…せうそく…消息…挨拶」「猶…やはり…汝お…君のこの君」「あこめ…袙…内着…吾こめ」「ねり色…薄黄色…練り色…ゆっくり進む色模様」「練る…布を柔らかくする…ゆっくり進む」。



 古今和歌集の、「白(しら)」と「重(へ)」の出てくる歌を聞きましょう。

 巻第十七 雑歌上 ありはらのむねやな(在原棟梁、業平の子)

 しら雪のやへにふりしけるかへる山 かへるかへるもおひにける哉

  (白雪の八重に降り敷いた、かへる山、返す返すも老いたなあ・すっかり白髪だなあ……おとこ白ゆきの、八重に降り頻った、かえる山ば、返す返すも感極まったなあ)。


 「白…おとこの果ての色」「ゆき…雪…逝き」「やへ…八重…多く重ねて」「ふりしく…降り敷く…振り頻く」「かえる山…山の名、名は戯れる…帰る山…返る山…繰り返す山ば」「山…山ば…感情のやまば」「かへすがへす…反す反す…そりかえす…返す返す…繰り返し…すっかり…まったく」「おひ…おい…老い…極まり…感の極まり」「ける哉…詠嘆、感動を込めて今気付いた意を表す…たことよなあ」。


 「心におかしきところ」が聞こえなくなり、「清げな姿」しか見えないならば、『古今和歌集』の歌は、「くだらない」「駄歌」でしょう。そのような歌を、在原棟梁が詠むでしょうか。歌には「心におかしきところ」がある。
 『枕草子』の文にも「心におかしきところ」がある。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
  
  原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による。