帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二十九〕びらうげは

2011-03-24 06:31:19 | 古典

 



                      帯とけの枕草子〔二十九〕びらうげは



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 

清少納言 枕草子〔二十九〕びらうげは

   

 原文

びらうげは、のどかにやりたる。いそぎたるはわろく見ゆ。

あじろは、はしらせたる。人の門のまへなどよりわたりたるを、ふとみやる程もなく過ぎて、ともの人ばかりはしるを、たれならんとおもふこそおかしけれ。ゆるゆるとひさしくゆくは、いとわろし。


 文の清げな姿
 榔毛(高級牛車)はのどかにやっている。いそいでいるのはわるく見える。
 
網代(実用牛車)は走らせている。人の門の前などを通り行くのに、ふと見やる間もなく過ぎて、供の人だけ走るのを、主は・誰かしらと思うことこそ、おかしいよ。ゆるゆると久しく経てゆくのは、まったくよくない。


 心におかしきところ
 上等なものは、のどかにやっている。急いでいるのはわるく見える。
 
普通のものは、走らせている。ひとの門の前など経てわたるのを、ふと見やる間もなく過ぎて、伴のひとばかりが、遅れまいと・走るのよ、垂れかしらと思うことこそ、おかしいよ。でも普通のものが・ゆるゆると久しく経てゆくのは、まったく好くない。

 


 言の戯れと言の心を同じくしましょう

「びろうげ…高級牛車…高級なもの」「車…しゃ…者…もの…おとこ」「あじろ…普通牛車…普通のもの」「見…覯…媾…まぐあい」「はしる…走る…急ぐ…先走る…早くゆく」「門…女」「より…起点を示す」「を…のに…詠嘆を表す…お…おとこ」「たれ…誰…垂れ…玉垂れ」「ゆく…行く…逝く」「わろし…良くない…好くない」。

 


 枕草子は、おとなの女の言葉で、おとなの女たちの共感できる事柄が書いてある。紫式部日記の清少納言批判にいう「艶になりぬる人」の著した、「あだになりぬる人の果て」の文芸に違いないでしょう。紫式部の批判もよくわかるように読みましょう。「あだ…婀娜…女のたおやかなさま…女のしなやかなさま…徒…浮ついていいかげんな感じ」。

 

今では、清げな姿しか見えないのは、一千年間の言葉の変化に加えて、受け手の立場も大きくずれて「聞き耳」が異なってしまったためでしょう。正しい字義通りの読みを求めて、そこから一歩も出られない人々には、心におかしきところは聞こえない。

 


 伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず    (2015・8月、改訂しました)


  枕草子の原文は、岩波書店  新 日本古典文学大系 枕草子による。