帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (223) おりて見ば落ちぞしぬべき秋はぎの

2017-05-10 19:11:23 | 古典

            

 

                         帯とけの古今和歌集

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 国文学が無視した「平安時代の
紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 223

 

(題しらず)              (よみ人しらず)

おりて見ば落ちぞしぬべき秋はぎの 枝もたわゝに置ける白露

              (詠み人知らず・女の歌として聞く)

(折って観賞すれば、落ちてしまうでしょう、秋萩の枝も撓むように、降りた白露・真珠のよう……降りて見れば、堕ちて死ぬべき厭き端木の小枝も、撓むように、贈り置いた、おとこ白つゆよ)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「おりて…をりて…折って…上より下に降りて…引き下がって」「見…観賞…覯…媾…まぐあい」「おち…落ち…堕ち」「しぬ…してしまう…死ぬ…逝ってしまう」「べき…してしまうだろう…当然そううなるだろう」「あきはぎ…秋萩…飽き端木…厭き端木…あき男」「木…言の心は男」「枝…木の枝…身の枝…おとこ」「たわゝに…撓み…しなって」「置ける…(霜露が)降りた…送り置いた…贈り置いた」「白露…白玉…白汁…白液…体言止めで、余情がある」。

 

折って観賞すれば、落ちてしまうでしょう、秋萩の枝も撓むばかりに、天の贈り・置かれた白玉よ。――歌の清げな姿。

おりてみれば、堕ち入り死ぬのでしょう厭き端木のお枝も、撓むばかりに、贈り置かれた、貴身の・白つゆよ。――心におかしきところ。

 

おとこのはかない性を怨むだけの女歌ではない。感謝、感激でもないが、おとこ白つゆは、折りて逝けに堕ち死ぬべき逝き際に贈り置いた、おとこの白い魂であると、悟った女の歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)