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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。
歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。
古今和歌集 巻第四 秋歌上 (220)
題しらず よみ人しらず
あきはぎの下葉いろづく今よりや ひとりある人のいねがてにする
(題知らず) (詠み人知らず・女の歌として聞く)
(秋萩の下葉色付く、今より、独り住まいの女のように、わたしを、眠れなくする・季節かな。……厭き端木の下端、色尽きる、今より、独り身の女のように、眠れなくするのか・秋の夜長を)。
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「秋萩…厭き端木…厭きた男」「木の言の心は男」「下葉…下端…おとこ」「いろづく…色付く…紅葉する…いろつく…色尽きる…色情が失せる…かたちが失せる」「今よりや…晩秋よりか…井間よりよ」「や…感嘆の意を表す…疑問の意を表す」「ひとりある人の…独り住む人のように…独り身でいる女のように(隣に君が居るのに)」「の…所属を表す…のように…比喩を表す」「いねがてにする…寝難くする…眠れなくする」。
秋萩の下葉が紅葉する、今の季節より、もの寂しくて・独り身の女の、わたしを・眠り難くするのか。――歌の清げな姿。
厭き端木となった貴身、色情尽きる今より・秋の夜長の独り身の女のように、わたしを・眠れなくするのねえ。――心におかしきところ。
はかないおとこの性(さが)に、いまの心より、抗議する女の歌のようである。次も同じく女歌である。
敏行、躬恒の男歌に、つづいて、均衡良く詠み人知らずの女歌が二首並べられてある。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)