帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (136)あはれてふことをあまたにやらじとや

2017-01-28 19:13:46 | 古典

             

 

                       帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古典和歌の国文学的解釈方法は、平安時代の歌論と言語観を全く無視して、新たに構築された解釈方法で、砂上の楼閣である。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に、歌論と言語観を学んで紐解き直せば、今では消えてしまった和歌の奥義が、言の戯れのうちに顕れる。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 136

 

卯月に咲いた桜を見てよめる         紀利貞

あはれてふことをあまたにやらじとや 春にをくれてひとりさくらん

初夏四月に咲いた桜を見て詠んだと思われる・歌……や好い尽きた、憂つきに咲いたおとこ花を見て詠んだらしい・歌。 紀利貞(大内記・阿波国の介など歴任。880年ごろ歿、在原業平らとほぼ同じ時代を生きた人)

(すばらしい・感動するということを、多くの人に、与えまいとしてかな、この桜・春に遅れて独り咲いているのだろうか……憂尽きの哀れということを、吾女田に、与えまいとしてかな、妻のや好いの春に遅れて、おとこはな・独りで咲いているのだろか)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「卯月…四月・初夏…うつき…(戯れて)憂尽き」「桜…木の花…男花…男の生涯の比喩か…おとこ端…我がはかない物の比喩か」「見…見物…覯…媾…まぐあい」。

「あはれ…すばらしいと言う感動…哀れなおとこ花と言う悲哀」「あまたに…多数に…程度はなはだしく…吾間田に…わがおんなに」「間・田・谷…おんな」「やらじ…やるまい…やらないつもり」「やる…遣る…与える」「じ…打消しの意志を表す」「とや…疑問を表す」「春…季節の春…睦突き・来さら来・や好いの春情」「さく…咲く…放く…放出する」「らん…らむ…原因・理由の推量」。

 

春に遅れて初夏に独り咲いた桜を見て、男の諸々の感慨。――歌の清げな姿。

官位昇進などには遅れ、妻にも先立たれた男だろうか、独り咲くわがおとこ花を見ての色々な思い。――心におかしきところ。

 

この歌は、前の人麿の歌と心深いところで相通じるところがあるからだろう。その隣に並べられてある。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)