帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(132)とどむべき物とはなしにはかなくも

2017-01-24 19:02:58 | 古典

             

 

                       帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

和歌の真髄は中世に埋もれ木となり近世近代そして現代もそのままである。和歌の国文学的解釈は「歌の清げな姿」を見せてくれるだけである。和歌は、今の人々の知ることとは全く異なる「歌のさま(歌の表現様式)」があって、この時代は、藤原公任のいう「心深く」「姿清げに」「心におかしきところ」の三つの意味を、歌言葉の「言の心」と「浮言綺語のような戯れの意味」を利して、一首に同時に表現する様式であった。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観に従えば、秘伝となって埋もれ朽ち果てた和歌の妖艶な奥義(心におかしきところ)がよみがえる。

 

「古今和歌集」 巻第二 春歌下132

 

弥生のつごもりの日、花摘みより帰りける女どもを

見てよめる                躬恒

とどむべき物とはなしにはかなくも ちる花ごとにたぐふ心か

弥生のつごもりの日、花摘みより帰ってきた女たちを見て詠んだと思われる・歌……春情の果てのおり、お花摘んで繰り返して来たおんなを見て詠んだらしい・歌。  躬恒

(留められる物ではないのに、あっけなくも散る草木の花毎に、身近に抱き、寄り添う心かな……止められるものではないのに、もろくも果てるおとこ端如きに、寄り添い・たぐり寄せる、女心かあ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「はかなくも…もろくも・あっけなくも・あさはかにも」「花…草花…言の心は女…木の花…言の心は男」「ごとに…毎に…如に…如き物に」「たぐふ…連れ添う…寄り添う…身近に置く…たくふ…たく…(手綱など)操る…引く」「か…疑問・感嘆・詠嘆の意を表す」。

 

散る花毎に、せめて手許に留め置こうと、花摘みした優雅な女心。――歌の清げな姿。

止まる物ではないのに、はるの果てになると、散りゆくおとこ花如きを、手繰り引き寄せるように、寄り添う女心かあ。――心におかしきところ。

 

性愛における女心の微妙なところを疑問形ながら表出した。この繊細な詠み口は、躬恒の歌の特徴のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)