帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」(百二十)つれなき人の鍋のかず見む

2016-08-15 19:22:27 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



 在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈に顕れるのは、歌や物語の「清げな姿」のみである。


 伊勢物語
(百二十)つれなき人のなべのかす見む


 昔、おとこ(昔、男…むかしおとこ)、女のまだ世へずとおぼえたるが(女のまだ世慣れていないと思われるのが…おんなのまた夜経ずと思えるのが)、或る人の御もとに(或る御方の御許に…或る高貴な御方の御許に)、しのびてものきこえて(忍んで物語などお聞かせして…御許にて言葉と情を交わしてさしあげて)」、後、しばらく経って、

 近江なる筑摩の祭りとくせなんつれなき人の鍋のかず見む

 (近江の筑摩の祭り、早くしたいものだ、つれない人の、被る・鍋の数を見たい…合う身成る、つく間のまつり、早くしたい、我には・つれない女の、なべの多数・汝部のかす、見てみたいものだ)

 

 

紀貫之のいう「言の心」を心得え、枕草子にいう「聞き耳異なるもの、それが、われわれの言葉」と知る。

 「よへず…世経ず…世慣れていない…夜経ず…夜慣れていない…心も身も初な」「おぼえたるが…(世の人には)思われる・女が…(我より)覚えた・女が」「おぼえ…思え…覚え」。

 「近江…あふみ…地名…名は戯れる…合う身」「なる…にある…所在を示す…成る…成就する」「つくまのまつり…筑摩神社の祭り…女たちは関係した男の数だけ鍋を被って参詣するという奇祭…祭の名、名は戯れる。突く間のまつり、尽く間のまつり」「ま…間…おんな」「なべ…鍋…器物…おんな…汝部…汝辺」「かず…数…多数…かす…彼洲…下す」「す…洲…おんな」「見…覯…媾…まぐあい」「む…(見る)だろう…推量の意を表す…(見)よう…意志を表す」。 

 

御許と称すべき御方は誰か、ものきこえたという女は誰か、歌を詠んだ男は誰かは、書かれていないが、ここまで「業平の日記」として読んでくれば、書かずともわかる。それに、このような事態に立った男の心情だけは、心の奥底まで伝わるように語られ、歌は詠まれてある。

 

この歌は、勅撰集に載せるべきではないのだろう。「古今和歌集」も「拾遺和歌集」も載せない。そのわけは歌の内容がわかればわかる。公任の拾遺抄には、巻第十九、雑恋に、題しらず、よみ人しらずとして、次のような歌にしてある。

いつしかもつくまのまつりはやせなん つれなき人のなべのかず見む

(何時しかも筑摩の祭り早やせなん、つれなき人の鍋の数見む……何時かすぐにでも、つく間のまつり、早くしたいものだ、つれない女の、なべの数・汝部の下す・汝辺の滓、見たいものだ)

いずれにしても、品の良くない恨み歌である。この男の恨み心は死ぬまで消えることはなさそうである。

 

上のような恨み心が「伊勢物語」の動機であり素材である(モチーフである)。「伊勢物語」の主題は、男と女の心の有様、おとことおんなの性愛の有様である。もとよりこれは、和歌本来の主旨と趣旨に同じである。和歌は見る物聞くものに託して人の心底の心根を言葉としたものである。伊勢物語は後の人に書き加えられた部分は何箇所かあるけれども、業平自身によって歌と物語は作られたのである。

 

さて、国文学は、歌の清げな姿しか見えないがために、「伊勢物語」に底流する恨み心の声がよく聞こえないのである。誰が何の為に最初の章段を作ったかわからないまま。在原業平の歌を核にして作られた章段に、長年にわたって作り加えられ、虚実のわからない業平像が出来て、よみ人知らずの歌まで用いた章段も付加されて、今見られるような「伊勢物語」が出来上がったとするようである。「伊勢物語」の主題は「みやび」ということに、なっているらしい。「みやび」とはそもそも何なのか、「伊勢物語」を読めばわかるのだろうか。はっきり言うと、「伊勢物語」についての国文学的考察は、砂上の楼閣か、蜃気楼としか見えない。人の心根の顕れる和歌の「心におかしきところ」が、聞こえていないのだから。

 

2016・8月、旧稿を全面改定しました)