帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」(百十)夜深く見えばたまむすびせよ

2016-08-05 19:08:16 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



 在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈に顕れるのは、歌や物語の「清げな姿」のみである。


 伊勢物語
(百十)夜深く見えばたま結びせよ


 むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、密かに通っている女がいた。その許より、こよひゆめになん見えたまひつる(今宵、わたしの夢に君が、お見えになりましたのよ…今宵、夢のようにはかなく見え、玉ひましたわねえ)といったので、男、

 思ひあまりいでにし魂のあるならん  夜深く見えば魂むすびせよ

  (貴女への・思いあまって、抜け出た我が魂があるのだろう、夜深いときに見れば、魂結びせよ・わが生魂を結び留めよ……思いあまって、出てしまった白玉があるのだろう、未だ夜深いのに見れば、玉結びせよ・白玉受留めよ)

 


 紀貫之のいう「言の心」を心得て、枕草子に「聞き耳異なるもの」というほどの言葉の戯れを知りましょう。

 「ゆめ…夢…はかないもの」「見えたまひつる…お見えになりました…見っぷりでございました」「見…(夢など)見ること…覯…媾…まぐあい」「たまひつる…給ひつる…(お見えに)なられましった…玉ひつる…玉放出した」「夜ふかく…夜明けでは無いとき…未だその時ではないとき…(暁のつきを見て宮こへ送り届けるべきを)未だ夜深く」「たまむすび…魂結び…浮遊する生魂を留める(具体的方法は不明)…玉結び…おとこ白玉を確り留めおく(詳細不明)」「たま…魂…生魂…玉…白玉…おとこ白玉…おとこの情念」。

 

この章は、暁まで健在であるべきおとこの情念が、未だ夜深いのに抜け出てしまう話で、おとこのはかない性が原因であるから、武樫おとこでも、たまにあることらしい。そのとき「魂結びせよ」と女に依頼した歌のようである。「どうすりゃいいのさ、魂の抜け殻を」という女の声が聞こえそう。

 

すこし振り返って見る。伊勢物語、第百七章は、業平の和合指南であった。深みこそ、身も喜びの涙川に流れるという。

第百八章は、和合の成り難い話で、女は裏見ても又裏見ても男のはかなさを恨む話で、和合ならない例であった。

第百九章は、和合できない一つの珍しい場合で、お花散るより先に女が逝ってしまったのである。大方はお花が先に散り、おとこが早くもはかなくなるもの。


 「いせのものかたり」は、このように「女と男の物語」で、歌は女と男の生の本心や情況が、性愛などの「心におかしきところ」と共に、聞き手の心に伝わるように表現されてある。

 

2016・8月、旧稿を全面改定しました)