帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」(百十三)わするゝは如何に短き心なるらん

2016-08-08 19:02:03 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



  在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈に顕れるのは、歌や物語の「清げな姿」のみである。


 伊勢物語
(百十三)わするゝは如何に短き心なるらん


 昔、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、やもめにてゐて(妻を亡くし独り身で居て…夫を亡くした女に通ってゐて)、

 ながからぬ命のほどにわするゝは いかに短き心なるらん

  (長くはない命の程に、今はなき妻を・忘れるのは、何と短い我が心であろうか……長くないおとこの命の、ほとに、亡き夫を忘れ・和しているのは、何と短い女の心であろうか)


 

紀貫之のいう「言の心」を心得て、枕草子に「聞き耳異なるもの」というほどの言葉の戯れを知りましょう。

 「やもめ…連れ合いをなくした独り身の人、男女ともに用いる」「にて…状態を表す…場所を表す」「ゐて…居て…くらして居て…射て」。

「ながからぬいのちのほど…短い寿命と同じ程度…短い命のほとの程」「ほと…程…陰…おとこ」「いのち…人の寿命…おとこの命」「わするゝ…忘するる…(亡き人を)忘れている…和するる…(我と今は)和合している」「るる…(自然に忘れ)てしまう…(自然に和)してしまう…(忘れ)させられる…(和合)させられる」「みじかき…短き…長続きしない…たりない…いやしい…ほめ言葉ではない」。

 

 妻を亡くした後の、男の心を表出した歌のようであり、亡き夫を忘れ我がおとこと和している女心を表した歌のようでもある。

昔の男のことなど忘れて、現状に和しているであろう或る女人を恨んでみせた歌のようでもある。

人の変わり易い心根を表した「深い心」がある歌かもしれない。


 
2016・8月、旧稿を全面改定しました)