『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

最初に宮古島へ行った顔の話

2012年01月13日 23時39分27秒 | 宮古島のシャーマン

あの日と今も変わらず、変わったのは形だけ

20代前半の若造の頃の顔です。この頃が最もエネルギッシュで、これから俺はやりたいことを思い切りやって生きるぞと想っていた頃でした。旅がしたかった。旅をしました。

それから、10年余り経ち、私にファイナルコールが鳴りました。37歳のときでした。身体が墓に半分埋もれて、これはもう生きているのか、どうか、最後の最後のような姿・・・・そう、沖縄宮古のシャーマンに伝えられました。

私が宮古島へ行ったのは、1997年でした。その話は「宮古島のシャーマン」で書いてあります。

今から15年前のそのとき、シャーマンに会った第一声が「あれ、あんたもっと若いかと思ったよ。髭は生やしているけど、そうか、あんたが一番自信があった頃の姿で来たんだねえ」

でも、若かったけど、暗い青年でした。どう、どこへ向かったらいいのか解らなかった。自分のやるべきことが解らず迷いながら、おれはダメだと。

若くてエネルギーもあって、でも、自信がなく、でも、何かしたい、しなければと焦って生きていました。

そして、ファイナルコール。宮古島体験。死んでいた仲間が遠くで笑っていた。手招きもするけど、まだ、行けない、行くわけにはいかない! そう叫びました。

また、それから、15年過ぎ、これを書いている。生き、生かしてもらっている。生き生かしです。

いつもおもうのが、ほんとうに思うことを云おう書こうと思いながら、それに近づかないもどかしさです。こころと戦うが、勝てない、出来ないの、もどかしさです。なんで書けないのだろうか。

どうしても、自分の本音の底に、書くことが行き着かないのです。何万べんも書いていても、未だ、行き着かない。

書けたと思ったことが無い。

だから仕事のほうが楽です、というか、まったく違う。これこれこうしてという注文には応じられても、オーダーのないものには、書けない。答えがない。

それが昨日書いた、孤独の話です。

だから、今日も、書きました。

でも、明日書くかはわからない。