『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

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龍の年に伝える事2

2012年01月04日 12時41分04秒 | 未知への扉
初めに龍の話を少しします。

龍はいると思いますか? ネバーエンディング・ストーリーの白龍、ファルコンのような大空を翔る龍です。いるわけがない? でも、龍を見た。龍はいるという人もいます。その人には龍が見えるのかもしれません。

私の場合は、龍の形象が見えることがあります。下北半島の大空で見たし、奈良の三輪山、鳥取大山麓の天の真名井では、清水の中から私をじっと見つめていました。写真に撮ると、それがまたハッキリ顔で(笑)

龍に出会うと、これからおじゃましますのでと断りをして、きちんと挨拶します。アニミズム精神、あるいは古神道に則っての作法です。

神道では、龍を眷属(けんぞく:神の遣い)として礼を尽くします。また、お寺でも、龍は化身として本堂をお守りしています。

ですから、動物存在として龍がいるいないの話ではなく、象徴の龍の話です。風水思想では、龍脈といって、地のエネルギーを龍に喩えて捉えます。地中を流れる気脈が地上に吹き上がる場所を「龍穴(りゅうけつ)」と呼びます。その場所はみなぎる力に満ちており、敏感な人は立ってはいられないほどです。古社などはそういう場所に建てられたものが多いのです。

では、その象徴としての龍は、どこからその姿が生まれたのか。龍は伝説です。その伝説は、古代に遡ります。そう、恐竜の時代。大地を闊歩した龍もいれば、海へ還った龍もいたし、空へ上がった龍、翼龍もいました。人間はそれらの龍を見ていて、記憶している。それはそれは力強い生きものでした。かれらがこの世界から姿を消しても、人類の記憶には残っています。

それが象徴の龍です。その龍に畏れを抱くのは太古の記憶からものと思えます。去年、ブータン国王が訪日し、龍は存在するかのように語りました。龍に畏敬の念を抱く国王に違和感はありません。神秘の国ブータンの方ですから。かれは仏教徒なので、その象徴として龍を見ているのでしょう。

【見る事とは】
では、龍という形象でいったい何を見ているのか。風水でいうところの龍脈でしょうか。自然界のエネルギーの流れでしょうか。そうともいえますが、もう少しニュアンスの違う面があります。

神道的にいえば、やはり眷属としての龍です。その地を護っている。そこにはある意識ないし、意志があるといってもいい。だから無闇に踏み込んではならない。こちらがそういう精神でいれば、見えるのです。シャーマンは見て、読み取りをします。そんなものはいるはずがないと否定すれば見えません。

言葉を換えれば、見たいものを人は見るともいえます。目に映るものは信じますが、映らないものは信じないのが人間です。私はときに霊体を見ることがありますが、それを人に見せることはできません。ですから実在するという言い方はできません。私にとっては見えるといえるだけです。

では、なぜそのようなものが見えるのか。この世は物質的なものだけで成り立っているのではないと想っているからです。誰でも見えないものもあると知っていますが、その見えないものを見る人々もいるのです。見える人はなんとかそれを伝えようと思います。けれども、それが叶わないことのほうが多いのです。

見えるその先に、なにがあるのか・・・

(つづく)


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