パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

博多祇園山笠と櫛田神社

2019年07月27日 | 日記
櫛田神社の祇園例大祭の奉納行事が博多祇園山笠なんですね。
神社境内に掲示されていました。

「祇園例大祭日程」
七月 九日夕刻       お汐井とり
   十日午后        流れがき  午前十時 献華献茶式・男野  
  十一日早朝       朝山     午后 他流がき
  十二日午后二時五十九分 追山ならし  午前十時 南坊流献茶式・茶席
  十三日午后三時三十分   集団山見せ 午前十時 表千家茶席
  十四日午后        流れがき
  十五日午前三時     祇園例大祭
  午前四時五十九分    追山笠引き続き鎮めの能

京都の祇園祭でも「山鉾巡行」がメインに思っている人が多いようですが、
八坂神社(祇園社)の神幸祭、還幸祭の悪霊、疫病退散の露払いなんです。
この櫛田神社も本来のメインは例大祭なのですが…

櫛田神社って…
御祭神は
 ・正殿 大幡大神(櫛田大神)
 ・左殿 天照皇大神       
 ・右殿 素盞嗚大神(祇園大神)
 博多の総氏神様
 大神の奉祀については諸説があるようですが、
 社伝では孝謙天皇の御託宣により、
 754年(天平宝字元年)松阪の櫛田神社を勧請、
 大幡主神は天照大神に仕えていたことから一緒に勧請。
 941年(天慶4年)藤原純友の乱平定に、
 追討使小野好古が戦勝奉賽のために
 京都の祇園社(八坂神社)から素戔嗚鵜を勧請。

 


櫛田神社参拝の栞より一部抜粋



御朱印

   
正面鳥居と楼門


本殿

   
本殿向拝破風の彫刻(地元では雷神とアッカンべーの風神?・烏天狗?)
 

霊泉鶴の井戸(パワースポット)

 
扁額と北神門

 
北門の狛犬 (黒御影石・赤御影石)

 
博多べい
豊富秀吉が作った、戦災で焼け残った瓦や石を混ぜ込んだ土塀。
博多塀は、豊臣秀吉が進めた博多町割(戦災復興)の際に生まれた土塀で、
当時の一般的な“築地塀”とは異なり、戦火による焼け石焼け瓦等を塗り込めた、
いわば廃材活用のリサイクル土塀である。秀吉が来る前の博多は、
大友、毛利、島津氏たちの争奪戦に巻き込まれて見渡す限りの焼け野原。
人々の博多復興への願いと、大陸出兵の物資補給基地として博多を重要視した秀吉との思いが一致し、
太閤町割りによるまちの再興が実現した.(福岡市の資料より)



神馬像              手水舎には山笠の絵

 

  


境内摂社・末社 二十二社