パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

大絵馬

2018年01月08日 | 日記
神社やお寺に行くと祈願する絵馬とは別に「大絵馬」が掛かっています。
年末になると、社寺では干支に因んだ「大絵馬」が架け替えられます。
架け替えは、新年の準備に入る「正月事始め(事始め)」に行われるところもあるようです。
正月事始め(しょうがつごとはじめ)とは、正月を迎える準備を始めること。
かつては旧暦12月13日、現在は新暦12月13日に行われています。
昔はこの日に門松やお雑煮を炊くための薪など、お正月に必要な木を山へ取りに行く習慣があった。

「事始め」には、京都の初冬の風物詩で、多くのカメラ愛好家がシャッターチャンスを狙います。
花街事始めは毎年12月13日に行われています。
事始めでは花街の舞妓・芸妓らが普段お世話になっている踊りの師匠やお茶屋などを訪ね、
今年1年間のお礼と新年に向けた挨拶を行い、お正月の準備を始めます。

特に御世話になっているところには「鏡餅」を事前に届けています。
祇園甲部では井上流の師匠宅を訪ね、「今年もお世話さんになりました。来年もおたのもうします。」とごあいさつをした後、井上八千代師匠から直々に舞扇を「おきばりやしたね。来年もおきばりやす」と言葉を添えていただきます。
花見小路周辺では一度に多くの正装した舞妓、芸姑さんの行き来を撮る人が集まりまるそうです。

-大辞林-
①江戸時代、江戸で陰暦12月8日、上方では12月13日、煤すす払いをして正月の準備を始めること。
②古く東国で、陰暦2月8日に農事を始めることを祝って行なった行事。

終い天神(北野天満宮)の絵馬

楼門に、幅3・3メートル、高さ2・25メートル、重さ120キロの絵馬が初天神の1月25日まで架けられます
(原画は日本画家、三輪晃久さん)

談山神社の絵馬

神廟拝所西側の縁に、幅2・74メートル、高さ1・64メートルが架けられていました。
(原画は崇敬者)

今年は初詣には行きませんでしたが、奈良では、橿原神宮の巨大「大絵馬」が有名です。
昨年末「橿原考古学研究所付属博物館」の「十二支の考古学」特別展に行ったところ、
橿原神宮の大絵馬の今年の原画を含め展示されていました。(1月14日まで開催中)
平成12〜23年までの十二支の原画は、日本画家・上村淳之さんのものでした。
平成24〜今年の「戌」までの原画は日本画家・藤本静宏さんによるものです


外拝殿に設置された、高さ 4.5 メートル/幅 5.4 メートルで、畳14枚分の大絵馬(転載)

絵馬についてのおさらい
絵馬の起源は、神様に神馬(しんめ)として生きた馬を献上する古代の風習にあるとされています。
時が経つと、本物の馬は木で作った馬や土で作った馬で代用さます。
そして、平安時代には絵に描いた馬を奉納するようになります。
さらに、室町時代には個人が現世利益を求め、小型の絵馬を奉納するようになります。
江戸時代には家内安全や商売繁盛といった身近なお願い事を書く風習が庶民にも広がりました。
それによって馬以外の絵も描かれるようになり、今のように様々なデザインの絵馬が生まれました。

-コトバンク-
社寺や道祖神などの神格化された対象に,祈願や感謝の目的で納める絵。
元来は馬の絵をかいたが、中世以降は種々雑多な画題が登場した。
生き馬を神に献じる風習が,馬に代えて土馬,馬形,板立馬などを納めるようになり,
やがて絵の馬を奉納したことに起源がある。
その初例は『本朝文粋』 (1012) の「色紙絵馬三匹」の記事で,『今昔物語』にも板絵馬の言葉がみえる。
中世の絵巻に絵馬奉納の情景がみられ,それによるとこの頃から仏教寺院への奉納が起り,
個人的奉納も行われるようになって,絵馬奉納の目的,対象,画題に変化を生じ,発展した。
もともと祈願が目的であったため,牛馬以外に人間の目,手,足などを描いて安産や病気快癒を祈ったり,報謝したものが多い。
遺品としては秋篠寺の応永年間 (1394~1428) の絵馬,元興寺極楽坊,興福寺東金堂,石川大地主神社の長禄年間 (1457~60) の絵馬などが古く,この頃から専門画家の執筆するもの,大型の絵馬,絵馬堂などがみられるようになった。