八坂神社の茅の輪に説明が掲げられています。
「水無月大祓」は正月から六月までの半年間の罪穢を祓う神事
茅の輪を立てて、それをくぐることで疫病や罪穢が祓われる
茅の輪は、イネ科の多年草である「チガヤ」を用い、それを人がくぐれるほどの大きさの輪状の形にして、
竹などを使って鳥居や参道などに立てたもの
茅の輪のくぐり方は、
「水無月の 夏越の祓いする人は ちとせの命 のぶというなり」という古歌、神歌、祓歌を唱えっつ、
左回り、右回り、左回りと八の字を描くようにくぐり抜けるのが一般的
現在、茅の輪を立てた水無月大祓は夏越の祓として全国の神社で広く行われている
八の字を描くようにくぐり抜けるのは、呪術の作法の一種と言われている
古代中国において禹歩は様々な邪気を払う呪術として用いられました。
(1)旅の安全祈願
(2)病気の治療法
(3)入山法(魔除け)
日本の禹歩は邪気を払う護身法という狭い分野で用いられました。若杉家文書小反閇作法并護身法では一つの手順として禹歩が行われて います。平安時代の陰陽師は邪気払い・護身法・身固めの呪術として執り行いました。
反閇とは道教の歩行呪術がわが国に伝来してそのように呼ばれるようになり、さまざまな儀礼や作法、あらゆる舞踊の基礎などに取り入れられた。すでに伝来していた陰陽道、日本で成立した修験道、儀式を整備した密教などの呪法を始め、神道の歩行作法、田楽や神楽、足踏みと跳躍とをする念仏踊り、歌舞伎の六方、猿楽から明治になり改称した能楽の足捌き、相撲の四股、江戸時代までの歩行法のなんば(難場)歩きなどに見られる。とくに星辰信仰による北斗七星の形のほか星の運行に合わせた歩行など、さまざまな足捌きをする陰陽道儀式には色濃く影響している。
【神道呪詛祓い・魔祓い】
天(あめ)切る、地(つち)切る、八方(やも)切る。天(あめ)に八違(やたが)ひ、地(つち)に十(とお)の文字(ふみ)、秘音(ひめね)。一(ひとつ)も十々(とおとお)、二(ふたつ)も十々、三(みつ)も十々、四(よつ)も十々、五(いつつ)も十々、六(むつ)も十々。ふっ切って放つ、さんびらり。
茅の輪の由来
備後国風土記逸文
「備後国の風土記に曰く。
疫隈の国社。昔、北海に坐しし武塔神、南海の神の女子をよばいに出でいますに、日暮れぬ。彼の所に将来二人ありき。兄の蘇民将来は甚だ貧窮。弟の将来は豊饒で屋倉一百ありき。ここに、武塔神宿る所を借りるに、おしみて借さず。兄の蘇民将来は借したてまつる。すなわち粟柄を以って座となし、粟飯等を以って饗たてまつる。ここにおえて出で坐す。のちに、年を経て、八柱の子を率いて還り来て詔りたまひしく、我は将来の報答を為す。汝の子孫、その家にありやと問いたまふ。蘇民将来、答えて申ししく。己が女子、この婦と侍りと申す。すなわち詔りたまひしく。茅の輪を以って腰の上に着けさしめよ。詔にしたがひて着けさしむ。すなわち、夜に蘇民の女子一人を置きて、皆ことごとく殺し滅ぼしてき。すなわち、詔りたまひしく。吾は速須佐雄能神なり。後の世に、疫気あれば、汝、蘇民将来の子孫といひて、茅の輪を以って腰に付けるある人は将にのがれなむと詔たまひしき。」
△備後國風土記曰
△疫隅國社△昔△北海坐志武塔神△南海神之女子乎與波比爾出△座爾日暮△彼所將來二人在伎△兄蘇民將來△甚貧窮△弟將來富饒△屋倉一百在△伎△爰武塔神△借宿處△惜而不借△兄蘇民將來借奉△即以粟柄爲座△以△粟飯等饗奉△爰畢出坐△後爾經年△率八柱子還來天詔久△我將來之爲報△答△汝子孫其家爾在哉止問給△蘇民將來答申久△己女子與斯婦侍止申△即詔久△以茅輪△令着於腰上△隨詔令着△即夜爾△蘇民之女子一人乎置天△皆悉△許呂志保呂保志天伎△即詔久△吾者△速須佐雄能神也△後世爾疫氣在者△汝蘇民△將來之子孫止云天△以茅輪着腰在人者△將免止詔伎(釋日本紀卷七)
この由来により、古くは茅の輪を腰につけたり、首に掛けたりして疫病除けとしていたものが、時代を経て参詣者がくぐるような大きな茅の輪に変わって行った
八坂神社と茅の輪
祇園祭にて授与される粽には「蘇民将来子孫也」と書かれた神符がついている。
この粽を門に掛けるとことは蘇民将来の子孫であることを示すということで、
八坂神社の御祭神である素戔嗚尊から必ず御加護いただける証し
この素戔嗚尊をもてなした蘇民将来命を御祭神とした「疫神社」では
祇園祭の締めくくりとなる7月31日、疫神社の鳥居に茅の輪を立て例祭を斎行
ご神饌には伝承の通りに粟を使ったお餅を供え、神前に茅の輪を立てて
皆でくぐることにより全ての悪疫、罪穢から免れるとされている
八坂神社では、この疫神社でのお祭りを「夏越祓」、6月の大祓「水無月大祓」として毎年斎行
水無月大祓で半年の罪穢を除き、来月の夏越祓で更なる御加護を受けていただきたい
「素戔嗚尊と蘇民将来の伝承を起源に、全国にこれほどまで広がっている茅の輪くぐり、
この原点である八坂神社の茅の輪をおくぐり下さい。」と記されていました。
茅の輪くぐり方
次の言葉を唱えながらくぐる
第1回「みな月のなごしの祓する人は千年(ちとせ)の命のぶというなり」
(捨遺和歌集・題不知、詠人不知・巻五 賀 292)
第2回「思う事みなつきねとて麻の葉をきりにきりて祓いつるかな」
(後捨遺和歌集・和泉式部)
第3回「蘇民将来 蘇民将来 蘇民将来」(繰返し唱える)
粟田神社では
「思う事 皆つきねとて 麻の葉を 切りに切りても 祓いつるかな」
「みなつきの 夏越の祓する人は 千歳(ちとせ)のいのち 延というなり」
「宮川の きよき流れに みそぎせば 祈れることの 叶わぬはなし」
出雲大神宮では
「水無月の 夏越の祓する人は 千年(ちとせ)の命 延というなり」
祓い歌について
【題】 不明
【作者】詠み人しれず(拾遺和歌集1204)
【歌】「みな月のなごしの祓する人は千年(ちとせ)の命のぶというなり」
【通釈】六月の夏越の祓えをする人は、寿命が延びて千歳の命を得るということだ.
六月祓の歌として著名。
【題】六月祓をよめる
【作者】和泉式部(後拾遺和歌集)
【歌】「思ふことみなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓へつるかな
【通釈】水無月の晦日(みそか)、私の悩みが皆尽きてしまえと、麻の葉を細かく切りに切って御祓いをしたことだ。
【語釈】◇六月祓(みなづきばらへ) 別名「夏越(なごし)の祓」。旧暦では夏の終りにあたる水無月の晦日(みそか)に行なわれた大祓。
◇みなつきねとて 皆尽きてしまえとて。「みなつき」は「皆尽き」「水無月」の掛詞。
◇麻の葉 細かく切ってお供えにした。
【補記】正集では結句「はらひつるかな」
【他出】和泉式部集、題林愚抄
【主な派生歌】
思ふことみなつきねとて御祓する河瀬の波も袖ぬらしけり(藤原俊成)
麻の葉にゆふしでかけて思ふことみなつきねとてはらひつるかな(但馬)
【題】 不明
【作者】不明 (伝承歌?)
【歌】「宮川の きよき流れに みそぎせば 祈れることの 叶わぬはなし」
【通釈】
「水無月大祓」は正月から六月までの半年間の罪穢を祓う神事
茅の輪を立てて、それをくぐることで疫病や罪穢が祓われる
茅の輪は、イネ科の多年草である「チガヤ」を用い、それを人がくぐれるほどの大きさの輪状の形にして、
竹などを使って鳥居や参道などに立てたもの
茅の輪のくぐり方は、
「水無月の 夏越の祓いする人は ちとせの命 のぶというなり」という古歌、神歌、祓歌を唱えっつ、
左回り、右回り、左回りと八の字を描くようにくぐり抜けるのが一般的
現在、茅の輪を立てた水無月大祓は夏越の祓として全国の神社で広く行われている
八の字を描くようにくぐり抜けるのは、呪術の作法の一種と言われている
古代中国において禹歩は様々な邪気を払う呪術として用いられました。
(1)旅の安全祈願
(2)病気の治療法
(3)入山法(魔除け)
日本の禹歩は邪気を払う護身法という狭い分野で用いられました。若杉家文書小反閇作法并護身法では一つの手順として禹歩が行われて います。平安時代の陰陽師は邪気払い・護身法・身固めの呪術として執り行いました。
反閇とは道教の歩行呪術がわが国に伝来してそのように呼ばれるようになり、さまざまな儀礼や作法、あらゆる舞踊の基礎などに取り入れられた。すでに伝来していた陰陽道、日本で成立した修験道、儀式を整備した密教などの呪法を始め、神道の歩行作法、田楽や神楽、足踏みと跳躍とをする念仏踊り、歌舞伎の六方、猿楽から明治になり改称した能楽の足捌き、相撲の四股、江戸時代までの歩行法のなんば(難場)歩きなどに見られる。とくに星辰信仰による北斗七星の形のほか星の運行に合わせた歩行など、さまざまな足捌きをする陰陽道儀式には色濃く影響している。
【神道呪詛祓い・魔祓い】
天(あめ)切る、地(つち)切る、八方(やも)切る。天(あめ)に八違(やたが)ひ、地(つち)に十(とお)の文字(ふみ)、秘音(ひめね)。一(ひとつ)も十々(とおとお)、二(ふたつ)も十々、三(みつ)も十々、四(よつ)も十々、五(いつつ)も十々、六(むつ)も十々。ふっ切って放つ、さんびらり。
茅の輪の由来
備後国風土記逸文
「備後国の風土記に曰く。
疫隈の国社。昔、北海に坐しし武塔神、南海の神の女子をよばいに出でいますに、日暮れぬ。彼の所に将来二人ありき。兄の蘇民将来は甚だ貧窮。弟の将来は豊饒で屋倉一百ありき。ここに、武塔神宿る所を借りるに、おしみて借さず。兄の蘇民将来は借したてまつる。すなわち粟柄を以って座となし、粟飯等を以って饗たてまつる。ここにおえて出で坐す。のちに、年を経て、八柱の子を率いて還り来て詔りたまひしく、我は将来の報答を為す。汝の子孫、その家にありやと問いたまふ。蘇民将来、答えて申ししく。己が女子、この婦と侍りと申す。すなわち詔りたまひしく。茅の輪を以って腰の上に着けさしめよ。詔にしたがひて着けさしむ。すなわち、夜に蘇民の女子一人を置きて、皆ことごとく殺し滅ぼしてき。すなわち、詔りたまひしく。吾は速須佐雄能神なり。後の世に、疫気あれば、汝、蘇民将来の子孫といひて、茅の輪を以って腰に付けるある人は将にのがれなむと詔たまひしき。」
△備後國風土記曰
△疫隅國社△昔△北海坐志武塔神△南海神之女子乎與波比爾出△座爾日暮△彼所將來二人在伎△兄蘇民將來△甚貧窮△弟將來富饒△屋倉一百在△伎△爰武塔神△借宿處△惜而不借△兄蘇民將來借奉△即以粟柄爲座△以△粟飯等饗奉△爰畢出坐△後爾經年△率八柱子還來天詔久△我將來之爲報△答△汝子孫其家爾在哉止問給△蘇民將來答申久△己女子與斯婦侍止申△即詔久△以茅輪△令着於腰上△隨詔令着△即夜爾△蘇民之女子一人乎置天△皆悉△許呂志保呂保志天伎△即詔久△吾者△速須佐雄能神也△後世爾疫氣在者△汝蘇民△將來之子孫止云天△以茅輪着腰在人者△將免止詔伎(釋日本紀卷七)
この由来により、古くは茅の輪を腰につけたり、首に掛けたりして疫病除けとしていたものが、時代を経て参詣者がくぐるような大きな茅の輪に変わって行った
八坂神社と茅の輪
祇園祭にて授与される粽には「蘇民将来子孫也」と書かれた神符がついている。
この粽を門に掛けるとことは蘇民将来の子孫であることを示すということで、
八坂神社の御祭神である素戔嗚尊から必ず御加護いただける証し
この素戔嗚尊をもてなした蘇民将来命を御祭神とした「疫神社」では
祇園祭の締めくくりとなる7月31日、疫神社の鳥居に茅の輪を立て例祭を斎行
ご神饌には伝承の通りに粟を使ったお餅を供え、神前に茅の輪を立てて
皆でくぐることにより全ての悪疫、罪穢から免れるとされている
八坂神社では、この疫神社でのお祭りを「夏越祓」、6月の大祓「水無月大祓」として毎年斎行
水無月大祓で半年の罪穢を除き、来月の夏越祓で更なる御加護を受けていただきたい
「素戔嗚尊と蘇民将来の伝承を起源に、全国にこれほどまで広がっている茅の輪くぐり、
この原点である八坂神社の茅の輪をおくぐり下さい。」と記されていました。
茅の輪くぐり方
次の言葉を唱えながらくぐる
第1回「みな月のなごしの祓する人は千年(ちとせ)の命のぶというなり」
(捨遺和歌集・題不知、詠人不知・巻五 賀 292)
第2回「思う事みなつきねとて麻の葉をきりにきりて祓いつるかな」
(後捨遺和歌集・和泉式部)
第3回「蘇民将来 蘇民将来 蘇民将来」(繰返し唱える)
粟田神社では
「思う事 皆つきねとて 麻の葉を 切りに切りても 祓いつるかな」
「みなつきの 夏越の祓する人は 千歳(ちとせ)のいのち 延というなり」
「宮川の きよき流れに みそぎせば 祈れることの 叶わぬはなし」
出雲大神宮では
「水無月の 夏越の祓する人は 千年(ちとせ)の命 延というなり」
祓い歌について
【題】 不明
【作者】詠み人しれず(拾遺和歌集1204)
【歌】「みな月のなごしの祓する人は千年(ちとせ)の命のぶというなり」
【通釈】六月の夏越の祓えをする人は、寿命が延びて千歳の命を得るということだ.
六月祓の歌として著名。
【題】六月祓をよめる
【作者】和泉式部(後拾遺和歌集)
【歌】「思ふことみなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓へつるかな
【通釈】水無月の晦日(みそか)、私の悩みが皆尽きてしまえと、麻の葉を細かく切りに切って御祓いをしたことだ。
【語釈】◇六月祓(みなづきばらへ) 別名「夏越(なごし)の祓」。旧暦では夏の終りにあたる水無月の晦日(みそか)に行なわれた大祓。
◇みなつきねとて 皆尽きてしまえとて。「みなつき」は「皆尽き」「水無月」の掛詞。
◇麻の葉 細かく切ってお供えにした。
【補記】正集では結句「はらひつるかな」
【他出】和泉式部集、題林愚抄
【主な派生歌】
思ふことみなつきねとて御祓する河瀬の波も袖ぬらしけり(藤原俊成)
麻の葉にゆふしでかけて思ふことみなつきねとてはらひつるかな(但馬)
【題】 不明
【作者】不明 (伝承歌?)
【歌】「宮川の きよき流れに みそぎせば 祈れることの 叶わぬはなし」
【通釈】