『刀のこと 3(日本の太刀と、西洋の剣・ソードとの違いとは?)』
『日本刀が今の日本刀の形を成した平安時代以降の太刀と比較』
『武士の「太刀」と騎士の「ロングソード」戦わば、などと妄想を』
日本に両刃の剣がもたらされたのは弥生時代の後期(3世紀頃)と言われ、同時に鉄を加工する技術が伝来します。日本において刀剣と言うと、両刃ではなく片刃の刀剣が主流です。
一般的には『剣・ソード』とは、刀剣の一種として、両刃(両側に刃)の刀身を持った、反りのない直刀のことを指すと理解しています。 世界には様々な刀剣の種類があり、日本刀もそのうちのひとつで、多様化を見せる刀剣のうち、西洋においては古くから剣が主流です。 西洋の剣は、武具として発展していきましたが、日本においては武具として反りの付いた片刃の日本刀が発展してきました。
日本刀と外国の刀では使い方や特徴が違うと言われます。 日本刀は基本的に切れ味が重視されています。 また、刃の素材は硬軟2種類以上の鋼鉄を合わせて造られています。 そのため、刺すよりも切ることに重きを置いているようです。
その一方で外国の刀は切ることよりも突く・刺すことに重きを置いています。 刃の素材も1種類の鋼材のみで造っているのです。 このように構造や使い方が異なっているのです。 また、日本刀は基本的に種類が少なくバリエーションが少ないです。 それだけ研ぎ澄まされているのです。 しかし、外国の刀は種類が豊富でバリエーションもあります。 そもそもコンセプトが全く違う刀まであるのです。
これは日本では同一民族しかいなかったが、ヨーロッパなどでは外国人同士が戦うことが多くバリエーションが増えていったのだと言われています。 さらに観賞用の刀まで海外にはあります(日本刀は戦いのための武器ですが、家宝として飾って愛でる「観賞用」の意味合いが強いものでもあります)。 やはり、考え方や価値観が違えば刀も変わってくるということなのです。
刀の変形には、日本の『薙刀(当初は長刀・なぎなたと呼ばれた)』と中国の『偃月青龍刀(略称青龍刀』がありますが、少数派ですので今回の標題では取り上げませんでした。
先ずはウエブ情報の抜粋・引用から、長さや形状による日本刀の種類です。
日本刀のうち博物館などで展示されもっとも目にする機会の多いのが太刀です。 そのため、日本刀とは太刀のことだと思ってしまいます。 厳密には太刀より短いものを刀、さらに脇差、短刀と分類することができます。
- 太刀(たち)
平安時代後期~室町時代にかけて作られた刀身の長い日本刀のことを指します。 刀身の長さは70~80㎝、反りの強いことが特徴的。
- 刀(かたな)
室町時代の中期以降、江戸時代の末期まで主流となったのが刀です。 打刀と呼ぶこともあります。 長く大きく反りかえった太刀と違い刀身が60㎝ほどと短く反りも小さいのが特徴です。戦乱の世にあっては、すぐに鞘から抜けるように機能性を追求したということになります。
- 脇差(わきざし)
刀の補助として作られたのが脇差です。 長さは30~60㎝、日本刀の一種ではありますが、当時は刀ではないという認識から武士でない一般庶民も所持することが認められていました。
- 短刀(たんとう)
脇差より短い、刃長30㎝未満のものは短刀と分類されます。 帯刀を許されない席などで護身用として用いられたりしました。
ウエブ情報の抜粋・引用から、西洋の剣・ソードの長さや形状による種類です。
西洋における剣は、斬り裂くことを目的とした物より、突く、叩き斬ることで、その性能を発揮しました。最も、槍や盾が合戦の主武器であった古代では、とどめを刺す際の武器として、斬り裂いたり刺したりしていましたが、重い鎧が主流であった中世においては、鈍器や、両刃であることを活かした刺突武器として扱われていたのです。
なお、刺突した際に、刺した相手から剣を引き抜きやすくする目的として、中央には血抜きのための溝が作られています。
西洋には多くの国があることで、古来より大規模な戦争が起こり、剣が大量生産され、武器として長い間発展を遂げていきました。しかし、近世以降の重火器の台頭により、刺突に優れた細身の刀身を持つ剣が主流となり、装飾品としての意味合いが強まります。
西洋の剣の役割としては、日本刀と同じく、近接戦用の武器として用いられることがほとんど。しかし、剣は長く、隠し持つことが難しいことから、名誉ある武器とみなされ、日本における武士の精神である「武士道」のように、高潔な精神を表す「騎士道」の象徴として剣が見られることもあります。
現在の西洋の剣とは、競技となったフェンシングや、軍人の儀礼用剣、国旗の意匠などに見ることができるのです。
中世剣史を代表する剣『ロングソード』
ウエブ情報から引用
中世初期にノルマン人が使用していた『ブロードソード』や、その影響を受けて作られた『アーミングソード』から発展・進化して、中世後期に誕生したロングソード。 11世紀から13世紀の中世ヨーロッパで発展を遂げた騎士達の剣は、14世紀になるとロングソードとして完成され、西洋の戦場に革新をもたらし、当時の騎士達にとって欠かせない武器となりました
騎士を象徴する剣『ロングソード』は中世初期の剣よりも少し『長い』剣身に改良され、『両手』で握りやすいようにグリップ(握り)も長い物へと変化します。 一般的に全長は80~95cmほどで、大きな物は1mを超える物も作られました。
真っ直ぐで両刃の剣身は、鋒が非常に鋭利で、なかには針のように極端に先細のロングソードもあります。 斬撃と刺突による攻撃で『板金鎧』を貫くほどの威力を持っていたと言われており、甲冑(鎧兜)が進化した戦場でも万能に使える武器でした。
ヨーロッパで広く使われた鎌形刀剣『ファルシオン』
兵士だけでなく市民も持っていた万能な刀
ウエブ情報から引用
西ヨーロッパでは、14世紀から16世紀にかけてイタリアを皮切りに、古代文化の復興が盛んとなり、ローマやギリシャの古典的な芸術や学問などが取り入れられるようになりました。 この時代はルネサンス期と呼ばれ、中世後期から近代にかけて西洋全体で大きな復興運動となったのです。 この影響を受けてルネサンス期に流行したのが、ファルシオンという刀剣。 。
中世・ルネサンス期の西洋剣で最も巨大な剣・ツーハンドソード』
ドイツ生まれ『ツヴァイハンダー(刃渡り2ⅿ)』
(日本刀の斬馬刀並みの破壊力)
ウエブ情報から引用
その名の通り両手で扱うために作られた剣で、短い物で180cm、長い物では刀身だけで、2mあるような物も存在していました。形状は中世騎士の代表的な剣であるロングソードのような一般的な剣と同様で、ロングソードをそのまま巨大化した物がツーハンドソードだと言えます。
ツーハンドソードは、もともとドイツで作られていた『ツヴァイハンダー』という巨大な剣を起源としていて、15世紀から16世紀に西洋全体に広まりました。ツヴァイハンダーが作られた背景には中世の甲冑(鎧兜)が関係しており、当時の防御力に優れた金属製の「鎧」に対抗する「武器」として考案された。
このツヴァイハンダーの使い手であるドイツ兵士が、神聖ローマ帝国の傭兵として雇われたことで、ツーハンドソードへと発展を遂げたのではないかと考えられています。 (『必要は発明の母』ともいわれます。イスラム騎兵がいかに強かったかが想像できます。)
また、この傭兵達が使用していたと見られるツヴァイハンダーには、敵の剣をはね返すための突起が、剣身のガードに近い部分に取り付けられていました。 こうして西洋では甲冑(鎧兜)の進化と共に、ツーハンドソードやツヴァイハンダーなどの巨大で強力な武器が開発されたのです。
兵士の必殺武器・短剣『ダガー』(日本刀の鎧通し)
最後の一撃を与えるための小さな剣
ウエブ情報から引用
西洋では「古代ローマ」の時代から兵士の予備武器や暗殺武器として「短剣」が用いられていました。 中世から近世の西洋でも、長剣や長柄武器に引けを取らないくらい短剣が戦場で活躍したのです。
十字軍の騎士が長柄武器などと共に携えていたのがダガーでした。中でも、一般的に使われていたのは「アンテニー・ダガー」という種類の物。アンテニーとは「カタツムリの触覚」という意味で、ポンメル(柄頭)に2本の丸い角飾りが取り付けられているタイプの物です。このアンテニー・ダガーは「リング・ダガー」というポンメルにリングが付いているタイプのダガーから発展した物で、どちらも当時の戦場で活躍していました。
重装騎兵の活躍、ルネサンス期に最も活躍した『ハルバード』
日本の武器『鎌槍』以上の、馬・鎧への破壊力
ウエブ情報から引用
多くの武器が登場したルネサンス期に、接近戦で最も有効的に使われていたのが「ハルバード」というポールアームです。
全長2.5~3mと大きな物が多く、形状としては、縦に伸びた槍と横に広がる斧を合体させたようなブレードに長いシャフトを付けた物で、ハルバードという名称も、ドイツ語で「ハルム」(棒)と「バルテ」(斧)をくっ付けた造語だと言われています。
ここまで、外国の刀・長剣・ソードと日本の太刀との比較になりましたが、標題の『武士の「太刀」と騎士の「ロングソード」戦わば』などは、当面考えないことにしました。
(記事投稿日:2022/12/11、#609)