知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『「近代写真の成立と分岐」、日経新聞文化欄に掲載され、写真撮りは下手の横好きでも、早く出会いたかったのは、この貴重な情報』

2024-05-14 18:27:16 | 寺院・仏閣・神社・お社

『「近代写真の成立と分岐」、日経新聞文化欄に掲載され、写真撮りは下手の横好きでも、早く出会いたかったのは、この貴重な情報』

『二人のアマ・プロ写真家(安井仲治と木村伊兵衛)の展覧会を立て続けに鑑賞、傘寿プラスには、随分遅れてしまった感あり!』

『この機会に初めて東京都写真美術館に! 日本における初の本格的な写真映像の文化施設として設けられた美術館。 個人名を冠したものを除いた写真一般の美術館としては日本初、この美術館界隈は、海外の街を彷彿させるほどの雰囲気で、写真映え・フォトジェニックでした。』

日本近代写真をけん引した2人の写真家の展覧会が開催されていました。 『関西を中心に活躍したアマチュア写真家の安井仲治(1903~1942年)と、関東が拠点のプロ写真家の木村伊兵衛(1901~1974年)です。 それぞれの写真家が自らの「リアル」のために写真にしかできない表現を探求していたさまが浮かび上がる』と解説がありました。

安井仲治は、1920年代から1940年代初頭まで、関西を中心に活動をした戦前期の日本写真史を代表する写真家です。 日本の写真が、世界的な傾向と同時代性を持って表現されるようになった最初期において、安井仲治は様々な新しい芸術理論を積極的に受け入れ、それらをいかにして当時の日本で展開していくかを極めて深い次元で考えていました

写真は芸術になり得るのか、安井が活動を始めたころ、写真はただの記録手段でないことを証明しようとしていた。 芸術写真の隆盛だ。 それが写真を機械としての特性を活用する新興写真、シュールレアリスムなどの影響を受けた前衛写真へと展開していった。

安井忠治の作品『凝視』

 ウエブ情報から引用

安井忠治の作品『山根曲馬団 馬と少女』

ウエブ情報から引用

木村伊兵衛は、20世紀に活動した日本の写真家。 戦前・戦後を通じて活動した日本を代表する著名な写真家の一人。 報道・宣伝写真やストリートスナップ、ポートレート、舞台写真などさまざまなジャンルにおいて数多くの傑作を残している。

当時、最先端だった小型ライカを持って街角でスナップ撮った。 沖縄、昭和の日本、中国、パリと年代の違う作品が並ぶが、どれもがピントがしっかりと合っていて色調もぶれず、一貫している。

木村伊兵衛の作品『街角』

ウエブ情報から引用

畏れ多い比較になりますが、写真が下手の横好きなだけの傘寿プラスですが『昔は、風景の中に人物が入るといなくなるのを待ちましたが、最近は人物が入るのを待つようになりました』。

木村伊兵衛の作品『秋田おばこ』

ウエブ情報から引用

両巨匠の写真を、年老いてから、鑑賞して分かったことですが『なぜもっと早く、素晴らしい本物の作品を鑑賞する機会がなかった』のかと、ため息ばかりでした。
(記事投稿日:2024/05/14、#747)

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