知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『世界の城郭 10(歴史上の最大城郭都市は、城壁ではなく、堀代わりの運河で守られた、オランダ・アムステルダムの防塞線)』

2020-08-26 21:15:36 | 城・城郭・城塞

『世界の城郭 10(歴史上の最大城郭都市は、城壁ではなく、堀代わりの運河で守られた、オランダ・アムステルダムの防塞線)』 

  広さで世界最大の城郭都市は、南京(南京城面積:248㎢)でもなく、パリ(パリ市面積:87㎢)でもなく、なんとオランダの城郭都市、アムステルダムでした。『アムステルダムの防塞線(面積:490㎢)』と呼ばれています。 小田原城とその支城ネットワークは規模は、それより更に大きいのですが、城壁や堀で囲まれた集合体ではありませんので、比較になりません。

 アムステルダム防塞線

ウキぺデイアより引用

 『アムステルダムの防塞線』はオランダにある世界遺産登録物件の一つ。 アムステルダムの防塞線はオランダのアムステルダムにある『42の要塞』が配置された全長135kmに及ぶ堤防です。 この防塞線は1880年から1914年にかけて建設され、各要塞はアムステルダム中心部から10-15kmに位置しており、アムステルダムの街中を水没させることにより防衛機能を働かせるためにつくられました。 冠水時の水深は30cm程度で、ボートが使えないように配慮されていた。 また、防塞線の1km以内の建造物は、可燃性や可動性を考慮されて木製だった。

 

 水上ボートによる上陸を阻むため深さは30cmほどになるようににつくられましたが、実際には完成後は飛行機や戦車が実践に投入されたことから使用されることはありませんでしたが、1963年までは実践に備えられるよう手入れがなされていました。なぜこのように時代遅れの産物になってしまったかについては、建設の法律がなされた際に、建材をコンクリートでつくる必要があったが、建築技術の遅れにより着工が法律制定後の23年後になったからだといわれています。

  城壁ではなく、海面より低い土地が多いオランダならではの、水による防衛法である。しかし完成したのは戦闘機の活躍する20世紀になってからで、実際に防塞線として機能することはなかった。

 ザーンセ・スカンスの風車群

ウキペデイアより引用

  この風車群は、アムステルダムの中心街と北側の防塞線の中間に位置してます。 風車数は現在は約1,000基ですが全盛期は10,000基以上あったと言われてますので、堀代わりの防塞線は、こんな風景だったと想像ができます。 防塞線は『冠水時の水深は30cm程度で、ボートが使えないように配慮されていた』とありますので、日本の岡山県津山市の神楽尾城と。埼玉県比企郡嵐山町の菅谷館跡の泥田堀(どいたぼり)のことを思い出しました。 

  最後に日本でも見られる風車の夕景です。 地元の写真同好会の作品展に展示したところ、多くの問い合わせ『どこで撮りましたか』がありました。 やはり風車は、絵に・写真になります。 夕景が最高です。 

 印旛沼のほとりの風車の夕景です。

                    (20200826纏め #210)


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