知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『世界の城郭 8(世界最大は南京城、古代最大は元の大都城)』—江戸城総構えの面積は、公表8,082ha(約81㎢)だが、実際は南京城に続く第二位― 

2022-07-05 16:35:13 | 城・城郭・城塞

『世界の城郭 8(世界最大は南京城、古代最大は元の大都城)』

「江戸城総構えの面積は、公表8,082ha(約81㎢)だが、実際は南京城に続く第二位」

江戸城も大きな城郭都市ですので、『隅田川の一部と東京湾(当時の呼称は内海・江戸前海)の一部』を外濠と見立て、大きさを体感するために、隅田川べりの『浅草橋の始発』から、中央線沿いに、お茶の水―水道橋―飯田橋―市ヶ谷、さらに、銀座線沿いに、四谷―赤坂見附―溜池山王―虎ノ門―『浜離宮公園を終点』として、何回かに分割しての、この外濠と外濠跡散策を三回繰り返しました。 

江戸城総構えの面積は、公表8,082ha(約81㎢)で、『隅田川の一部と東京湾(当時の呼称は内海)の一部』 で推定すると、南京城に続く、堂々の世界第二の規模になります。 この島国で、やはり『昔の日本は、日本人は凄かった』です。


江戸城は武蔵野丘陵の先端にありますので、江戸城の分割された堀の水位の違い(iPadの国土地理院地図で確認)当然、その区切り・仕切りに土橋が必須、これには、新鮮な感激を覚えました。 専門の先生方も半蔵門と土橋については、いろんな説明をされております。 土橋は堀の水位差維持の仕切りのようです。

江戸城の堀の水面の海抜です。(またまた、脱線)
 海抜23ⅿ:千鳥ヶ淵、半蔵掘
 海抜18ⅿ:天神掘、
 海抜10ⅿ:桜田掘、牛ヶ淵、蛤湾
 海抜 9ⅿ:清水掘、二重橋堀、乾堀
 海抜 8ⅿ:大手堀、平川堀、桔梗堀、上・中・下道灌堀
 海抜 6ⅿ:凱旋掘、日比谷掘、馬場先掘、和田倉掘、桔梗堀

それにしても、世界の城郭都市のトップ3に入る、江戸城の複雑で立体的な縄張りと、江戸の水利(上下水道)プロジェクトは、徳川家康傘下の奉行で誰が担当したのかも、興味津々です。

この拡大解釈『隅田川の一部と東京湾(当時の呼称は内海)の一部』でも、今回の南京城には及びません。 やはり『白髪三千丈』と、表現豊かな国、中国は、実際面でも『万里の長城』や『京杭大運河全長1794㎞』が凄いです。

城郭都市『パリvs北京vs東京(江戸)』を調べていたら、けた外れの大きさの南京城に驚きました。 日本人である自分は南京には、ある意味で距離を置いてきていました。 清時代の北京城を除くと、世界最大の城郭都市『パリ城』よりも中国の首都である城郭都市『明の南京城、元の大都(北京)城、唐の長安城』が、世界の『ビック3』になります。 歴代の北京城ですが『内城』に、『外城』を繫げた『凸型(平面図)』になってますが、『内城』を『外城』を囲んで『回の字型』を考えていたようです。

❶明時代の南京城(面積:248㎢)ウキぺデイアより引用


 
南京市を取り巻く明代の城壁(ウキぺデアから引用)万里の長城並み

南京城は。明朝の時代に、21年の歳月と20万人の労働者を動員して首都であった南京に建設された城で、4重の守りに、外郭(外城)、内城(京城)、皇城、宮城を持つ。 城門は甕城で防御力が高められて、南京甕城は城壁に囲まれた城壁都市であり居住者の大部分が城壁の内側に住んでいた。

甕城(城壁の内側か又は外側、日本の『馬出し』の原型か)

 ウエブ情報から引用

明王朝の時代の南京城は世界古代史上敷地面積最大の都市であり、 宮殿の面積だけで1.16㎢、皇族が住む皇城は6.53㎢、内城の面積は55㎢、そして外郭も含めた都市全体の面積は248㎢と非常に広大であり、唐の長安(面積87㎢)の二倍以上、明・清王朝時代の北京城(面積60㎢)の四倍以上の広さを誇っていた。山手線の内側の面積が63㎢で、欧州最大の城壁都市だったパリ城の面積78㎢。 

 

❷元時代の大都城(面積:90㎢)

ウエブ情報から引用
 

大都(だいと)は、モンゴル帝国(元朝)のクビライ・カアンが1267年から26年を費やして現在の北京の地に造営した都市で、元朝の冬の都(冬営地)である。 現在の中華人民共和国の首都の北京の直接の前身であり旧市街に匹敵するほどの規模を持つ、壮大な都市だった。 

 

❸唐時代の長安城(面積:87㎢)

ウエブ情報から引用

唐大明宮含元殿遺跡

漢代に長安と命名され、前漢、北周、隋などの首都であった。唐代には大帝国の首都として世界最大の都市に成長した。 シルクロードの起点とされることもある(シルクロード:長安-天山回廊の交易路網)。 また西都(さいと)、大興(だいこう)、西京(さいきょう)と呼ばれていた時期もあった。

この「城」というのは、周囲を城墻(城壁)に囲まれています。 日本の「京」は首都で、中国も同じです。 平城京以降、日本で新たに造られる「京」はこの長安城に倣うようになります。 (藤原京のモデルとなった都城は、同時期に実在した中国の都城の中には発見されないようです。) 

 

❹清時代の北京城(面積:60㎢)

 

北京城 内城の紫禁城(景山からの神武門の眺め)ウキぺデアより引用

城郭・宮殿で最大はルーブルと思ってましたがさらに大きいのは拡大をし続けたパリ城郭都市でした。 実は、もっと大きな城郭都市、むしろ、城郭国家の名が相応しいと思うのが万里の長城で囲まれた国家・中国だと思います。
   (記事投稿日:2020/06/09、最終更新日:2022/07/05、#175) 


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