知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『世界の城郭 19(フランス領土はヘキサゴン、米国国防省がペンタゴンで、』  『世の中には「形から入って形からいでよ」と、よく言われますが』

2021-12-08 18:55:00 | 城・城郭・城塞

『世界の城郭 19 フランス領土はヘキサゴン、米国国防省がペンタゴン』 

『世の中には「形から入って形からいでよ」と、よく言われますが』

五角形のペンタゴンの俯瞰映像は、映画やニュースでよく見る機会がありました。 同時多発テロでも狙われました。 が、なぜあの形なのか、不思議に思っていました。 最近知ったのですが、フランス領土の形が六角形のヘキサゴンであることを知りました。 その六角形の六辺のうち三辺が『陸』の国境ですので、フランス陸軍は強くなりました。 『ある時期は』ですが、そのフランス陸軍より強かったのは、ドイツ陸軍・機甲軍団です。 半分以上の国境線を『陸』に持つ大国の陸軍は、昔・戦車戦の時代は、強くなりました。

先ずは米国ペンタゴンの形の不思議からです。

ペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)

ウキペデイア情報から引用

古い情報ですがワシントン・ポスト紙によると、米国防総省の建物が五角形になっているのは、次のような経緯があったとされる。

1941年に陸軍省庁舎の新築計画が持ち上がり、建設用地としてワシントンのアーリントン国立墓地近くの農業試験場が選定された。 その地形が歪な五角形をしていたため、庁舎も五角形の設計になった。 ところが、アーリントン国立墓地の景観を損ねるとの意見が大きくなり、用地を南へ1マイル半の場所に移すことにした。 その場所は正方形であったが、太平洋戦争に突入し、急を要したため、元の五角形の設計のまま建設することになった。』 善は急げ・臨機応変に感心しました。

『表題のフランス領土の形はヘキサゴン』に戻ります。

地勢は全体的に平坦で、総面積の約62%が標高250メートル以下の平野や丘陵の巨大な農業国家で、約37%が標高2,000メートル以下の山地、約1%が高山になります。 また、地形はおおむね六角形で、各頂点を結ぶ対角線の長さが約1,000キロメートルになります。

フランスが、六角形という形になったのは、地理と歴史の偶然です。 西側に突き出したブルターニュは、15世紀にブルターニュ公の相続者だったアンヌ・ド・ブルターニュがフランス王との結婚によってフランスにもたらした地域です。 

十六世紀のフランス王、フランソワ一世は、本当はアルプスの向こうのイタリアも欲しくて戦争をしたのですが、反対に捕虜になったりして、イタリアを得ることはできませんでした。 ナポレオンはピレネー山脈の向こうのスペインに野心を抱きましたが。これも失敗しました。 

‎反対に、イギリスとの百年戦争は、イギリス王がフランスをイギリスの領土にするための戦争でした。 (いつの時代も、どこの島国も大陸への侵攻は難しかった。 ) イギリスがこの戦争に失敗しなければ、フランスの西半分はイギリス領になっていたかもしれません。 (ジャンヌ・ダルク様様です。 ) 他にも結婚や戦争はたくさんあったし、その一つ一つの歴史的な事件の結果として、今の形ができあがったのです。‎

 

このように、フランスの国の形が六角形に似ています。

ウエブ情報から引用

 

 ウエブ情報から引用

フランスは、歴史上、何度も覇権・領土争いをした英国とは、ドーバー海峡とイギリス海峡を挟んでますが、100年戦争までやってます。 ドイツとは国境は山岳エリアで大西洋寄りとイタリア寄りには緩衝地帯として、ベルギーとスイスが入っている地形から、ドイツ(とプロシア)とは短期戦を三回だけです。

 

イギリス海峡とドーバー海峡

ドーバー海峡(Strait of Dover)は、英仏を隔てるイギリス海峡の一部で、最狭部で、フランス語ではラ・マンシュ海峡東部(la Manche orientale)、またはカレー海峡( Pas de Calais)と呼ばれています。

 

ヘキサゴンの形のフランスですが、長い歴史の中で領土を、英国に半分も侵略されたこともあり、一番厄介な相手であったようです。 ほぼ円形の首都・巨大なパリは、拡大フランス領土の中では、英国とドイツ(プロシア)に近い領土内の東北部に位置してますが、世界最大の要塞都市です。

 

世界最大規模の城郭・宮殿(敷地面積で比較)は、次の通りです。

第1位『議事堂宮殿(ルーマニア)    33万㎡』  

第2位『ホーフブルク宮殿(オーストリア)24万㎡』

第3位『ルーブル宮殿(フランス)    21万㎡』

 

『パリ』は、桁が違い、10.500万㎡で、行政地区を含みますが、昔から城郭都市として拡大し続けてきました。 やはり名実ともに世界最大の城郭都市です。 島国、英国を除いたヨーロッパ大陸の諸国家の覇権争いの凄まじさとパリの巨大さの想像ができます。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウキペデイア情報から引用

ティエールの城壁が描かれた1911年当時のパリの地図

フランスのリーダーたちは、歯に衣は着せずはっきりと物申す、大陸国家の典型です。 日本との比較で益々、フランスの為政者・リーダーたちの言動からは目が離せません。

(記事投稿日2021/12/08、最終更新日:2023/09/23、#439) 

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