私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

境界明示

2010-10-17 | 10住む・暮らす
境界明示は、土地の売却を行う場合、売主が所有する土地の境界を接するすべての地権者との間で、境界線をはっきりさせる行為であるらしい。

売主自らが折衝にあたるのではなく、土地家屋調査士なる国家資格の保持者に依頼し、確認書類を作成してもらうことで成立する。

これを、造成から50年近く経った、古い団地の土地を手放すに際して行った。

住宅団地であるから、隣家との境界には塀や石垣、道路などが存在する訳だが、その塀の手前なのか向こうなのか、はたまた真ん中なのか、石垣のどの水平線部分を境界としてとるのかなどなど、意見の相違を見る争点は存在するようだ。

それがどちらに転がろうと、土地自体の平米数や、地価自体に大きな変動はないと思われるのだが、その境界の位置によって、塀などが壊れた時に誰の負担で修繕するのかといった権利責任問題が生じる訳で、ご近所づきあいの中で日頃の不平・不満が潜在する時には、境界確認作業を契機にそうしたマイナスの意識が爆発することも少なくないという。

今回のケースでは、四方の隣家とのお付き合いが皆無で、軋轢もない状態であったが、ちょっとした意識の違いは表面化した。

持ち主も代わり、造成当時の情報は、幼い私の記憶にあるばかり。
現場の状況を照会しつつ、坦々と記憶にある事実を語り、最も妥当なラインに辿り着く。

ぶれることなく、ゆるぎなく、熱くならず、粘り強く坦々と事実を提示し、積み重ねる。
そうして、四方の持ち主の納得を得、境界の確認がなされた。

国家の境界も、そうした積み重ねでしか解決されない。
日頃の潜在的な不平・不満は渦巻いていたろうが、わが国の選出した土地家屋調査士は、救いようのないヘタクソだったと思わざるを得ない。


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