斎藤秀俊の眼

科学技術分野と水難救助、あるいは社会全般に関する様々な事象を一個人の眼で吟味していきます。

公共・報道の怖さ

2010年12月05日 08時41分39秒 | その他
ある中学校で課題を出した先生が「これをやらないと呪いにかかりますよ」とコメントをつけて問題になったとか。もちろん、冗談に決まっていますし、それをどうこういったところで、冗談なんだから、「先生もいろいろと工夫しているな」程度でよい問題です。でも、地元で問題視しているのが、それを「公共」の場あるいは方法において冗談を言った、載せたというところなんでしょう。冗談を言う権利、冗談をうまく使いながら円滑に進む社会的な雰囲気は絶対に守られなければなりません。でも公共性の高いところでその権利を行使するときには慎重にならないといけません。

ある高専に1週間のうち少々の時間だけ講師として非常勤で通っている人が事件で逮捕されました。その人は高専以外の教育機関にも非常勤で通っている人です。すでに報道されていますが、なぜか「○○高専の非常勤講師」として新聞に掲載されています。その人、たまたま○○高専でアルバイトしているだけですから、その高専に時間外の監督責任はありません。名前を挙げられた高専はたまったものではありません。○○高専の公共性の高さを考えたら、報道内容が適切なのかという疑問を持ちます。

「情報は全部公開せよ」という意見がありますが、それを正確に伝える・理解する能力に欠けている社会において、その考え方は危険だと私は思っています。公共性が高くなるほど、内容に慎重を期さなければなりません。要するに冗談とか、不正確な見解とか、私事とか、そういうものの割合が低くならないとなりません。

公共・報道は、どちらも慎重に対応しないと、意図しない方向に流れるので、ほんとうに怖い。




着衣泳のホームページ http://hts.nagaokaut.ac.jp/survival/surindex.htm
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« テクノ探検隊ロケ(実験風景) | トップ | 交通事故 »
最新の画像もっと見る

その他」カテゴリの最新記事