斎藤秀俊の眼

科学技術分野と水難救助、あるいは社会全般に関する様々な事象を一個人の眼で吟味していきます。

「異常と思わないのが異常だ」というけれども。岡山の用水転落

2016年03月24日 00時00分43秒 | 斎藤秀俊の着眼
「異常と思わないのが異常だ」
タイトルが衝撃的ですが、内容は我が国の水難全部に共通していることです。

確かに、山陽本線で広島から岡山に入るとすぐに岡山に入ったとわかる景色が、用水の多さです。とにかく多い。網の目を張るかの如く用水がめぐっており、しかも特に柵も見当たらず、まるで土地そのものに用水が溶け込んでいるような錯覚さえ覚えます。

いつも山陽本線から、岡山って水難のほとんどが用水に落ちる事故だよなあ、と思いながら通り過ぎているのですが、新潟に住む私がいくら水難学会の会長だからと言って、岡山県までのりこんで「何とかしなければ」というのも現実的にどうかと思うし、しかも用水の水面が土地の高さとそれほど変わらないし、流れが極めて緩やかだし、よそから「危ない」と言われても、ピンとこなければ、「そうかなあ」で終わってしまいます。

さて、岡山県では、用水に転落して3年間で31人が死亡だそうです。
「多くが「歩行中」の事故で、実は全国でも1位が釣り・魚とり、2位が歩行中で、3位の水泳中よりも死亡者が多い事故携帯です。別に岡山ばかりの問題ではありません。」と解析したのですが、ただしちょっと特殊なのが、「交通事故死亡者全体に占める用水路などへの転落死者数の割合は、27年は約14%で全国平均(2・4%)の約6倍だった。転落事故に占める自転車の割合も83・3%で全国平均(34・3%)の約2倍という」ところで、交通事故にカウントされてしまうと、水難にカウントされないという点で、盲点だと思いました。

さて、異常と思わないという点ですが、大昔から水難はそうです。最近は聞かれなくなりましたが、昭和の時代などは、「神様が命を連れて行った」とまで言われ、実は今でも東南アジアの田舎ではそうやってあきらめると、多くの水難の研究者が話しています。そして、さりとて事故解析がされず人類の有史以来ずっと続いてきています。我が国には水難の研究者がつい最近までいなかった状態ですし、今でも水難の研究を専業でやったら、食べていくことができない。

交通事故には多くの研究者が専属でいて、事故防止ならびに事故が起きても最小限の人的被害に食い止める研究がなされていますが、水難にはいない。この点からも我が国は水難に関して「異常と思わない」ことがよくわかります。

岡山県では、予算を付けて対策をするということですが、水難の専門家がいない現状で、よくぞ立ち上がりました。