斎藤秀俊の眼

科学技術分野と水難救助、あるいは社会全般に関する様々な事象を一個人の眼で吟味していきます。

昔読んだ漫画で

2013年11月15日 04時24分44秒 | 高専訪問記
トッキュー!!という漫画があります。原作:小森陽一、作画:久保ミツロウで、週刊少年マガジンに2004年6号から2008年33号まで連載されました。海上保安庁羽田特殊救難基地をモデル題材としていて、タイトルの由来は「特殊救難隊」の略称「特救隊」からとっています。その漫画の中で近藤慶太郎(大浜商船高等専門学校航海科教官)が出てきます。当時、大浜商船高等専門学校ってどの商船高専が題材となっているのかな?と思い調べたら大島商船高専でした。

漫画の中で、羽田特殊救難隊に勤める主人公が大浜商船高専を訪れ、昔の恩師である近藤教官と一緒にポンドで泳ぐシーンが出てくるのですが、それがこれかな?と思い撮影しました。


創立110 周年・高専創立40 周年記念式典で小森さん(知り合いでもあります)が講演しているのですね。

大島商船高専訪問2

2013年11月15日 03時08分40秒 | 高専訪問記
大島商船高専の慰霊塔です。
慰霊塔は、国内の商船高専それぞれにあります。
大島商船高専では、毎年9月に慰霊祭が執り行われます。


ちなみに戦没・殉職船員追悼会という、全国の商船学校の練習中に遭難した方々も含めて慰霊される追悼会は、時には天皇皇后両陛下の行幸を賜るほどの重い行事であり、各商船高専で行われる慰霊祭も重い意味を持ちます。

高専の資料館の見学をしました。もっとも心がひきつけられたのが練習船防長丸の遺品です。


防長丸は、大正14年2月24日に神津島沖で遭難しました。その遺品がこれらです。

大正末期に全国の公立商船学校は11校ありましたが、学校専用の練習船を所有していたのは、 函館商船の函館丸(358総トン)、鳥羽商船のあまき丸(300総トン)、広島商船の芸備丸(195総トン)、大島商船の防長丸(270総トン)、鹿児島商船の霧島丸(997総トン)。

防長丸の遭難と昭和2年3月9日の霧島丸の遭難などがきっかけとなり、昭和3年2月の第55帝国議会において、 練習船2隻の建造予算案187万 4,600円が昭和3年度及び4年度の継続費として認められたそうです。

練習船は、商船高専にとって将来の海運日本を担う学生の命を預かる、たいへん重い存在です。

大島商船高専訪問1

2013年11月15日 02時46分58秒 | 高専訪問記
大島商船高専にお邪魔しています。
瀬戸内に3つの商船高専がありますが、弓削と広島は船で高専のある島に渡りますが、ここ大島商船高専は本州と橋でつながっています。今日は山陽本線柳井駅で下車しました。初めて降りる駅で、写真におさめました。


電車に揺られている間に撮影しましたが、これが周防大島にかかる大島大橋です。高専は周防大島にあります。最寄り駅は大畠という駅で、大畠から自転車で20分と高専のホームページに書いてありました。途中、この橋を渡るわけで、校長先生曰く、「自転車に乗ってもほとんど押して歩くようです」確かにだいぶ高いところにかかっていますね。


高専に到着しましたら、さっそく石田廣史校長先生はじめ皆様にご挨拶申し上げて、大島商船高専の見学が始まりました。
早速の写真ですが、商船高専に来たら、やはりこれでしょうということで、練習船大島丸の着岸作業の様子です。ちょうど航海実習から4年生が戻ってくる時間だということで、見学にいきました。


実習生が全員船上に出て着岸作業に入る様子です。かっこいいですね。



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