今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

白水阿弥陀堂(福島県いわき市内郷白水町広畑221)

2024年04月07日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年10月14日

白水阿弥陀堂
東北6県を巡る旅が今回が最後と決めていたので、訪れたことのない場所を選んできた
この旅に出る前、9月の台風13号から変わった熱帯低気圧による大雨で阿弥陀堂が被害に遭ったということをニュースで知った
どのような状態になっているのか、気になっての再訪である

福島民報YouTube「ドローンによる空撮 いわき豪雨」<下記をクリック>
白水阿弥陀堂+台風による被害 - Google 検索

公園駐車場には車は駐まっていたが、参拝者は私一人であった

これは、豪雨から一ヶ月後の様子である



鯉が元気よく泳ぎ口を開けて餌をまっていた池もこのような状態である



真言宗智山派の寺院・願成寺が「阿弥陀堂」を所有する



受付所から阿弥陀堂への道は以前と変わらないと思っていたが、汚泥を除去し砂利を敷き詰めたそうだ



橋の床板がくすんだ色をしているような気もする



水の無い部分は本体の池の底ではなく、流れ込んできた汚泥だという



白水阿弥陀堂(国宝)



平安時代末期の永暦元年(1160年)に、岩城則道の妻・徳姫(藤原清衡の娘)によって建立された
徳姫は、夫・則道の菩提を弔うために寺を建てて「願成寺」と名付け、その一角に阿弥陀堂を建立した



阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれ、正面に当たる南から中の島を経由して堂にいたる参拝道が設けられている
さらに北・東・西は山で囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は平安時代末期に盛んだった「浄土式庭園」の様を成している



これらの構造は、徳姫が奥州藤原氏の娘であることも手伝って、毛越寺や無量光院といった平泉の寺院の構造に影響を受けている



「白水」という地名は、平泉の「泉」という文字を2つに分けたもので
岩城氏の本拠地であった平という地名の由来も平泉の「平」を取ったものだという説がある



桁行と梁間はともに3間、一重の宝形造、屋根はとち葺である

境内一帯が水没し、国宝の阿弥陀堂も約20cm床上浸水した
「須弥壇」の上にある重要文化財の仏像5体までは浸水せず、建物にも損傷はなかった



堂内の仏像
木造阿弥陀如来及両脇侍像 3躯(重要文化財)
木造持国天立像(寺伝広目天像)・木造多聞天立像 2躯(重要文化財)

堂内の仏像を「いわきデジタルミュージアム」で(下記をクリック)
白水阿弥陀堂|いわきデジタルミュージアム



帰り際に受付の人に尋ねてみると
現在、池の水を抜いて汚泥を乾燥させているとのこと



その後、重機で汚泥を取り除き、水を入れると説明してくれた



紅葉にはまだ早いが数本の木を見つけ撮ってみた



石仏









今回が最後になるかも知れない「白水阿弥陀堂」



撮影 令和5年10月14日

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