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今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

東京国立博物館 その2(東京都台東区上野公園)

2015年11月18日 | 博物館・美術館・記念館
東京国立博物館
日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館



「BVLGARI」の至宝展が開催されていた。



「太刀」:長船長光(国宝)
長光は、鎌倉時代後期の備前国(岡山県)長船派の刀工。長船派の祖・光忠の子とされる。



「太刀」:古備前友成(国宝)
古備前派は、平安時代中頃に興った備前国の日本刀刀工一派の総称
一条天皇に召し出された「友成」が祖と伝わり、平安時代の中頃である永延頃から興ったと伝えられる



金銅五種鈴(重要文化財)



金銅火焔宝珠形舎利容器(重要文化財)



千手観音菩薩坐像・四天王像






虚空菩薩立像(国宝)
国宝だがここでは自由に撮影できる



寺で撮影禁止の理由を尋ねると「文化財に指定されているから」とか「仏様には魂が入っているから」と応える



本当のところはどうなんだろう



阿弥陀如来立像






地蔵菩薩立像(重要文化財)



地蔵菩薩立像



博物館が所蔵しているものについては撮影が許可されているが、それ以外の展示物については撮影が禁じられている
 


撮影 平成27年10月14日
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東京国立博物館 その1(東京都台東区上野公園)

2015年11月17日 | 博物館・美術館・記念館
東京国立博物館
日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館

「老人の首」:高村光太郎
日本を代表する彫刻家であり、画家でもある。『道程』、『智恵子抄』等の詩集が著名
智恵子がモデルとされる「乙女の像」(青森県十和田湖畔)に惹かれていた時の記憶が甦ってきた



展示している作品が多いため、気に入ったものだけ撮った






「鷲置物」:鈴木長吉(重要文化財)
獲物を狙う岩上の鷲を写実的にあらわした青銅製の置物



この鷲の置物は、米国シカゴ・コロンブス世界博覧会の日本側博覧会事務局の依頼で製作したもの



この作品を見たとき、鳥取県の水木しげるロードにある「妖怪のブロンズ像」を思い出した



「烏有先生像」:平櫛田中
田中(でんちゅう)は写実的な作風で、近代日本を代表する彫刻家の一人
ケース内に展示されているため、室内灯が反射してしまう



浅草寺の雷門の背面(境内側)にも、田中による天龍像が設置されている



「執金剛神立像」:竹内久一
明治時代の彫刻家。岡倉天心に協力して東京美術学校が開校すると、久一は彫刻科の教師となり3年後に教授に任命される
そこでの仕事はおもに古彫刻の模刻と修復であった



シカゴ万国博覧会に『伎芸天』を出品して好評を得る
今にも動き出しそうな見事な作品である



優雅な作品にふさわしい女性が来るのを待っていた



「短刀」:小野繁慶(重要美術品)
重要美術品は、日本政府(文科大臣)が、日本国外への古美術品の流出防止を主目的として認定した有形文化財のことである



「漁舟図鐔」(重要美術品)



「短刀」:相州貞宗(国宝)
貞宗は、鎌倉時代末期の相模国(神奈川県)の刀工で、正宗の子、または養子と伝えられ、現存在銘刀はないが相州伝の代表的刀匠とされている


 
貞宗の現存作刀には在銘物は皆無である



撮影 平成27年10月14日
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黒田記念館(東京都台東区上野公園)

2015年11月15日 | 博物館・美術館・記念館
黒田記念館(有形文化財)
洋画家の黒田清輝は、没する際に遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言した
これをうけて昭和3年に竣工したのが黒田記念館
遺族から寄贈された遺作を展示して画家を顕彰するために黒田記念室が設けられた



入館無料という甘い誘いに、ついのってしまった。
黒田清輝の代表作「湖畔」の制作過程などもDVDで視ることができる。



黒田清輝像。画家というより政治家・実業家の堂々とした風貌である



この椅子に座り多くの作品がつくりだされた



館内に展示されている作品



嬉しいことに館内の撮影は許可されている。私の経験では初めてである



展示されていた作品の中で一番好きな「瓶花」という作品
この作品が気になり、何度もこの絵の前に来てしまう



私は芸術家ではないが、旅の記録写真をこえた一枚を撮ってみたいと強く思った



撮影 平成27年10月14日
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北海道博物館(北海道札幌市厚別区厚別町)

2015年10月19日 | 博物館・美術館・記念館
2015年(平成27年)4月18日に開館した総合博物館
前身は「北海道開拓記念館」である



北海道博物館開館記念特別展として
「夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」 を開催



松前藩士・蠣崎波響(かきざきはきょう)(1764-1826)が1790(寛政2)年に手がけた、12人のアイヌを描いた絵



蠣崎波響は藩主の命に従い「クナシリ・メナシの戦い」を治めるために松前藩に協力した12人の功績を讃えるという名目で12図を描いた



安倍晋三首相の妻、昭恵夫人も来館されたと地元紙に報道されていた



館内は撮影禁止。この写真は模写された作品の一部






次に館内の展示物を紹介する。



ここで記念撮影ができる。



この博物館は初めてで館内の様子がわからない
歩きながら気に入った展示物や幼い頃見聞きした懐かしいものを撮ってみた



1975年(昭和50年)、北海道の旧南茅部町でジャガイモ畑から中空土偶が発見された



2007年(平成19年)中空土偶「茅空」は北海道内初の国宝に指定された(道内唯一の国宝)






























旧幕府の軍艦 「開陽丸」 函館戦争のさなか暴風雨のため江差沖で座礁、沈没












北海道に住んできた者として懐かしいものばかりである
























撮影 平成27年10月7日
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南方熊楠記念館(和歌山県西牟婁郡白浜町)

2015年03月11日 | 博物館・美術館・記念館
雨天時は外での行動が制限されるため、博物館や記念館を訪れることにしている
南方熊楠については息子が好んで読んでいる「美味しんぼ」という漫画で知った

無料の駐車場から坂道、石段を上ると門が見えてくる。ここに至るまで植物に囲まれ爽やかな気持ちになってくる 



昭和天皇陛下御製記念碑
昭和天皇が「神島」に上陸され、南方熊楠の出迎えを受け生物の研究をされた時のことを詠ぜられたもの



「雨にけふる神島を見て紀伊の國の 生みし南方熊楠を思ふ」 



番所旧蹟碑
紀州藩が異国船の来航を見張るために番所を設け異国船の監視に当たっていた



記念館は小高い場所に位置し周辺の海を見張る場所に適している



南方熊楠記念館
南方熊楠は、和歌山県が生んだ博物学の巨星
南方熊楠の遺した偉大な業績と遺徳をしのびその文献、標本類、遭品等を永久保存
一般に公開するとともに博物学の巨星を後世に伝え、学術振興と文化の進展を目的として昭和40年4月に開館



人物と記念館の案内をテレビで視聴してから入ると理解しやすい



展示物の内容は専門的で理解できないが、南方熊楠の生き方には大変興味を持ち多くの人に訪れて欲しいと思った



館内の様子












特に研究者でもあられた昭和天皇への説明の場面については感動した



記念館の屋上は展望台にもなっている。写真中央の左にあるのが「神島」



昔「番所」があった場所だけにここからの眺めは最高だ



前回紹介した観光船(グラスボート)が出港していく



歴史に名を残す人物の実家は酒屋



撮影 平成26年11月1日
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森鴎外記念館(島根県鹿足郡津和野町町田)

2015年01月07日 | 博物館・美術館・記念館
森鴎外記念館
「森鴎外之像」
森鴎外は文久2年1月19日、現在の津和野町町田に生まれた



森鴎外記念館は、独立した鴎外の専門的な記念館としては世界で初めてのもの



近代的建築物でここが出入口になる



入口の長い廊下の先に受付、展示室がある



展示室入り口



展示室には時代背景も含めて鴎外という人物を知るための映像や資料が並べられている












記念館から従甥の鴎外に強い影響を与えたという「西周(にし あまね)」宅が見える



死に及んで「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言を残して、大正11年7月9日に永眠した。 享年60歳



 


撮影 平成26年10月24日
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島根県立古代出雲歴史博物館 その2(島根県出雲市大社町杵築東)

2014年12月25日 | 博物館・美術館・記念館
出雲大社といえば「縁結びの神」として有名である
下記の絵は神様が縁を結ぶ様子が描かれているのだが、一つ一つの言葉が面白く、このようにして縁が結ばれていくと思うと笑ってしまう



宿世結(すくせむすび)



江戸時代、名前を見えないように書き付けて男女ごとに分けた紙縒りを、福引きのように一本ずつ選び、結び合わせる女性達の遊びがあった



これを「宿世結」という



床に投影された文字



昔の人達の生活の様子






島根県雲南市賀茂岩倉銅鐸(国宝)
1996年に加茂町(現雲南市)岩倉の丘で農道工事中に日本最多となる39口の銅鐸が発見された



左側の銅鐸は国宝、右側は複製

 








荒神谷遺跡銅剣(国宝)
 983年広域農道の建設に伴い遺跡調査が行われた
1984年 - 1985年の2か年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した



丘陵の斜面に作られた上下2段の加工段のうち下段に、刃を起こした状態で4列に並べられて埋められていた
下段は出土品、上段は出土品と同じ成分で新たに造られたもの



358本の銅剣は、長さ50cm前後、重さ500gあまりと大きさもほぼ同じである



卑弥呼の鏡か 銅鏡(重要文化財)
「景初三年」を含む41文字が鋳出された「三角縁神獣鏡」



景初三年(239年)は邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏に使いを送り、銅鏡100枚を賜ったとされる年



卑弥呼が触れていたかも知れないと考えるだけでも楽しい






金銅装双龍環頭大刀(重要文化財)
「奇跡の輝きを今に伝える」:1925(大正14)年考古学愛好家らが発見。鞘から刀身が引き抜けたというほど良い保存状態で出土













昨年訪れた時も感じた事だが、この博物館はとても居心地がよい
自由に撮影できることも嬉しいが、質問に対し解りやすい言葉で的確に回答してくれる担当者の対応もすばらしい



出雲の歴史は奥が深くロマンがある。卑弥呼の鏡であってほしい



撮影 平成26年10月22日
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島根県立古代出雲歴史博物館 その1(島根県出雲市大社町杵築東)

2014年12月24日 | 博物館・美術館・記念館
島根県出雲市を訪れるのは3回目になる
今回は出雲大社ではなく「鰐淵寺(がくえんじ)参拝が目的である
途中宿泊した道の駅のパンフで「鰐淵寺」に伝わる寺宝を博物館で展示していることを知り、運の良さを感じた
残念ながら企画展は撮影禁止なので紹介することはできないが、心に残る仏像も数点あった



昨年に続き出雲大社を中心とした古代出雲についての展示物を紹介していく

宇豆柱(重要文化財)
出雲大社巨大本殿の柱「宇豆柱(うづばしら)」



昨年と違うところは「重要文化財に」指定されたということ









日本書記
出雲大社の創建を物語る神話(中央)



青木遺跡出土遺構模型



古代の暮らしぶりを物語る出土品



古代の神像と絵馬



古墳時代の神祭りの場



巨大神殿の設計図





















神社の本殿建築
現存する代表的本殿の比較
出雲大社本殿(左)と伊勢神宮外宮本殿(右)



住吉大社本殿(左)、宇佐神宮本殿、賀茂別雷神社本殿、春日大社本殿

 

慶長十四年御造宮之図



神聖な楽器の二弦琴「八雲琴」



千木と鰹木



側にいる人との比較で大きさがわかる

 

大社龍蛇



木造大黒天頭部「笑っていないダイコクさん」
インド、中国をへて日本に伝来した大黒は、本来恐い顔をしていたが、福徳神として信仰を集めるうちに、ニコニコした表情になっていった






大社縁結図







 

撮影 平成26年10月22日
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砂の美術館 その5(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2014年12月16日 | 博物館・美術館・記念館
砂で世界旅行・ロシア編 〜大国の歴史と芸術の都を訪ねて〜
私が記憶・記録している範囲で作品を紹介していく
現在、展示している作品は平成27年1月4日以降 跡形もなく取り壊される運命にある



この作品のタイトルも記録していなかったが、印象に残っている作品である







 
 
ナポレオンの撤退












ロシア・アヴァンギャルド






メイン展示会場
3階の展示室出口から、展望広場の方へ進む
屋外にもいくつかの作品がテント内で展示されている



ロシアの民話-大きなかぶ-






「岐路に立つ勇士」イリヤ-・ム-ロメッツの三つの旅より
制作者は日本人の茶圓勝彦



幸せの鐘



来年もこの地に立てるようにと、若い女性が圧倒的に多い中、恥ずかしながら鳴らしてみた



展望広場から展示会場を見る。この反対側には砂丘がある



多くの作品を見ることができて十分堪能した。車に戻ったとき雨が降ってきた



最後に私の好きな作品を



 





撮影 平成26年10月21日
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砂の美術館 その4(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2014年12月15日 | 博物館・美術館・記念館


本日、私の人生の一部を共に過ごした愛車アルファードを手放した
車旅の楽しさや、車中泊の楽しさを教えてくれた車で、数々の思い出が残っている
鳥取砂丘を最初に訪れたのもこの車だったが、その時は「砂の美術館」はなかった

砂で世界旅行・ロシア編 〜大国の歴史と芸術の都を訪ねて〜
私が記憶・記録している範囲で作品を紹介していく

ロシアの文学 トルストイとその作品「戦争と平和」
「戦争と平和」の一場面で、モスクワ大火による混乱のなか、街を離れる人々を表現している



展示している作品の中で一番好きな作品である



トルストイの砂像であるが、細かなところまで彫られていて、自然光や電灯の影まで考慮して造られている



アメリカの女性の作品であるが、崩される前に記録に残そうとたくさん写真を撮った



 


北海道から車に乗って「砂の美術館」まで来る
物好きと思われるかもしれないが、このような作品に出会えると「来て良かった。また来たい。」と心からそう思う






ロシアの音楽 チャイコフスキーとバレエ
踊りのための伴奏でしかなかったバレエ音楽を芸術として確立させた


















次はこの展示会場のメインとなる作品であるが、作品名を記録していなかった
この会場に2時間半ほどいたが、人物が画面に入らないこの作品を撮る機会は数秒しかない



夕暮れとともに、奥の壁に照明があてられ作品を幻想的にしている












 














撮影 平成26年10月21日
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砂の美術館 その3(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2014年12月14日 | 博物館・美術館・記念館


砂で世界旅行・ロシア編 〜大国の歴史と芸術の都を訪ねて〜
私が記憶・記録している範囲で作品を紹介していく

シベリア鉄道と極東の都ウラジオストク



ソビエト連邦時代






ロシアの科学技術-宇宙開発-
ソビエト連邦時代を象徴する宇宙開発
ガガーリンによる有人宇宙飛行や探査機の月面着陸など多くの成果を残した






パブロフの条件反射






ロシアの大自然
ロシアの国土の多くをしめるシベリアは夏と冬の温度差が大きい地域
ツンドラに生息しているトナカイは、古くから家畜として飼われ、ソリ引きにも重宝されてきた









この女の子の表情が印象に残る



タタールのくびき-モンゴル人支配の時代-
ロシアの人々がマーケットに来たタタールの徴税官に貢物を献上している様子を表現



2階から撮したものだが、砂とは思えない






コサックの力
騎馬による戦いを得意としたコサックの象徴的な戦いの場面を表現












ピョートル大帝と西欧化
バルト海域に覇をとなえロシアをヨーロッパの強国に押し上げた。ロシア帝国初代皇帝









撮影 平成26年10月21日
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砂の美術館 その2(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2014年12月13日 | 博物館・美術館・記念館


砂で世界旅行・ロシア編 〜大国の歴史と芸術の都を訪ねて〜
私が記憶・記録している範囲で作品を紹介していく

氷河に眠るマンモス
祖先によるマンモス狩りの様子を想像して制作



皮膚の質感や牙など、砂でできているとは思えないほどだ




 

リューリク 建国のヒーロー
リューリクが上陸し、その土地に人々に受けいられるシーンを表現



人物の表情なども見る場所によって変化してくる。立体感もあり、私の好きな作品のひとつ。









キリスト教の受容
ウラジーミル1世が人々をドニエプル川に浸からせ、洗礼をしているシーンを表現






芸術のことは理解できないが、この作品の前では動きが止まってしまう






アメリカの女性彫刻家の作品である。



記念写真とはいえ、どこを切り取ったらいいか考えてしまう



豊かな民族性
ロシアは広大な国土を持ちロシア人、タタール人、ウクライナ人など数々の民族で構成されている。
トリョーシカのデザインはロシアの民族性を表現している



左から2番目の女性の首だが砂が崩れたのだろうか、違和感がある









モスクワの地下鉄を彩る彫刻
モスクワの地下鉄駅は美術館の雰囲気を感じることができる
狩りに向かう青年を表現



農家の少女の様子



撮影 平成26年10月21日
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砂の美術館 その1(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2014年12月12日 | 博物館・美術館・記念館
雨が続くという予報だったので、雨に影響されない場所はないかと考えたときに、最初に浮かんだのが「砂の美術館」だった
昨年、私が撮った写真を見て、その存在を知り、夏季休暇を利用して北海道から車で訪れたという、元同僚もいる

鳥取砂丘 砂の美術館
美術館前に駐車場があり、運良く1台分の駐車スペースがあり駐めることができた



砂の美術館の入口。壁の色もきっと砂を意識しているのだろう



砂像彫刻家・茶圓勝彦プロデュース
今年は写真の彫刻家が作成している。残念なことに日本人はいなかった
展示室前のDVDの説明を視てから入場することをお薦めする
作者が苦労したところや自然光や室内灯まで考えて造られていることが作品の前で感じることができる



1階展示室の入口になる。どのような作品が展示されているのかワクワクしてくる



テーマ:〔砂で世界旅行・ロシア編 〜大国の歴史と芸術の都を訪ねて〜〕

作品の全体像







































2階から全体をみるとこのようになっている












撮影 平成26年10月21日
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関市円空館・弥勒寺官衙遺跡(岐阜県関市池尻)

2014年11月23日 | 博物館・美術館・記念館
寛永9年(1632年)美濃国(岐阜県)で生まれた円空は、「円空仏」と呼ばれる木彫りの仏像を残している
これまで円空作の仏像を目にする機会がなかった

史跡 弥勒寺官衙遺跡
駐車場に車を駐め周囲の状況を把握する
目的地の円空館までは少し歩くことになるらしい
まったく知識はないが、かつてこの場所に弥勒寺あり、現在は国史跡に指定されている

中門跡



金堂跡



塔跡



経蔵跡



緑に囲まれた史跡を400m程歩くと右手に建物が見えてくる



初めて訪れる場所でもあり、不安もあったが近づいて確認してみる



この場所に来て、ここが円空館であることがわかった



円空館では関市に数多く残されている円空仏のうち約30体を拝観することができる
普段見慣れていない仏像だけに、驚きも大きい



円空の墓
晩年は関市池尻弥勒寺の地に自坊をかまえ、ここを本拠地として活躍し、長良川河畔で入定し(1695年)その64年にわたる生涯を終えた



円空の入定塚の案内板もあったがよくわからなかった






弥勒寺
美濃地方の豪族身毛津(むげつ)氏の氏寺と推定される古代寺院弥勒寺はその後廃寺となっていたが、円空が再興



寺門周辺に現代彫刻家による、円空仏が置かれている


 



 


 
ここに置かれている円空仏の方が完成度が高いと思うのだが、素人考えか



撮影 平成26年10月16日
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杉原千畝記念館(岐阜県加茂郡八百津町八百津)

2014年11月21日 | 博物館・美術館・記念館
道の駅「可児ッテ」で入手した資料の中に、杉原千畝の名前があった
道の駅から遠くない場所に記念館があるようなので向かうことにした

杉原千畝記念館
「シンドラーのリスト」という感動的な映画を見たあとに、シンドラーよりもっと凄い「杉原千畝」という人物が日本にいたことを初めて知った
記念館などの存在も知らなかったが、道の駅から発信された情報により、杉原千畝について理解する機会に恵まれた



第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情
外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる
その避難民の多くが、ユダヤ系であった

記念館前には駐車場が整備されている



記念館では、千畝が育まれた地域風土を、岐阜産の総檜づくりと新伝統構法によって空間化されている



館内は狭い空間ということもあり、教育関係の団体に館長が説明していたのを側で聞くことができ理解を深めることができた
その後、その団体に加わり研修室でイスラエル人職員から説明を受けることも許されたが、その内容の多くは胸に迫るものがあり感動した



個人で入館した場合には、最初に館内のビデオを視聴することを勧める
基本的な知識を身につけて資料を見ることによって、より理解することができる

私がこの部屋に入ったときに外国からの団体が入館してきた
イスラエルからの観光客だそうだ
机の上に印鑑とスタンプがあったので、ビザ発給のまねごとをしてあげた



2階にも資料が展示してあるが、イスラエルから何故この記念館を訪れるかのよくわかる



ユダヤ人は汽車でシベリア大陸を横断し、ウラジオストックから福井県の敦賀港についた
着の身着のままで逃げてきたためシャツ1枚でふるえているのもいたが、港の人達が熱い飲み物を作ってみんなにふるまった
みんな日本人の思いやりに心から感謝したという
この話を聞いて、自分が日本人でよかったと思った



人道の丘公園
約6,000人のユダヤ人の命を救った人杉原千畝の功績を称え、後世に伝えるための記念公園









シンボルモニュメント



「命のビザ」モニュメント



幾枚もの命のビザを重ね、希望の光を反射させながら空へとのびていくモニュメント
3つのカリオン(愛、心、勇気)を自由に奏でることができる



日本政府の許可なしであったことを私たちが知ったのは、1969年に杉原氏とイスラエルで再会した時である
杉原氏が訓命に背いてまで、ビザを出し続けてくれたなんてことは、再会するまで考えられなかったので、とても驚いたことを覚えている



私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれない
しかし、私には頼ってきた何千もの人を見殺しにすることはできなかった

(東日本大震災への義援金を募る際の米国のユダヤ人組織オーソドックス・ユニオンによる公式声明)
東日本大震災が発生し、地震と津波による甚大の被害が世界中に報道されるや
窮状にある人々に手を差し伸べることは、主のいつくしみの業に倣うことである
1940年、杉原領事夫妻は身職を賭して通過ビザを発給し、6,000人のユダヤ人の命を助けて下さった
いまこそわれわれがその恩義に報いるときである

撮影 平成26年10月16日
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