(4月16日撮影)
う~ん、疲れている。
昨日、早朝に天橋立を散歩して、その後豊受様の社、籠(この)神社と、その奥の院である真名井神社を詣でた疲れが残っているのである。
こんなに疲れが残るのは、日ごろ怠けていることのしっぺ返しか、それとも歳か。
私より4歳年長の夫は、今日は朝から高野山に行ったというのに・・・、
さて、上の写真であるが、一昨日、最初は天橋立に行く予定などなかったから、お天気がいいから、ちょっとドライブしようかということになって行った川西市内の畦野というところに建設中の新名神高速道路の川西インターチェンジのあたりの工事現場である。
出来上がってしまえば、こういう工事中の写真が記念になるかもしれないと撮影した。
完成予定は平成30年であるらしい。
上の写真は箕面方面に向けて撮影したもの。
↓下の写真は宝塚方面に向けて撮影したもの。
↓撮影したすぐ近くに川西市の名所旧跡である小童寺があったので、参拝させていただくことにした。
↓ぼたん桜が満開であった。
小童寺は源氏の始祖、源満仲公の末子、美女丸の身代わりになって殺された幸寿丸が祀られている。
どうして身代わりになったかというと、話が長くなるのだが、満仲公の末子に生れた美女丸は源氏一族の弔いのために修行をさせられていたのだが、真面目に修行に励まなかったので、怒った満仲公に殺されそうになった。
そのとき殺すことを命じられた藤原仲光という家来が、主君の子息を殺すことが忍びなくて、泣く泣く同じ年恰好の自分の息子を殺して、美女丸であると偽って満仲公に差し出した。
それを聞いた美女丸は、深く反省して、以後は真面目に修行に励んで、りっぱなお坊さんになったという逸話が残されている。
↓小童寺の拝殿
↓縁起の書かれた看板
↓同
↓お寺の横の牡丹桜も撮影
美女丸は源満仲公の子で殺されかけて助けられたり biko
満仲の家来の子なれば罪もなく殺されたりしこの幸寿丸 biko
↓お寺の建っている山の斜面を登ると、満仲の家来の仲光、その子で美女丸の身代わりになった幸寿丸、満仲公の三男、美女丸の墓が並んで建っていたので手を合わせてきた。
苔むせる仲光幸寿丸親子満仲公の子の美女丸と biko
う~ん、疲れている。
昨日、早朝に天橋立を散歩して、その後豊受様の社、籠(この)神社と、その奥の院である真名井神社を詣でた疲れが残っているのである。
こんなに疲れが残るのは、日ごろ怠けていることのしっぺ返しか、それとも歳か。
私より4歳年長の夫は、今日は朝から高野山に行ったというのに・・・、
さて、上の写真であるが、一昨日、最初は天橋立に行く予定などなかったから、お天気がいいから、ちょっとドライブしようかということになって行った川西市内の畦野というところに建設中の新名神高速道路の川西インターチェンジのあたりの工事現場である。
出来上がってしまえば、こういう工事中の写真が記念になるかもしれないと撮影した。
完成予定は平成30年であるらしい。
上の写真は箕面方面に向けて撮影したもの。
↓下の写真は宝塚方面に向けて撮影したもの。
↓撮影したすぐ近くに川西市の名所旧跡である小童寺があったので、参拝させていただくことにした。
↓ぼたん桜が満開であった。
小童寺は源氏の始祖、源満仲公の末子、美女丸の身代わりになって殺された幸寿丸が祀られている。
どうして身代わりになったかというと、話が長くなるのだが、満仲公の末子に生れた美女丸は源氏一族の弔いのために修行をさせられていたのだが、真面目に修行に励まなかったので、怒った満仲公に殺されそうになった。
そのとき殺すことを命じられた藤原仲光という家来が、主君の子息を殺すことが忍びなくて、泣く泣く同じ年恰好の自分の息子を殺して、美女丸であると偽って満仲公に差し出した。
それを聞いた美女丸は、深く反省して、以後は真面目に修行に励んで、りっぱなお坊さんになったという逸話が残されている。
↓小童寺の拝殿
↓縁起の書かれた看板
↓同
↓お寺の横の牡丹桜も撮影
美女丸は源満仲公の子で殺されかけて助けられたり biko
満仲の家来の子なれば罪もなく殺されたりしこの幸寿丸 biko
↓お寺の建っている山の斜面を登ると、満仲の家来の仲光、その子で美女丸の身代わりになった幸寿丸、満仲公の三男、美女丸の墓が並んで建っていたので手を合わせてきた。
苔むせる仲光幸寿丸親子満仲公の子の美女丸と biko
消去してください。
野頃のは→残るのは
僕もよくやる間違えです。
自分では中々気づきません。
このメッセージも消去してくださいね。
書きっぱなしなのが、バレバレですね。(笑)
誤字のご指摘も嬉しかったのですが、長い記事を読んでくださったことがわかり、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。
いただいたコメントは、記念に、そのままにさせていだきますね。(^^)。