昨日、従弟に用があってメールした。
そのついでに、叔父さんのことを聞いた。
すると、近年、認知症がひどくなり、この夏からはグループホームに入所していたけれど、最近、食欲も落ちて食べなくなったので、体力回復のため、入院させたとのこと。
それで、今日は急遽、この今年91歳になった叔父さんのお見舞いに行ってきた。
この叔父さんは、今は亡き母の妹(叔母)の連れ合いだ。
この叔父さんには一方ならぬお世話になった。
娘のいなかった叔母に娘のように可愛がられていた私は、この叔父さんにも娘のように可愛がっていただいた。
叔父さんは、看護師さんに案内された病室で眠っていた。
看護師さんにお聞きすると、睡眠導入剤で眠らされていると。
しばらく話しかけてみたが、うわごとのようなことを言うばかりで、こちらの言うことには反応しない。
その胴体と手を見ると拘束されていた。足も。
こうしないと、点滴を抜いたりするからと説明されたが、こんなふうにしてまで長生きさせなければならないのかという疑問が湧いた。
まだ従弟に言っていないが、この拘束は止めるように言いたい。
食べられなくなったということは死期が近づいているのかもしれないが、それならそれで自然に任せておいたほうがいいのではないだろうか。
睡眠導入剤も必要なものなのだろうか?
私は、鬱病になったとき、精神薬とともに睡眠導入剤も処方されたことがあったが、あれは害あって益なしの代物と思った。
今でも、あのときの精神科医を訴えてやりたいくらい恨んでいる。
私は、もう少しで廃人にされるところだった。
それに気づいて、自分で断薬したからよかったが、医師の言う通り服用していたら、大変なことになるところだった。
叔父さんの場合は、認知症になっていたから事情は違うかもしれないが、しかし、安易に処方してはいけないし、されてはいけない。と思う。
病院を辞去したあとは、従弟の家に行った。
会社を経営している従弟は今日も会社でいなかったが、その奥さんと話した。
奥さんは、叔父さんが認知症になってからの苦労を滔々と述べたが、しかし、叔父さんは、子供思い、孫思いで一生懸命働いてきてくれた人なので、最後まで大事にしてあげてとお願いした。
叔父さんの手足の拘束について、一言いいたいと思ったが、義理の間でこういうことを言うと角が立つかもしれないと言わずに帰ってきた。
私も、そのさなかはそうだったが、認知症の人の世話は大変なので、介護している自分の苦労ばかりで頭がいっぱいになるが、しかし、介護されるほうも、それなりに大変だと思う。
まして、こんなふうに手足を拘束されたら、何のために生きているやらわからなくなると。
従弟たちは少しでも長生きをしてほしいと思ってしていることかもしれないが、これは決して当人のためにはなっていないということに気づいてほしいと思った。
*
拘束をされて生かさるる悲しさよ顔が痒くてもかけぬ悲しさ
食べられぬやうになつたといふことは命の消ゆる知らせなるべし
栄養を点滴されて生かされることを望みてゐるや叔父さん
認知症すすみ失禁することもある叔父さんに点滴残酷
点滴を抜かぬやうにと両腕を拘束されて眠りゐる人
眠りつつさかんに譫言いふ人の痛々しさに目を背けたり
お医者さんにもご家族にも罪はないけれど、、、
欧米諸国では残酷医療として行わなくなった医療法。
病院にとって、高額な医療費を国へ請求できる医療保険制度を利用したメリット医療。
ご家族が気付いてあげる以外、苦しみから開放してあげることが出来ない。
面会時間帯は睡眠導入剤で比較的安定している姿を見せている。
勘違いであれば良いが、そんな医療法で無いことを祈ります。
夫も数か月前に会社で会っただけに、昨日の叔父さんの姿にはショックを受けていました。
病院はかなり荒療治をしたのではないかという印象でした。
私も、鬱病のとき、薬のせいで、一気に痴呆のようにならせられましたから。
従弟の奥さんは、毎日見ていると、そんなに違和感はないと言っていましたが、昨日の叔父さんの様子は明らかに薬の悪作用のように思えました。
こんな延命理療をされるのなら、早く死なせてあげたほうが本人のためだと思います。
私が当人なら、そうしてほしいと思いました。
延命医療にしても、そこまで苦しめ、生かせ続けるべきかって、殆ど植物状態なのに。古い世代の俗物商魂というか、農耕族の執着は半端ない。ホント日本のお医者さんて、何をお勉強しなはったのか。頭の中は会員制の高級クラブでヘベレケになる事だけか。患者をシャブ中にして、散々苦しめた金で遊び呆けるんだから、北朝鮮より、トランプより、放射性廃棄物よりもずっとタチが悪い(笑)。
ま、日本人の弱者や患者に対する酷く残虐な扱いは、今に始まった事じゃない。南京大虐殺は流石に嘘っぽいとしても、ノモンハン事件(1939)では、捕虜の扱いに雲泥の差が露呈した。日露双方で2万人強の死傷者を出したが、僅か5ヶ月間の短期の戦争にしては、かつて類を見ない程の凄まじい熾烈な戦いだった。
勝った方のロシア(当時はソ連)は日本兵(関東軍)の捕虜を祖国の英雄として、相応のもてなしを施し、当時世界の先端を行く充実した医療で看病し、真新しいロシア製の軍服を着せ、ワッペンも日の丸に付け替え(手縫いだったとか、泣けますな)、日本軍に譲り渡した。口の中には、祖国では食えない様なクッキーやチョコレートで満たされてた。文字通り、憎き敵兵とは言っても、彼らは捕虜という名のヒーローなのだ。
一方、ロシア軍兵の捕虜は、言わなくても想像できようが、恐ろしく無残なもの。軍服は血に染まり、汚れたまま、傷口は原始的な緊急処置のみで酷く化膿し、それを見たロシア軍将校は絶句したという。
その上、日本軍の大佐が自国の捕虜に目隠しをし、猿轡をはめ、まるで、ゴミ袋を放り投げる様に、トラックに無造作に積み上げるのを見て、ロシア軍将校は憤慨する。"何故そんなに粗末に扱うんだ、彼らは国家の英雄じゃないか" それに対し、日本の将軍は答えた。"いいえ、日本では捕虜は国家の恥。天皇に顔向け出来ないのです"
少し脱線するが、ノモンハン事件が長期化しなかったのは、こういった日本人の残忍なDNAにロシア軍がビビったのだろうと、勝手に推測する。また、この戦争を参考にし、ロシアはドイツに勝てたと言われてる。日本の本営部が南下政策をせずに、ノモンハンに戦力を集中し勝利を収めてたら、東西で独日に挟まれたロシアは壊滅し、太平洋戦争はなかったとも言われてる。
もうね、こういう話を聞くと、戦争がどうの、原爆がどうの、正義がどうの、それ以前の問題なのね。多分、こういう事実は殆ど日本人には伝えられてはいない。ノモンハンという闇に葬られた真実。安倍首相だってちゃんと理解してるかどうか。こういう所から戦争というものを精密に反省しないとね、NHKサン(笑)。真珠湾もガダルカナルもサイパンも硫黄島も結果に過ぎない。
延命医療にしても、人間の命を粗末に粗雑に扱ってきた、日本人のDNAのおぞましき残忍性がそのまま露出した無様な現実か。全くこれは治癒し難い絶対負の伝統なのか。
今回も、非常に長くなり過ぎてスンマセン。
第二次世界大戦のことについて、ずいぶん勉強されていらっしゃいますね。私の亡父は陸軍士官でしたので、戦死した友人たちをずっと悼み続けていました。
父が亡くなったときは第二次世界大戦のことを書いて本で部屋はいっぱいでした。私も父の蔵書で少し勉強すればよかったのでしたが、母が父が亡くなるとすぐに処分してしまいましたから、まったく読めなかったです。
ところで、義叔父さんの医療措置ですが、義姪の私もあまりの痛々しさに従弟にあの治療は止めさせてと頼んだくらいです。が、従弟は少しでも長生きをしてほしいからと。私は、従弟は医師に騙されているように思いました。しかし、家族ではないので、これ以上は言うことができません。こういう状態になったからには、一日でも早く叔父さんに天国に逝ってほしいと思います。
それを日本政府は未だに隠してる。大本営の致命的な大失態(南下政策)を蒸し返されたくないのでしょう。ホント、一つの判断のミスが日本を不幸のどん底に陥れた実例ですね。全く、"臭い物には蓋をしろ"の日本の美学は健在です。
因みに、私の叔父も関東軍の兵士でしたので、この手の話題には事欠きません。
私もノモンハンという地名だけは聞いたことがあります。
実は、私が一時勤めた生命保険会社の社長がノモンハンで片足を失っておられたから、ノモンハンという地名だけはたびたび聞かされました。
戦争さえなければ五体満足でいられた人が、一瞬で片足を失うという戦争の残酷を身近に感じさせられました。
私の父の戦友は沖縄戦で亡くなった人が多かったと聞いたことがあります。
いずれにせよ、一番の被害者は、前線の兵士ですね。
沖縄戦は、沖縄住民が主でしたけれども・・・。
実は、