今日タイトルにさせていただいた「わたし作る人、夫たべる人」は、同じ団塊世代ブログ村の方がつけられていたタイトルを真似させていただいた。(笑)
結婚以来、上手、下手は関係なく、食事は私が作り続けてきた。
ほんの少しの期間、私が勤めに出た時期もあったが、そのときも、基本、私が作る人であった。
現在は、二人暮らしになって、お弁当作りなどもないので、ある意味ではずいぶん楽になった。
しかし夫が定年退職後自宅で仕事をするようになったので、三度三度の食事の支度をしないといけなくなった。
まあ私も仕事を持っている人ではないのでそのことはいいのだが、作ってすぐに食べてもらいたい料理のときもなかなか降りてきてくれなくて、いらいらすることが多かった。
それが顔に出るものだから、夫も気分が悪くなるのだろう。喧嘩になるときさえあった。
夫は仕事に熱中するとほかのものが目にはいらなくなるタイプだ。食べることも忘れて熱中する。
気も立っていることが多いから、文句を言われるとカチンとくるのだろう。
一方、私は、熱いものは熱く、冷たいものは冷たく食べてほしいので、ずいぶんやきもきする。
おまけに夫は、いったん食事に降りてきても、待たされると感じたら、また2階にユーターンするときもある。
私は、降りてきたから、大急ぎで温めなおしたりしているときに、またユーターンされたりしたら、本当に頭にくる、
で、最近の私は待たないことにした。
最近の私は昨日書いたように食事時間が不規則になっていて、朝4時ごろ早い朝食をとっているから、ブランチのような食事を午前10時ごろいただく。昼食と思しきものは、午後4時ごろになったりもする。
夫は、基本、昼食はお昼、が、たいがい午前中は仕事に熱中しているから1時から2時ごろになる。
以前の私は、12時ごろから待っていたが、最近は、夫が2時近くに下りてきても、一膳飯屋の女将さんのように(笑)、「あら、いらっしゃい」という雰囲気で、やおら汁物を温めなおしたりする。
夫は、急な電話がかかってきたりして、急にお昼前に出かけたりすることもある。
そういうときのことも想定して、だいたい11時半には食べられるようにしておく。
というか、私のブランチ用に作った料理で夫の早い昼食を間に合わせたりすることもある。
という昼間の喧騒(?)とは異なって、おおむね夕食時刻は早い。
というのが、夫も年だから、夕方になると集中力も切れるのだろう。
5時過ぎから6時ごろになると、食卓で一献傾けるようになる。
酒の肴も必要だから、夕食の支度は早めに取り掛からなければならない。
が、これが、最近のように私が遅い昼食のようなものを作ったときに、できているもので間に合わせられる。
ゆっくりお酒を飲んでもらっている間に、メインの料理の仕上げをして夕食になるのである。
夫は、夕食を摂るとすぐに食堂のソファで眠ってしまう。テレビを見ながら・・・。
そうすると、私は、やおらパソコンを出して、メール確認をしたり、他の人のブログを読ませてもらったりする。(笑)
夫は、私が本格的に寝る11時くらいまでそのままソファで寝て、その後2階に上がって本格的に寝るか、その時間から、また仕事をしたりする。
と、話が横道に逸れたが、そういう毎日なので、夫にとって、毎日の一回一回の食事は大きな楽しみなのだ。だから、そこは内助の功で、できるだけ夫の喜びそうなものを作って食べてもらうようにしている(つもり(^^)。
亡くなった叔母(母の妹)がよく言っていたこと。
「若い頃は色気だけど、年取ると食い気になるから、おいしいものを作らなければダメ」と。
叔母は、じっさい料理上手だった。
叔母も体が弱かったから、時間があれば横になっていたが、その横になっているとき、いつも羽仁もと子さん創刊の婦人雑誌「婦人之友」の料理記事を読んで料理の知識を仕込んでいた。努力もしていたのだ。叔父さんが、その興した会社を大きくできたのには叔母の内助の功が大きかったと姪の私は思っている。
叔母の手に作られたりしお料理はおかずもお菓子も皆おいしかりき biko
結婚以来、上手、下手は関係なく、食事は私が作り続けてきた。
ほんの少しの期間、私が勤めに出た時期もあったが、そのときも、基本、私が作る人であった。
現在は、二人暮らしになって、お弁当作りなどもないので、ある意味ではずいぶん楽になった。
しかし夫が定年退職後自宅で仕事をするようになったので、三度三度の食事の支度をしないといけなくなった。
まあ私も仕事を持っている人ではないのでそのことはいいのだが、作ってすぐに食べてもらいたい料理のときもなかなか降りてきてくれなくて、いらいらすることが多かった。
それが顔に出るものだから、夫も気分が悪くなるのだろう。喧嘩になるときさえあった。
夫は仕事に熱中するとほかのものが目にはいらなくなるタイプだ。食べることも忘れて熱中する。
気も立っていることが多いから、文句を言われるとカチンとくるのだろう。
一方、私は、熱いものは熱く、冷たいものは冷たく食べてほしいので、ずいぶんやきもきする。
おまけに夫は、いったん食事に降りてきても、待たされると感じたら、また2階にユーターンするときもある。
私は、降りてきたから、大急ぎで温めなおしたりしているときに、またユーターンされたりしたら、本当に頭にくる、
で、最近の私は待たないことにした。
最近の私は昨日書いたように食事時間が不規則になっていて、朝4時ごろ早い朝食をとっているから、ブランチのような食事を午前10時ごろいただく。昼食と思しきものは、午後4時ごろになったりもする。
夫は、基本、昼食はお昼、が、たいがい午前中は仕事に熱中しているから1時から2時ごろになる。
以前の私は、12時ごろから待っていたが、最近は、夫が2時近くに下りてきても、一膳飯屋の女将さんのように(笑)、「あら、いらっしゃい」という雰囲気で、やおら汁物を温めなおしたりする。
夫は、急な電話がかかってきたりして、急にお昼前に出かけたりすることもある。
そういうときのことも想定して、だいたい11時半には食べられるようにしておく。
というか、私のブランチ用に作った料理で夫の早い昼食を間に合わせたりすることもある。
という昼間の喧騒(?)とは異なって、おおむね夕食時刻は早い。
というのが、夫も年だから、夕方になると集中力も切れるのだろう。
5時過ぎから6時ごろになると、食卓で一献傾けるようになる。
酒の肴も必要だから、夕食の支度は早めに取り掛からなければならない。
が、これが、最近のように私が遅い昼食のようなものを作ったときに、できているもので間に合わせられる。
ゆっくりお酒を飲んでもらっている間に、メインの料理の仕上げをして夕食になるのである。
夫は、夕食を摂るとすぐに食堂のソファで眠ってしまう。テレビを見ながら・・・。
そうすると、私は、やおらパソコンを出して、メール確認をしたり、他の人のブログを読ませてもらったりする。(笑)
夫は、私が本格的に寝る11時くらいまでそのままソファで寝て、その後2階に上がって本格的に寝るか、その時間から、また仕事をしたりする。
と、話が横道に逸れたが、そういう毎日なので、夫にとって、毎日の一回一回の食事は大きな楽しみなのだ。だから、そこは内助の功で、できるだけ夫の喜びそうなものを作って食べてもらうようにしている(つもり(^^)。
亡くなった叔母(母の妹)がよく言っていたこと。
「若い頃は色気だけど、年取ると食い気になるから、おいしいものを作らなければダメ」と。
叔母は、じっさい料理上手だった。
叔母も体が弱かったから、時間があれば横になっていたが、その横になっているとき、いつも羽仁もと子さん創刊の婦人雑誌「婦人之友」の料理記事を読んで料理の知識を仕込んでいた。努力もしていたのだ。叔父さんが、その興した会社を大きくできたのには叔母の内助の功が大きかったと姪の私は思っている。
叔母の手に作られたりしお料理はおかずもお菓子も皆おいしかりき biko
御苦労さまでございます。
文面から察するに、大変献身的にご主人を支えていらっしゃいますね。
ご主人は何の不満も無い事でしょう。
いえ、不満など言えないと思います。
しかし男は往々にしてそんな奥さんの細やかな気使いに気づかないものなんですね。
ご主人さまからの労わりの言葉があれば報われた気持ちになるのでしょうが、
如何でしょうか?
bikoさんの内助の功振りは古き良き日本の姿だと思います。
が、私には聴覚障害があるので、ご飯を作るしか能がないのです。それも、けっこういい加減なもので、お恥ずかしい限りです。
夫は、改まって感謝してくれることはないのですが、私の聴覚障害を、文句を言わずにサポートしてくれているので、それが感謝の気持ちなのかもしれません。
人間、五体満足より、多少欠点があるほうが、うまくいくということもありうる、かもです。
夫に褒めてもらうことはないのですが、やっほさんに褒めていただけたので、嬉しいです。
ありがとうございました。