年が明けて、もう今日は1月12日。
この短い間に、私はタイトルにしたことわざを何度も噛み締めることになった。
まず、お正月の御節料理。
私は、ずっと専業主婦でやってきたから、料理をするしか能が無い。
それで、おせち料理も市販のものより手作りがいいと作ってきたが、今年子供達は全く喜んでいないことに気づかされた。
姑が喜び、夫が喜び、実家の母が喜び、親戚の叔父さんも喜びのおせち料理であったのだが、今年喜んでくれたのは、夫と、友人の独り暮らしの女性のみであった。
長男は、昔からおせち料理が嫌いだったと正直な気持ちを吐露した。
もう来年からは作るのをやめようと思う。
頑張って作っても、時代が移れば人の好みは変わっていくのだ。
年寄りが自分でよかれと思ってすることが、昔喜ばれたことでも喜ばれないということは、おせち料理に限ったことでもない。
思い出せば、私の母が私のためにしてくれた、あるいはしてきてくれたことも、実は迷惑だったこともあった。
比較的最近でも母は長男のところの孫にガラスケース入りの大きな市松人形を買ってくれたのであったが、長男は顔が可愛くないと持って帰らなかった。
捨てるわけにもいかず、現在わが家の床の間に鎮座しているが、母の気持ちを思うと申し訳ない。
昨今は、孫へのプレゼントも、勝手に買わないで一緒に行って買うようにしないと、失敗することも多い。
こちらは勝手に買ってサプライズにしたいと思うのだが、最近の若い人たちは、好みがはっきりしているから、親の選んだものを気に入るとは限らない。
母は、人一倍、子供思い、孫思いのところがあって、何でも先走ってやってくれることが多いが、時代が移り、やってくれたことが子供、孫に迷惑になっていることも多い。
いらないことをされるとありがた迷惑になるが、プレゼントも、気に入らないものを贈られると、もらったほうは困る。
が、母のその性質は、私も受けついていて、過剰な親切や、一方的な親切をしてしまい勝ちでなところがある。
親子のことでなくても、ネット関係のことでも、親切心からしたことが、相手に迷惑だったということもあった。
コメントなど、私は、いただくと嬉しいのであるが、中には迷惑に思う人もいるから気をつけなければならない。
以前は読者になっていただいたらご挨拶に伺っていたが、これも良し悪しで、こちらの挨拶を無視されたこともあった。
相手は別に私と仲良くしたかったわけではなく、ただちょっと読んでみたいと思っただけなのに挨拶などされて、鬱陶しかっただろうか。
ネットは顔が見えないだけに、やりとりを重ねないと相手の素性がつかめない。
それまでは、あまり深入りをしないようにすることが肝要だろう。
私は粘着質的性格をしているから、情も濃いが、恨んだらとことん恨むところもある。
結果、多情多恨になることもある。
これからは、今まで以上に
過ぎたるは猶及ばざるが如し
のことわざを肝に銘じて生きていかなければならないと思う。
歳とりて尚おもはるる諺の過ぎたるは猶及ばざるが如 biko
この短い間に、私はタイトルにしたことわざを何度も噛み締めることになった。
まず、お正月の御節料理。
私は、ずっと専業主婦でやってきたから、料理をするしか能が無い。
それで、おせち料理も市販のものより手作りがいいと作ってきたが、今年子供達は全く喜んでいないことに気づかされた。
姑が喜び、夫が喜び、実家の母が喜び、親戚の叔父さんも喜びのおせち料理であったのだが、今年喜んでくれたのは、夫と、友人の独り暮らしの女性のみであった。
長男は、昔からおせち料理が嫌いだったと正直な気持ちを吐露した。
もう来年からは作るのをやめようと思う。
頑張って作っても、時代が移れば人の好みは変わっていくのだ。
年寄りが自分でよかれと思ってすることが、昔喜ばれたことでも喜ばれないということは、おせち料理に限ったことでもない。
思い出せば、私の母が私のためにしてくれた、あるいはしてきてくれたことも、実は迷惑だったこともあった。
比較的最近でも母は長男のところの孫にガラスケース入りの大きな市松人形を買ってくれたのであったが、長男は顔が可愛くないと持って帰らなかった。
捨てるわけにもいかず、現在わが家の床の間に鎮座しているが、母の気持ちを思うと申し訳ない。
昨今は、孫へのプレゼントも、勝手に買わないで一緒に行って買うようにしないと、失敗することも多い。
こちらは勝手に買ってサプライズにしたいと思うのだが、最近の若い人たちは、好みがはっきりしているから、親の選んだものを気に入るとは限らない。
母は、人一倍、子供思い、孫思いのところがあって、何でも先走ってやってくれることが多いが、時代が移り、やってくれたことが子供、孫に迷惑になっていることも多い。
いらないことをされるとありがた迷惑になるが、プレゼントも、気に入らないものを贈られると、もらったほうは困る。
が、母のその性質は、私も受けついていて、過剰な親切や、一方的な親切をしてしまい勝ちでなところがある。
親子のことでなくても、ネット関係のことでも、親切心からしたことが、相手に迷惑だったということもあった。
コメントなど、私は、いただくと嬉しいのであるが、中には迷惑に思う人もいるから気をつけなければならない。
以前は読者になっていただいたらご挨拶に伺っていたが、これも良し悪しで、こちらの挨拶を無視されたこともあった。
相手は別に私と仲良くしたかったわけではなく、ただちょっと読んでみたいと思っただけなのに挨拶などされて、鬱陶しかっただろうか。
ネットは顔が見えないだけに、やりとりを重ねないと相手の素性がつかめない。
それまでは、あまり深入りをしないようにすることが肝要だろう。
私は粘着質的性格をしているから、情も濃いが、恨んだらとことん恨むところもある。
結果、多情多恨になることもある。
これからは、今まで以上に
過ぎたるは猶及ばざるが如し
のことわざを肝に銘じて生きていかなければならないと思う。
歳とりて尚おもはるる諺の過ぎたるは猶及ばざるが如 biko
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