神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

過ぎたるは猶及ばざるが如し

2017年01月12日 15時43分09秒 | 生活の知恵
年が明けて、もう今日は1月12日。

この短い間に、私はタイトルにしたことわざを何度も噛み締めることになった。

まず、お正月の御節料理。

私は、ずっと専業主婦でやってきたから、料理をするしか能が無い。

それで、おせち料理も市販のものより手作りがいいと作ってきたが、今年子供達は全く喜んでいないことに気づかされた。

姑が喜び、夫が喜び、実家の母が喜び、親戚の叔父さんも喜びのおせち料理であったのだが、今年喜んでくれたのは、夫と、友人の独り暮らしの女性のみであった。

長男は、昔からおせち料理が嫌いだったと正直な気持ちを吐露した。

もう来年からは作るのをやめようと思う。

頑張って作っても、時代が移れば人の好みは変わっていくのだ。

年寄りが自分でよかれと思ってすることが、昔喜ばれたことでも喜ばれないということは、おせち料理に限ったことでもない。

思い出せば、私の母が私のためにしてくれた、あるいはしてきてくれたことも、実は迷惑だったこともあった。

比較的最近でも母は長男のところの孫にガラスケース入りの大きな市松人形を買ってくれたのであったが、長男は顔が可愛くないと持って帰らなかった。

捨てるわけにもいかず、現在わが家の床の間に鎮座しているが、母の気持ちを思うと申し訳ない。

昨今は、孫へのプレゼントも、勝手に買わないで一緒に行って買うようにしないと、失敗することも多い。

こちらは勝手に買ってサプライズにしたいと思うのだが、最近の若い人たちは、好みがはっきりしているから、親の選んだものを気に入るとは限らない。

母は、人一倍、子供思い、孫思いのところがあって、何でも先走ってやってくれることが多いが、時代が移り、やってくれたことが子供、孫に迷惑になっていることも多い。

いらないことをされるとありがた迷惑になるが、プレゼントも、気に入らないものを贈られると、もらったほうは困る。

が、母のその性質は、私も受けついていて、過剰な親切や、一方的な親切をしてしまい勝ちでなところがある。

親子のことでなくても、ネット関係のことでも、親切心からしたことが、相手に迷惑だったということもあった。

コメントなど、私は、いただくと嬉しいのであるが、中には迷惑に思う人もいるから気をつけなければならない。

以前は読者になっていただいたらご挨拶に伺っていたが、これも良し悪しで、こちらの挨拶を無視されたこともあった。

相手は別に私と仲良くしたかったわけではなく、ただちょっと読んでみたいと思っただけなのに挨拶などされて、鬱陶しかっただろうか。

ネットは顔が見えないだけに、やりとりを重ねないと相手の素性がつかめない。

それまでは、あまり深入りをしないようにすることが肝要だろう。

私は粘着質的性格をしているから、情も濃いが、恨んだらとことん恨むところもある。

結果、多情多恨になることもある。

これからは、今まで以上に

過ぎたるは猶及ばざるが如し

のことわざを肝に銘じて生きていかなければならないと思う。

  歳とりて尚おもはるる諺の過ぎたるは猶及ばざるが如  biko

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