今日の「私の母は視える人」というタイトルを見てピンとくる人は、ある程度スピリチュアルの世界に通じた人だろう。
スピリチュアルに関心のない人には、いかがわしく思われるかもしれないことを今から書く。
私の母には、亡くなってこの世にいない人が視えるらしい。
かれこれ10年ほど前のことだ。
私が、この川西市に引越してきてすぐのころのこと。
当時、母は既に80歳を超えていた。母の脳梗塞の3年くらい後の3月のことである。
その母が私と私の次男(当時大学院生だった)をアメリカ東海岸ツアーに誘ってきた。
亡兄の次男、三男も、既に誘ってあった。旅行の費用は母もちである。
母の旅行の目的は、孫達にアメリカの心臓部を見せてやりたいというものであった。
私は、川西市に来て認知症の義母の世話を始めたばかりだったので、行きたかったが断った。
次男も、大学院の修士課程の2年目になるところで、就職活動の大事な時期であったので断った。
結局、母は亡兄の次男と三男を連れて行った。
そのとき、亡兄の三男が風邪の予後で体調が悪かったらしい。
もともと、この亡兄の三男は未熟児で生れて体が弱い。
それが、大学受験、合格直後の春休みだったため、体力が常より落ちていたのだろう。
往きの飛行機の中で体調が悪くなって、あろうことか、呼吸が止まってしまった。
母は、すぐに客室乗務員の方に手配してもらって、同機に乗っていた医師に手当てをしていただくとともにアメリカの空港で救急車に待機してもらう手はずも整えてもらったという。
前置きが長くなったが、その亡兄の三男の呼吸が止まっているとき、母には亡くなった私の亡父や母の父や母(つまり私の祖父母)が視えたそうだ。
それで亡父や亡祖父母に必死にお願いして、亡兄の三男の命を生き返らせてもらったという。
私が、「え、そんなの視える?」と聞くと、母には、しばしば亡くなった人が現れたりするのだそう。
そのときに、その亡くなった人たちと話もできるようだ。
私の母は強い人だ。どんな困難があっても容易にはくじけない。
その強さの源には、あるいは、この「視える」ということも関係しているかもしれないと思ったりする。
母の母(祖母)も、普通の女性ではなかった。
祖母は、それほど美人ではなかったが、人から尊敬されるオーラを放っていた。
母の実家は、製糸工場を営んでいた。蚕から絹糸を作る工場だ。
その工場の女工さんたちから、祖父は○○さんと呼ばれて、社長とも旦那さんとも呼ばれていなかったらしいが、祖母は彼女らに奥様と奉られていた。
そういうふうに奉られる雰囲気を祖母は備えていたのである。
祖母も視える人であったかどうかは、今では知るよしもないが、しかし、ただの女性ではないという雰囲気はあったと思う。
私には、今のところ、母のような視える目は備わっていない。
しかし、他の人が気づかない事象に気づく能力が、人より少し多く備わっているように感じることがある。お断りしておくが、これは頭の良し悪しとは全く関係ないものだ。
母の特殊能力も含めて、こういう能力が備わることが、その人の幸せに繋がるかということだが、私は必ずしも繋がることはないと思う。
むしろ、普通の人以上の困難を生きてきた人に、ある日忽然と備わってくるというほうが当たっているかもしれない。
夜中(早朝?)に目覚めたので、日ごろ思っていることを書いてみた。
スピリチュアルに関心のない人には、いかがわしく思われるかもしれないことを今から書く。
私の母には、亡くなってこの世にいない人が視えるらしい。
かれこれ10年ほど前のことだ。
私が、この川西市に引越してきてすぐのころのこと。
当時、母は既に80歳を超えていた。母の脳梗塞の3年くらい後の3月のことである。
その母が私と私の次男(当時大学院生だった)をアメリカ東海岸ツアーに誘ってきた。
亡兄の次男、三男も、既に誘ってあった。旅行の費用は母もちである。
母の旅行の目的は、孫達にアメリカの心臓部を見せてやりたいというものであった。
私は、川西市に来て認知症の義母の世話を始めたばかりだったので、行きたかったが断った。
次男も、大学院の修士課程の2年目になるところで、就職活動の大事な時期であったので断った。
結局、母は亡兄の次男と三男を連れて行った。
そのとき、亡兄の三男が風邪の予後で体調が悪かったらしい。
もともと、この亡兄の三男は未熟児で生れて体が弱い。
それが、大学受験、合格直後の春休みだったため、体力が常より落ちていたのだろう。
往きの飛行機の中で体調が悪くなって、あろうことか、呼吸が止まってしまった。
母は、すぐに客室乗務員の方に手配してもらって、同機に乗っていた医師に手当てをしていただくとともにアメリカの空港で救急車に待機してもらう手はずも整えてもらったという。
前置きが長くなったが、その亡兄の三男の呼吸が止まっているとき、母には亡くなった私の亡父や母の父や母(つまり私の祖父母)が視えたそうだ。
それで亡父や亡祖父母に必死にお願いして、亡兄の三男の命を生き返らせてもらったという。
私が、「え、そんなの視える?」と聞くと、母には、しばしば亡くなった人が現れたりするのだそう。
そのときに、その亡くなった人たちと話もできるようだ。
私の母は強い人だ。どんな困難があっても容易にはくじけない。
その強さの源には、あるいは、この「視える」ということも関係しているかもしれないと思ったりする。
母の母(祖母)も、普通の女性ではなかった。
祖母は、それほど美人ではなかったが、人から尊敬されるオーラを放っていた。
母の実家は、製糸工場を営んでいた。蚕から絹糸を作る工場だ。
その工場の女工さんたちから、祖父は○○さんと呼ばれて、社長とも旦那さんとも呼ばれていなかったらしいが、祖母は彼女らに奥様と奉られていた。
そういうふうに奉られる雰囲気を祖母は備えていたのである。
祖母も視える人であったかどうかは、今では知るよしもないが、しかし、ただの女性ではないという雰囲気はあったと思う。
私には、今のところ、母のような視える目は備わっていない。
しかし、他の人が気づかない事象に気づく能力が、人より少し多く備わっているように感じることがある。お断りしておくが、これは頭の良し悪しとは全く関係ないものだ。
母の特殊能力も含めて、こういう能力が備わることが、その人の幸せに繋がるかということだが、私は必ずしも繋がることはないと思う。
むしろ、普通の人以上の困難を生きてきた人に、ある日忽然と備わってくるというほうが当たっているかもしれない。
夜中(早朝?)に目覚めたので、日ごろ思っていることを書いてみた。
ハイジさんは、お味噌作りですか?自家製味噌は栄養価も高いでしょうね。
要約筆記ノートは、川西市の難聴者の会の人たちが作ったもので、水性サインペンで書いてもらって、読んだら消すようになっています。外出時の荷物にはなるけれども、どうしても聞き取れないときにはお助けになります。