今日は、夫が珍しく昼食も夕食もいらないとお昼前に出かけたので、私も簡単に昼食を摂ってから出かけることにしました。
なにしろ、家でくすぶっているにはもったいないようなお天気でしたから。
どこへ行こうかなと考えましたが、まず、転勤になって昨年から次男が通っている大阪中之島のビルを観にいくことにしました。
それで、往きはJRで、復りは阪急電車で帰ることに決めました。
で、駅に行く途中で、チケット屋さんに寄って、休日割引の切符を手に入れました。
JRが320円のところが230円、阪急電車は270円のところが220円になります。
まあ、わずかの金額ですが、買っておくと駅の券売り場で並ばなくていいというメリットもあります。
JR東西線にはJR宝塚線(福知山線)の川西池田駅から乗り換えなしで直行できます。
切符は「北新地駅」行きですが、一つ手前の「新福島駅」で降ります。
駅に電光掲示されていた地図を頭にインプットして、地上に出ます。
Jr東西線は、尼崎を出ると「加島駅」から「大阪城北詰駅」まで、ずっと地下を走り、京橋駅の手前で地上に出ます。
新福島駅を出て堂島川を渡る手前に「のだふじ」で有名な下福島公園があるので、回り道して撮影してきました。
野田藤のいわれの書かれた石碑もありました。
今度くるときは、藤の季節にこようと下福島公園をあとにしました。
下福島公園を出て、堂島橋を渡ります。
これが次男の勤めている会社の入っているビルです。
すぐ隣に55階建てのタワーマンションが建築中でした。
このビルも立派なので撮影したら、大阪国際会議場と書かれてありました。
大阪国際会議場の前には京阪中之島線「中之島駅」のエレベータ乗り場がありました。
その隣は有名な「大阪ロイヤルホテル」です。
関西屈指のビジネス街の中之島に、こんな石碑がありました。
昔、この中之島が諸藩の蔵屋敷だった名残ですね。
これは玉江橋。川の向こうに、「ABC」と書かれた朝日放送の白いビルが見えます。
これは、国立国際美術館と大阪市立科学館です。
国立国際美術館は展示スペースが地下にあるので、地上部分はオブジェのようなものしか見えません。
円形の建物が大阪市立科学館です。次男が小さいころ何度か連れてきてやりました。
これはダイビル。ヨーロッパふうな建物です。
ここから、川べりの遊歩道に上がりました。
上が阪神高速道路、下が、今から渡ろうとする渡邊橋です。
渡邊橋を渡る前に、中之島にあるフェスティバルホールを撮影。
英語の文字の見えるのがフェスティバルホール、と思います。
ここで曲がって、どんどん北に向かって歩くと国道2号線に出ます。
国道2号線沿いに建っているのが、向かって左から、大阪駅前第一ビル、第二ビル、第三ビルです。一番ノッポなのが第三ビルです。昭和50年代にこれらビルができるまで、ここらへんには戦後の闇市が残っていました。
国道2号線をはさんで向かい側(南側)は大阪北新地です。
バブルのころは社用族でにぎわった街です。この信号を渡ってJR「北新地駅」から地下を歩こうかと思ったのでしたが、やはり今日は地上を歩くことにしました。
よそから来られた人達が「大阪って、あまり人が歩いていないね」などと言われるのですが、梅田周辺は地下のネットワークがすごくて、地上を歩かなくても地下街を歩くだけでことが足りるのです。私も普段なら地下街を歩きます。
↓これが大阪第三ビルで、第三ビルの東側は御堂筋です。
つまり大阪駅前第三ビルは国道2号線と御堂筋が交差する角に建っているのです。
今まで東向きに歩いていたのでしたが、ここで曲がって北向きになって、梅田に向かいます。
木の葉に隠れてわかりにくかもしれませんが、突き当たりの大きなビルは阪急百貨店本店です。
右側の道路は御堂筋です。
御堂筋を北に向かっていますが、御堂筋の向こう側(東側)にお初天神通りが見えます。
JR大阪駅に近づいてきましたが、ここは地上の横断歩道がないので、陸橋か地下街に下りるかしなければいけません。
今日は、お天気がいいので、陸橋を歩くことにしました。
大阪駅を越えて、駅の北側のグランフロントを越えて、いま話題になっている「うめきたガーデン」まで来ましたが、人がいっぱいだったのと、秋と思えない強い日差しで暑そうだったので、今回は入場することをやめました。
私の足も棒のようになっていましたし。。。
代わりに、帰途、グランフロントの庭園を眺めながら歩きました。
以前来たときは大阪駅すぐのビルしか見ていなかったのでしたが、今日は、そのさらに北側のビルや庭園も見ることができました。
昔は、旧国鉄の建物とコンテナヤードの殺風景だった場所が見違えるようになっていて驚きました。
大阪に暮らしていたころは梅田には週に1,2回くらいの頻度で来ていたのに、川西市に引っ込んで、久しぶりに来ると、人の多さに目が回りそうでした。
私も、年をとったのでしょうね。周囲の若者達がまぶしかったです。
大阪を離れ十年十分に田舎の人になりにけらしも biko
人工の池といへども水辺りのあれば人らは椅子に憩ひて
とても疲れていた私は、梅田で阪急電車に乗ったまではいいのですが、ぼんやりしてしまって、川西能勢口駅で降り損ねて、一駅先の「雲雀丘花屋敷駅」まで運ばれてしまいました。(^^
気がつけばドア閉まりかけ降りられず雲雀丘花屋敷まで biko
なにしろ、家でくすぶっているにはもったいないようなお天気でしたから。
どこへ行こうかなと考えましたが、まず、転勤になって昨年から次男が通っている大阪中之島のビルを観にいくことにしました。
それで、往きはJRで、復りは阪急電車で帰ることに決めました。
で、駅に行く途中で、チケット屋さんに寄って、休日割引の切符を手に入れました。
JRが320円のところが230円、阪急電車は270円のところが220円になります。
まあ、わずかの金額ですが、買っておくと駅の券売り場で並ばなくていいというメリットもあります。
JR東西線にはJR宝塚線(福知山線)の川西池田駅から乗り換えなしで直行できます。
切符は「北新地駅」行きですが、一つ手前の「新福島駅」で降ります。
駅に電光掲示されていた地図を頭にインプットして、地上に出ます。
Jr東西線は、尼崎を出ると「加島駅」から「大阪城北詰駅」まで、ずっと地下を走り、京橋駅の手前で地上に出ます。
新福島駅を出て堂島川を渡る手前に「のだふじ」で有名な下福島公園があるので、回り道して撮影してきました。
野田藤のいわれの書かれた石碑もありました。
今度くるときは、藤の季節にこようと下福島公園をあとにしました。
下福島公園を出て、堂島橋を渡ります。
これが次男の勤めている会社の入っているビルです。
すぐ隣に55階建てのタワーマンションが建築中でした。
このビルも立派なので撮影したら、大阪国際会議場と書かれてありました。
大阪国際会議場の前には京阪中之島線「中之島駅」のエレベータ乗り場がありました。
その隣は有名な「大阪ロイヤルホテル」です。
関西屈指のビジネス街の中之島に、こんな石碑がありました。
昔、この中之島が諸藩の蔵屋敷だった名残ですね。
これは玉江橋。川の向こうに、「ABC」と書かれた朝日放送の白いビルが見えます。
これは、国立国際美術館と大阪市立科学館です。
国立国際美術館は展示スペースが地下にあるので、地上部分はオブジェのようなものしか見えません。
円形の建物が大阪市立科学館です。次男が小さいころ何度か連れてきてやりました。
これはダイビル。ヨーロッパふうな建物です。
ここから、川べりの遊歩道に上がりました。
上が阪神高速道路、下が、今から渡ろうとする渡邊橋です。
渡邊橋を渡る前に、中之島にあるフェスティバルホールを撮影。
英語の文字の見えるのがフェスティバルホール、と思います。
ここで曲がって、どんどん北に向かって歩くと国道2号線に出ます。
国道2号線沿いに建っているのが、向かって左から、大阪駅前第一ビル、第二ビル、第三ビルです。一番ノッポなのが第三ビルです。昭和50年代にこれらビルができるまで、ここらへんには戦後の闇市が残っていました。
国道2号線をはさんで向かい側(南側)は大阪北新地です。
バブルのころは社用族でにぎわった街です。この信号を渡ってJR「北新地駅」から地下を歩こうかと思ったのでしたが、やはり今日は地上を歩くことにしました。
よそから来られた人達が「大阪って、あまり人が歩いていないね」などと言われるのですが、梅田周辺は地下のネットワークがすごくて、地上を歩かなくても地下街を歩くだけでことが足りるのです。私も普段なら地下街を歩きます。
↓これが大阪第三ビルで、第三ビルの東側は御堂筋です。
つまり大阪駅前第三ビルは国道2号線と御堂筋が交差する角に建っているのです。
今まで東向きに歩いていたのでしたが、ここで曲がって北向きになって、梅田に向かいます。
木の葉に隠れてわかりにくかもしれませんが、突き当たりの大きなビルは阪急百貨店本店です。
右側の道路は御堂筋です。
御堂筋を北に向かっていますが、御堂筋の向こう側(東側)にお初天神通りが見えます。
JR大阪駅に近づいてきましたが、ここは地上の横断歩道がないので、陸橋か地下街に下りるかしなければいけません。
今日は、お天気がいいので、陸橋を歩くことにしました。
大阪駅を越えて、駅の北側のグランフロントを越えて、いま話題になっている「うめきたガーデン」まで来ましたが、人がいっぱいだったのと、秋と思えない強い日差しで暑そうだったので、今回は入場することをやめました。
私の足も棒のようになっていましたし。。。
代わりに、帰途、グランフロントの庭園を眺めながら歩きました。
以前来たときは大阪駅すぐのビルしか見ていなかったのでしたが、今日は、そのさらに北側のビルや庭園も見ることができました。
昔は、旧国鉄の建物とコンテナヤードの殺風景だった場所が見違えるようになっていて驚きました。
大阪に暮らしていたころは梅田には週に1,2回くらいの頻度で来ていたのに、川西市に引っ込んで、久しぶりに来ると、人の多さに目が回りそうでした。
私も、年をとったのでしょうね。周囲の若者達がまぶしかったです。
大阪を離れ十年十分に田舎の人になりにけらしも biko
人工の池といへども水辺りのあれば人らは椅子に憩ひて
とても疲れていた私は、梅田で阪急電車に乗ったまではいいのですが、ぼんやりしてしまって、川西能勢口駅で降り損ねて、一駅先の「雲雀丘花屋敷駅」まで運ばれてしまいました。(^^
気がつけばドア閉まりかけ降りられず雲雀丘花屋敷まで biko