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神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

昨年2月に亡くなられた一人暮らしの女性の家の前の溝掃除

2016年06月09日 06時46分06秒 | 近所
昨年2月に亡くなられた、一人暮らしの女性の家は空き家のまま。

庭も家の中も綺麗にして暮らしていられたが、亡くなられてからは、さすがに表の溝に枯れ葉がたまったりもしている。

今朝、ゴミだしをしようとして、前を通ると、杉の葉がいっぱい落ちていたから、自宅から箒とちりとりとスコップを持ってきて、道路に落ちている枯れ葉と溝に溜まっていた枯れ葉、その他を綺麗にした。

塀の中も落ち葉が溜まっているのが外から見えるが、いくら空き家といっても、勝手に入ってまでは、お掃除してあげることはできない。



この方は一人娘で、「いとこはいるけれども、独り身の私のことで煩わせたくない」と行き来もされていなかった。そして、「亡くなったときのために日本ライフ協会というところに申し込みをしてあります」と言われていた。

が、夫によると、その日本ライフ協会というのは破綻したらしいと。

今後、この空き家はどうなるだろう。

日本には、この家だけでなく、こうした空き家が増えてきているのではないだろうか?

一昨日の夜中(=昨日)の記事でご紹介した川西能勢口駅東口のチロリン村

2016年05月24日 22時16分47秒 | 近所
               (駅から5、6分歩くとチロリン村の灯が見えてきます)

夕方、明日のお米を買いに出たついでに、

一昨日夜中(昨日)の記事「夜の散歩」でご紹介したチロリン村を写してきたのでアップします。

以前も書きましたが、昔は、現在の東出口がメインの出口だったので、現在の東口から東側は店舗、食堂、さらに飲み屋などが連なっていました。

が、阪急電車が高架され、駅も高架されるとともに西側に移り、さらに西出口もできたので、東口は寂れてしまいました。

ところが、どういうわけか、駅から少し離れた場所のこの飲み屋街、チロリン村は残ったのです。残ったということは常連さんがいるということなのでしょうね。

どの店も昭和に建てられた建物らしく、町全体がレトロな雰囲気です。


小さな村なのに一人前に脇道もあり、脇道にも飲み屋、カラオケ屋が連なっています。


私は飲み屋もカラオケ屋さんも入ったことがないのですが、中華料理店だけは、義母の整形外科医院通院の付き添いのあと、夕食を摂るために入ったことがあります。

お世辞にも綺麗といえるお店ではなかったのでしたが、中華料理は、そんな店のほうがおいしかったりするので、期待して入ったのでしたが、期待に反して、あまりおいしくはありませんでした(苦笑)。

チロリン村をぐるっと回ると、国道に面したところにも屋台があって、ビニールハウスよろしくビニールに囲われて、


「黒毛和牛焼肉一枚90円」と看板に書かれてありました。


この写真は、チロリン村の脇道を国道側から写したものです。


  能勢口の東にチロリン村はあり今も昭和の灯が灯(とも)るなり  biko

裏のマンションの地盤は我が家のほうに少し傾斜がある

2015年10月17日 17時15分48秒 | 近所
今日は朝から「道の駅いながわ」と能勢町の小屋に行ったからブログを書けなかった。

が、朝一番に撮影した我が家の裏側をアップする。

我が家の高い塀が邪魔になってわかりにくいかもしれないが、

↑上の写真が裏側(北側)の4階建てマンション、ワンルームマンションだ。

↓こちらは、裏側(北東側)の6階建てマンション、同じくワンルームマンションだ。


↓この二つのマンションの間には用水路が流れている。(2階の私の部屋から撮影)


こういうふうに水がさらさらと流れるくらいの段差がこの二つのマンションと我が家にはあるということ。

だから、昨日の「横浜市都筑区のマンションで杭の一部が強固な地盤に届いておらず建物が傾いていたというニュースに思う」のような手抜きがあればテキメンに我が家はつぶされる。

これが杞憂であることを祈りたい。

ご近所の金木犀の花たち

2015年10月16日 17時59分39秒 | 近所
我が家の隣りの主は私より一歳若い高給取り!のキャリアウーマンである。

今も大阪の本町に毎日通勤していられる。

彼女と同年輩の私は、毎日の食事作り以外、仕事らしい仕事もせずに、そのくせ昼寝だけはたっぷり時間をかけている。(笑)

そのお隣さんは、ガーデニングも頑張っておられて、上にアップした金木犀の花はお隣さんの玄関先にあったものを写させていただいたものである。



お隣も我が家同様、家の敷地は全部コンクリートにされているから、この金木犀の木は鉢植えである。

ほかにも季節ごとに咲く木々を、玄関側にも裏側(北側)にも鉢植えで育てておられる。

私は見せていただくばかりである。

  朝朝の水遣りののち出勤す一人暮らしのキャリアウマンは  biko

↓の写真は、この2月に亡くなられた一人暮らしされていた老婦人の家の金木犀の花である。


亡くなられて、もう8ヶ月が経つが、家も庭もそのままである。

が、心なしか、庭の木々に元気がなくなってきたように見受ける。

この亡くなられた方の家は、我が家からは向かい側になるから、玄関は北向きである。

北向きの庭には、この金木犀以外にもギンモクセイ、白椿、赤椿の木が植わっている。

亡くなってからも折々拝見させていただいているが、この金木犀に限らず、今春は椿の木も元気がなく、花数が少なかった。。

主が亡くなったことが植物にも分かるのだろうか。

存命のころは、裏側にある南向きのお庭もよく見せていただいたが、今は適わない。

天国に行かれても、ときどきは、この家に帰ってきて丹精されていたお庭を眺めておられるだろうか?

  主(あるじ)なき庭に今年も匂ひをり金木犀の金色の花は  biko

  ときどきはこの家(や)に帰ることありや亡くなり八月(やつき)経ちて主は  biko

花水木の実

2015年09月28日 07時42分05秒 | 近所
朝のプチ散歩をしてきた。

家の周囲を歩いてきただけだが、秋の風物詩、花水木の実が成っていたから撮影した。

我が家の周りには3本のハナミズキ通りがある。

↓これは1本目の通り。左側のコンクリートが高架された阪急電車軌道。突き当たりが阪急川西能勢口駅だ。


↓鳥が啄むのか実はまばらである。


↓これは、2本目を飛ばして3本目のハナミズキ通り、旧国道沿いである。


ちなみに、2本目の花水木通りは、花の季節に撮影したものだが、こちら

2本目と3本目の通りは、阪急電車高架を挟んで2本あるということになる。

↓植物を写すのは接写がいいらしいから、接写した。


国道に出たとき、救急車がきた。

見ると、舗道に若い男性がうずくまっている。救急隊員がそれに気づかないで、うろうろしていたから、大きな声で、「こちらですよ」と教えてあげた。

そのあと一渡り散歩してから元の場所に戻ってくると、救急車は停まったままだ。受け入れてくれる病院が決まらないのだろうか。気になりながら帰宅した。

ドラマ「救世済民の男」の舞台・小林一三邸まで散歩してきました

2015年09月07日 17時23分58秒 | 近所
今日は読者サービスとして(?笑)、一昨日、5日(土)午後9時から放映のあったドラマ「救世済民の男」の主人公、小林一三旧邸まで散歩してきました。

我が家からは徒歩15分ほどです。

まず、いつもの呉服(くれは)橋を渡ります。(↑上の写真)

↓左手に五月山が見えます。小林一三邸は、この五月山の麓にあります。


↓5分ほど歩くと、こういう看板がかかっています。そこから少し坂道になります。


↓ここを少し歩いて左に曲がって少し登ると逸翁美術館があります。今日は月曜日で休館日でした。ちなみに、逸翁とは小林一三翁の雅号です。


以前は、逸翁(小林一三)邸が美術館になっていました。

現在は、逸翁邸は純粋に屋敷として公開されて、美術館は独立しています。

美術館には主に小林一三が収集した茶道具などが展示されることが多いようです。

↓右に折れて少し登ると逸翁(小林一三)邸が見えてきます。ここはお屋敷の一部分でレストラン雅俗山荘になっていますが、今日は休館日でレストランもお休みでした。


↓また少し北に登ると小林一三邸入り口です。

↑今日は休館日なので、入り口の戸も閉まっていますが、ふだんは入り口からお庭が見えます。

↓休館日で中に入れないので、裏側(北側)に回りました。

↑北側には勝手口があります。


↓裏側(北側)を東向きに歩いて撮影すると、こんな具合。



↓広い邸が少しでも分かっていただけるように、裏側の道を北進して少し離れて撮影。

↑画面の左端から右端まで小林一三邸なのですが、全部写りきっていません。

↓また下ってきました。先ほどの入り口あたりを角度を変えて撮影。

↑先ほどは南側からの撮影でしたが、今度は北側から撮影しています。

↓逸翁邸の向かいの池田回生病院の塀に地図があったので撮影しましたが、わかりにくいですね。



↓少し下って池田回生病院入り口を撮影。私事ですが、義父はこの病院で亡くなりました。


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ところで、小林一三邸は以前アップことがあったはずと思い出して過去ログを検索するとあったので、貼り付けておきます。↓

阪急電鉄創始者小林一三邸

逸翁邸の庭

ご参考 小林一三・ウィキペディア
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以上、簡単なご紹介でしたが、「救世済民の男」後編は今週末12日(土)に放映されるみたいですね。

近所の家の障子の張替えをしてあげる夫

2015年06月14日 11時42分18秒 | 近所
今朝から夫は、近所(といっても、実はお向かいですが)の障子の張替えをしてあげています。

頼まれればいやと言えない夫は、向かいの家の庭の草引きもしてあげて、さらに家の中の旧いテレビを大型家電店に持ち込んで処分してあげたり、家の中にある明らかに不要と思われるものの処分をしてあげています。(実費はもらっています)

家の所有者は鳥取県に住んでおられます。

週一度、持ち主の嫁いでいる娘さんが帰ってこられるのですが、来ても何もされないので、家の中は亡くなられたお祖母さんのもので溢れています。

娘さんが、そのお父さんに相談すると、うちの夫に頼めと言ったとかで、夫は、自営の仕事の合間にせっせと掃除や片付けをしてあげているのです。

ということで、今日は障子の張替えをしてあげています。

一昨日から東京から帰省している娘一家もまだいるのですが、ご飯の支度は私がするので、孫に手伝わせて障子の張替えを始めたのです。

こういう体験は、なかなかできないので、孫のためにもいいかもしれませんが・・・。

↓我が家の前にも張り替えた障子が立てかけられています。



↓小さな窓の障子も張り替えてあげています。


向かいの娘さんは「おじさん、襖も張り替えてください」と頼んでこられるが、私の娘は、「襖はプロにやってもらわないと」と陰で私に言っていますが、でも、人のいい夫は、やってあげるのではないかと。

まあ夫の親の代からのお付き合いなので、頼まれればいやとはいえないようです。

  家中の障子張替へ家中の襖張替へしてほしいとぞ  biko

ご近所の娘さん

2015年05月16日 08時55分00秒 | 近所
夫は、今日の午前中に東京で人と会うため、昨日の夜行バスで上京したが、今日の夕方の飛行機で帰ってくる。

なので、今朝は、しばし一人でゆっくり。

思えば夫が定年退職して家で仕事するようになってからは、毎日のご飯作りで息が抜けない。昼ご飯が終わると、すぐに晩ご飯は何にしようということになる。ブログを書いている時間が息を抜く時間か。

今朝は、近所の娘さんのことを書いてみる。

娘さんといっても、もうすぐ50歳になられる年齢の人である。

が、その女性は、そのおばあさんと私の姑が仲良しだったことで、そのお父さんと私の夫も仲が良い。

姑の仲のよかった人のお孫さん、夫の仲のよい人の娘さんということで、娘さんとさせてもらう。

その一家は、現在は近所に住んでいるわけではなく、鳥取県で衣服の工場を経営していて住いも鳥取県である。

が、その娘さんは阪急宝塚線沿線に嫁いでおられて、週に一度息抜きに元家に帰ってこられる。

その娘さん、Hさんは、一昨日我が家にきて、夫に、「おじさん、家が片付かないのですが、片付けるのを手伝っていただけませんか」と言われる。、

聞けば、おばあさんの遺したものまで捨てずに置いたままになっているから、家の中がいっぱいだと。

お父さんは、上に書いたように、工場を経営している上、高齢になってきたから、片付けにくるのが億劫だと。おかあさんは、ものを捨てない人だから、来ても全然片付かないと。

人のよい私の夫は、「じゃ、仕事の暇なときに手伝ってあげる」と応えていた。

実は我が家もまだ姑のものが残っていて断捨離が終わっていないのだが、困っていると聞けば、助けてあげようとするのが、私の夫のよいところである。

娘さんは、その後、いろいろ話していかれた。

長い付き合いだから、その娘さんのことは亡き姑からもいろいろ聞いている。

小学生の頃にお父さんの仕事について鳥取県に転校したけれど、よそ者ということで苛めに遭い、精神的にダメージを受けたこと。その後、元家の川西に戻って、一人暮らししていたおばあさんと二人で住むようになったけれど、苛められたトラウマが消えず、ずっと精神を病んでいること。自殺未遂を起こして、救急車で運ばれたこともあることなど。

一昨日我が家に相談にこられたのは、そのお父さんが私の夫に相談してみたらと言ったことと、私がここ10年来鬱病で苦しんでいたことを聞いたせいだと思う。

私が鬱病だったことは、数年前に、私達が、その鳥取県のお住まいにお邪魔したときに私が話した。

それで親近感をもって、話していかれたのだろう。

私は、現在は、鬱病も、ほぼ完治している。

聞けば、そのHさんは、現在も少量ながら鬱病の薬を服用しているという。

そして現在も食事が人並みに摂れないという。見た目も痛々しいほど痩せておられる。

晩婚だったせいもあって子供さんもおられないが、あの細い体では、もし妊娠しても出産は難しかったと思う。

夫は、私にも彼女の家の片付けを手伝うように言っているが、おいおい精神薬の断薬を勧めてあげねばと思う。

私の鬱病が長引いたのは、ネットでのトラブルのトラウマが消えなかったこともあるが、それよりも鬱病の薬を服用したことが、余計鬱病を長引かせていたと今になれば分かる。そう、パラドックスなのだ。

薬を飲むことで一時は不安感が消えたように錯覚するが、長いスパンでみると不安感は増していたのである。私も、一時期死にたくてたまらなくなっていた。今から考えれば、あれは薬の副作用だった。

近年日本に自殺者が増えていることは、精神薬を服用している人が増えていることの証しなのだ。

精神科医療が、いかにいい加減なものであるかは、私は身を持って体験した。

私が本当に苦しんだのは一昨年暮れから昨年の今頃までだったが、Hさんは小学生のときから40年近く苦しんでこられたわけだから、想像もできない暗い人生を送ってこられたことになる。

少しでも彼女の力になってあげられたらと思う。

  モデルより痩せたからだでやうやつと生きゐる人の一生(ひとよ)の過酷  biko

ハナミズキ&加瀬邦彦さん自殺

2015年04月23日 11時07分24秒 | 近所
                  (右側の高架は阪急宝塚線で突き当たりが川西能勢口駅)

今日は、朝一番に、我が家の表通りの向こう側にある調剤薬局にお薬を受け取りに行ってきた。

病院に行ったのは一昨日だったが、私は、たくさん服むお薬を、朝、晩用に分苞してもらうので、調剤に時間がかかる。だから、いつも処方箋だけお預けして、薬は翌日か翌々日に受け取りに行く。

一昨日は我が家の表通りのハナミズキを撮影したが、今日は、この調剤薬局の裏側の階段を上がると別のハナミズキ通りが現れるので、撮影してきた。

川西能勢口駅から音楽堂に行くアプローチは三本あって、我が家の前の旧国道はJR川西池田駅からも川西能勢口駅からも行けるアプローチといえるだろうか。

上の写真は川西能勢口駅からのアプローチの一本である。

↓逆方向を撮影すると、こんな感じ


突き当たりに見えるのは阪神高速道路池田線で、写っていないが、突き当たり右側が音楽堂である。

↓阪急電車高架下をくぐると、もう一本の(三本目の)アプローチ。


この三本目のアプローチも、道の両側にハナミズキが植えられているから、我が家の近くは、計六本のハナミズキの列が連なっていることになる。



詞書 川西市発祥の源氏の始祖は源満仲

  みなもとのみつなかの名をいただける音楽堂は小花(おばな)にありて  biko

  駅前の三つある道いづれもがミツナカホールに至る道なり  biko

  はなみずき並木の並ぶ三つみち春はいづれも花の咲く道  biko

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話は変わるが、往年のグループサウンズ、ザ・ワイルドワンズのキャプテンだった加瀬邦彦氏が自殺されたとか。

私は、母が厳格だったので、こういうグループサウンズや流行歌手等に熱を上げることは許されなかったけれども、短大時代に下宿先の友人に誘われて、「京都労音」とかいう会に入会して、一度だけグループサウンズの演奏を聴きに行ったことがある。

その一度だけのグループサウンズ体験が、加瀬邦彦氏のザ・ワイルドワンズだった。

母の言いつけに背いて、そういう演奏を聴くことに後ろめたさは覚えながらも、演奏を聴くと、体のどこか一部分がしびれてしまった。

あれは何だったろう?

が、ほかの観客(すべて若い女性)達の黄色い声には辟易した。

涙を流して泣いている人たちもいた。

そういう人たちを見るのは初めてだったので、正直戸惑ってしまった。

が、今でも、そのときの光景が目裏(まなうら)に焼きついているのは、よほど印象的だったのだろう。

最近の加瀬氏の活動については何一つ知らないが、しかし、かつてあれほど熱狂された過去があれば、その後の現実は、全てが空しかったのではなかっただろうか?

謹んでご冥福をお祈りさせていただきたいと思う。

  遠見しはひとたびのみの人なるが自死せしと聞き惜しみてをりぬ  biko

マンション暮らしと一戸建て暮らしの比較

2015年04月22日 10時14分42秒 | 近所
数日前、マンション暮らしについて書かれている人がおられたから、私は自分の体験したマンション暮らしと一戸建て暮らしの比較を書いてみたいと思います。

私は現在地に引越してくる前は、約30年間マンション暮らしをしていました。

最上階だったから、眺めはよかったし、風通しもよかったです。

が、不便だったことは、子供達が小さいころは、公園で遊ばせるのも、わざわざエレベーターに乗って降りなければならなかったし、遊んでいる間中、ずっと私も公園にいなければならないことでした。

が、それより、困ることは、生活音が階下に響くということでした。

子供達が小さい頃は、それはそれは気を遣いました。

幸い我が家の階下のご家族は優しい方々だったので、一度も文句は言われなかったのですが、常に気は遣っていました。

それ以外には、買い物をしたときに、自分の住いまで運ぶのが大変だったことです。

私は車の運転ができないので、もっぱら自転車でしたが、食べ盛りの子供達を抱えていた頃は、毎日の食料の買出しと、それを自分の住いまで両手に下げて運ぶだけでも重労働でした。

マンション暮らしでも、十分な広さであればいいのですが、我が家は普通の3LDKに親子5人でしたから、狭くて狭くて・・・。  

一戸建ての家なら外に出しておけるようなものでも、マンションの場合は全部屋内に置かなければならないから、一戸建てよりも広めの面積が必要とされるのですね。

それでもどうにかこうにか、3人の子供達を育てあげて、川西市の一戸建てに引越してきたのは、60歳の目前にした頃でした。

一戸建ての家に引越してきてよかったと思うことはいくつかありますが、車が家の前にあって、出かけるときには玄関の前から出発できることが挙げられます。

荷物を積み込んだり降ろしたりするときは、本当に助かります。

ゴミ出しもマンションの時はエレベーターに乗って捨てに行かなければならなかったのでしたが、現在は10メートルほど歩くだけです。

が、いいことばかりではなく、マンション暮らしだったときには、ゴミの収集がされた跡は管理人さんが始末してくれていたのでしたが、現在は、烏などに荒らされたりしたときは、われわれ住民が掃除しなければなりません。

マンションにいたころは最上階であったこともあって、朝日も夕日も見られたのでしたが、現在の住いは、お日様は天上に上がったときにしか拝めません。

風通しも、マンションのときのようにはよくありません。

が、一戸建ての家に住むことは、ずっと夢だったので、今の生活には満足しています。

  マンションの狭さのなかに子を育て後に引越す家の広さよ  biko

西隣さん

2015年04月12日 09時22分30秒 | 近所
                    (お隣の一部分を撮影させていただいた)

昨日出かける前に西隣さんに、遅くなったが、先日の帰省のときに買ってきたお土産をお渡しした。

なぜお渡しするのが遅くなったかというと、西隣さんは、私と同年代の方だが、まだお勤めをされていて、平日は早朝から夜まで留守にされているから。

大阪市内の会社の経理をされているとか。

「辞めさせてほしいと頼んでいるんだけど、辞めさせてもらえなくて、でも今は嘱託になりました」と、以前お聞きしていた。

昨日は、さらに「現在は嘱託だから、それほどでもないですが、以前はひと月百万いただいていました」とお聞きした。

世間知らずの私は驚いてしまった。

実は、私は、一人暮らしの彼女のことを少し気の毒に思っているふしもあった。

立派な家に住んでいられるが、親からの遺産でもあったのかと思ったりしていたが、自分の稼ぎで土地を買って家を建てられたのだった。

先月、築10年の点検で、外壁の塗り替えなどされたが、その費用に200万かかったと話されていた。が、そんな費用も軽々ですね。

昨日お土産をお渡ししたのは、その外壁工事で騒音を出してご迷惑かけましたと果物をくださったので、そのお返しだった。

それにしても、世の中には、男以上に稼いでいる女性もいるんですね。

  お隣の同ひ年なる人に聞き驚く月収百万ばなし  biko

ついでに、東京で一人暮らしされているお嬢さん(私の娘と同い年)のことにも話が及んで、「娘は東京でIT関係の仕事をしていますが、月収が70万くらいあるから結婚しようとしないのです」と言われる。

これに、また驚いてしまった。

私の次男は、大学のシステム学科の修士課程を出て、某会社のシステムエンジニアをしているが、月収面ではとても足元にも及ばない。

この頃は、女の時代と言われるけれど、身近な人からこういう話を聞くと、肯わざるを得ない。

  ITにをとこをんなの区別なくをとこ凌ぎて稼ぐをんなら  biko

昨日は、その話を聞いたあとで、大阪で次男の結婚式に出るための服など探したのだが、西隣さんなら、私がデパートで破格の高値と買うのを躊躇ったドレスなども軽々と買うだろうと思った。

生き様は死に様

2015年04月09日 11時04分13秒 | 近所
                   (気のせいか今年は例年より花の咲きが悪い)

亡くなられたご近所のYさんのことは昨日で終わりにしようと思っていた。

が、今朝koichiwさんが、昨日の記事に対して「綺麗に手入れされた庭木から住んでいた方の人柄が判るような気がします。」とコメントくださっていたから、もう一回だけ書かせていただこうと思う。

Yさんは、きちんとした人だった。

ご本人によると、お父様が小学校校長先生をしておられたから、常日頃からお母様に、「どんな時でも、人様に見られて恥ずかしくない子であるように」と厳しく躾けられたそう。

私の姑はYさんが子供のころから付き合いがあった。

あるとき、まだ幼いYさんが自宅の前の溝の草を抜いているのを見て感心したら、「お母さんに言われてしています」と応えたと思い出話をしてくれたことがあった。

一人娘さんだったので、お父様が亡くなられてから養子さんをとられて、お母様と3人で暮らしておられたらしいのだが、姑は、「気難しかったYさんのお母さんが養子さんを追い出したから、Yさんは可哀相」と言っていた。

が、ご本人は、「そうではなくて、私が離婚を迫った」と言っておられた。

離婚を迫った理由は、養子さんが生活費を入れなかったからだったという。

「私も若かったから許すということができなかった。もう少し長い目で見てあげればよかったかもしれないけれど」と述懐されたこともあった。

私は、姑のいうことも全くの見当はずれでもなく、Yさんのお母様の思惑も多少は絡んでいただろうと推察する。

まあ理由はどうあれ、その後は母子二人暮らしだったわけだ。

Yさんは結婚前から銀行勤めされていて、離婚後も勤め続けられたらしい。

お母様がご病気になられても看病しながら勤め続けられたから「私は親の世話は出来る限りのことをしたから悔いは一切ない」と言っていられたのは真実だろうと思う。

結局定年退職するまで勤め上げて、その後は亡くなられるまで一人暮らしを貫かれた。

Yさんは生前、「こういう生きかたを選んだのは自分なんやから」と達観していられた。

2年前、肺癌の再発が明らかになっても、「私は死んだあとのことは日本ライフ協会というところに手続きしてある」と落ち着いていられた。

「親戚にも連絡はしない。なぜなら、その家には、その家の都合というものがあると思うから、私のことで従姉妹達を煩わせたくはないから」とも言われていた。

その友人に対しても同様の考えを持っておられて、「いくら仲の良い友人であっても迷惑かけられるのは誰でも嫌だろうと思うから言わない」と。

まあ、それはあっぱれなほどであった。

Yさんは、そういう毅然とした生きかたどおり、毅然と亡くなられた。

                    合掌

 
  親戚も親友にさへ知らせずに独り死ににき雨水のころに  biko

主が入院中のご近所の庭の白椿の蕾

2015年03月02日 12時27分19秒 | 近所
まだ蕾だが、この椿は、私達が平成18年12月にこの川西市の家に引越してきたころ、いろいろ近所のことを教えてくれた方の家の庭の白椿である。

この家の主は、現在80歳になられた一人暮らしのご婦人である。

世間的には老婆ということになるのかもしれないが、童顔で皺のないお顔であることと賢い方なので、老いという言葉が似合わない。

また草花の好きな方で、表庭も裏庭も、季節ごとの花木を植えられていて、一年中花を絶やさない暮らしをしていられる。

お一人暮らしなので、ちょっとしたおかずとかをお届けすることがあったが、そのたびにお庭に咲いているお花を切花にしてくださったりしていた。

ところが、2年ほど前から、以前かかって寛治されていたはずの肺癌の再発で入退院を繰り返されるようになった。

それでもひと月に一度、1週間くらい入院されるペースだったので、家にいられることが多かった。

が、昨年の秋からは、ほとんど入院されたままだ。

晩秋に一度帰宅されて、植木屋さんを呼んで、植えてある木々の剪定をしてもらった様子だったが、あいにくお目にかからなかったので、私は昨年夏ごろからお会いしていないことになる。

今日も、ゴミだしをするついでに、ちょっと外から覗いてみたが、人の気配がない。

で、まだ咲いてはいなかったが、玄関の傍に植えられてある白椿を写させていただいてきた。

この方は、元々一人娘で、一度養子をとられたようだが、その養子さんが生活費を入れないので離婚したと以前話しておられた。

それ以来ずっと銀行に勤めながら、お母さんと二人暮らしをしておられたことは、姑から聞いていた。

お母さんがなくなられてからは、ずっとお一人暮らしをされておられたのだが、こういう身寄りのない方が亡くなられたあとは、どうなるだろう。

この家のお隣も、数年前に主が亡くなられて、現在空家であるが、息子さんが3人おられるから、時々どなたかが泊まられているのか、ときどき明りのついていることがある。

こちらの主さんは大阪大学の教授をされていた方で、それ以外にもラジオの英会話の先生もされておられたらしいから、収入も多かったのであろう。家もかなり大きい。

空家のままにしておくと家というものはどんどん傷んでくると思うが、そのままにしているのは、息子さん3人が遺産相続で揉めているとかかもしれない。

日本の空家率がすさまじい勢いで高まっているということをニュース等で聞くが、近所を見ているだけでも、それを実感する。

  歯が抜けてゆくかのやうに抜けてゆく近所の人ら 空家(あきいえ)は増ゆ  biko

荷物の多さ

2015年02月02日 15時18分31秒 | 近所
一昨日越してこられた斜め向かいのお宅は、昨日も今日も、何度もライトバンで荷物を運び込まれる。

いったいどれほどの荷物かと思う。

今日は、衣装箱のような箱がたくさん運び込まれた。

そこそこの広さはありそうだが、豪邸いうほどではないからクローゼットはもう満杯ではなかろうか。

いったん家の中に納めると、捨てることはなかなかできないのにと他人事ながら心配もする。

実は、我が家も収納場所はたっぷりとってあって、合計8間ぶんくらいのクローゼットがある上に屋根裏は20畳くらいの広さがある。

それでも、部屋に何も置いていないという状態ではない。

屋根裏には、まだ義母のものがかなり残っている。

全部捨ててすっきり暮らしたいと思う気持ちは強いが、義母のものを全部捨てることは気が咎めるという相反する気持ちもあって、そのままにしてあるのだ。

せっかく新しい家なのだから、古いものは捨ててしまってから越してこられたらよかったのにと、他家のことは思う。

  ガラクタか宝物かは知らねどもどんどん運びこまるる箱よ  biko

斜め向かいのお家のお引越し

2015年01月31日 13時23分38秒 | 近所
昼食を摂っていると、家の前に大きなトラックが入ってきた。

斜め向かいの家の引越しだ。

今日が土曜日だから、午後いっぱいを使って運び込んで明日の日曜日に荷物を納める予定なのだろう。

と思いながら眺めていると、もう1台トラックが入ってきた。



最近は、どこのお家も荷物が多いから、引越しは大変だ。

引越しを見ていると、日ごろからスリムな暮らしを心がけていないといけないと思う。

と思いながら、片付けの苦手な私は、どんどん物を増やしながら生きている。

  片付けの下手な私は増えてゆく物に囲まれ古(ふ)りてゆくなり  biko