久しぶりに書こうと思います。
5年前から10年日記を付けている。毎日、「○年前の今日」が分かるのが面白い。だから、1年間という長さの感覚は身についているはず。でも、去年の6月8日から、「もう1年」なのか「まだ1年」なのか、よく分からない。それは、秋葉原事件と自分との微妙な距離感が影響しているように思う。
彼は自分の一学年上にあたる。いわゆる酒鬼薔薇事件や高速バスジャック事件の犯人たちと同い年。彼らをバカな奴だと冷めた目で見つつも、物心ついたときから閉塞的な時代の中で成長してきた同世代として、考えるものがある。被害者にも同世代の人がいた。他人を助けようとしたところを刺されるなんて、言葉を無くしてしまう。
ゴールデンウィークに秋葉原に出かけた。友人のお祝い用にデジタルフォトフレームを買いに。歩行者天国が無くなった電気街は、歩道に人があふれかえり、ちょっと移動するだけでも一苦労だった。混雑に巻き込まれると、1年前に凶行があった場所だということを忘れそうになる。被害にあった人たちは、自分の身にそんなことが起こるなんて露にも思わなかっただろう。現に、いま街を歩いていても考えない。むしろ、新型インフルエンザを気にしてる。
ふと、ここで誰かがナイフを振り回したら…と頭によぎる。歩行者天国をやるかやらないか、問題はそこにあるのか。再開の条件に、防犯カメラの設置を進めるらしい。カメラがあったら、彼は犯行を止めていたのだろうか。うーん。
ここのところ、リーマンショックから派遣切り、内定取り消しと、社会はどん底にあった。フラストレーションを吐き出す場もない。会社も学校も息苦しいのは確かかもしれない。でも、それは理由になるのか。昨今の若者の置かれた状況を象徴する出来事のように見えるけど、それでまとめ上げる論調には、釈然としないし、一緒にしないでくれと怒りすら感じてしまう。
はっきりと白黒付けられるものなんてない。その灰色のもやもやとしたこの感情。この事件を思い出す度に、取り留めもなく当てもなく考えが宙をさまよう。「もう」なのか「まだ」なのか、何年経ってもそう思うんじゃないだろうか。 …と書いたところで、池田小事件から8年だとテレビで言っていた。やっぱりよく分からない。
5年前から10年日記を付けている。毎日、「○年前の今日」が分かるのが面白い。だから、1年間という長さの感覚は身についているはず。でも、去年の6月8日から、「もう1年」なのか「まだ1年」なのか、よく分からない。それは、秋葉原事件と自分との微妙な距離感が影響しているように思う。
彼は自分の一学年上にあたる。いわゆる酒鬼薔薇事件や高速バスジャック事件の犯人たちと同い年。彼らをバカな奴だと冷めた目で見つつも、物心ついたときから閉塞的な時代の中で成長してきた同世代として、考えるものがある。被害者にも同世代の人がいた。他人を助けようとしたところを刺されるなんて、言葉を無くしてしまう。
ゴールデンウィークに秋葉原に出かけた。友人のお祝い用にデジタルフォトフレームを買いに。歩行者天国が無くなった電気街は、歩道に人があふれかえり、ちょっと移動するだけでも一苦労だった。混雑に巻き込まれると、1年前に凶行があった場所だということを忘れそうになる。被害にあった人たちは、自分の身にそんなことが起こるなんて露にも思わなかっただろう。現に、いま街を歩いていても考えない。むしろ、新型インフルエンザを気にしてる。
ふと、ここで誰かがナイフを振り回したら…と頭によぎる。歩行者天国をやるかやらないか、問題はそこにあるのか。再開の条件に、防犯カメラの設置を進めるらしい。カメラがあったら、彼は犯行を止めていたのだろうか。うーん。
ここのところ、リーマンショックから派遣切り、内定取り消しと、社会はどん底にあった。フラストレーションを吐き出す場もない。会社も学校も息苦しいのは確かかもしれない。でも、それは理由になるのか。昨今の若者の置かれた状況を象徴する出来事のように見えるけど、それでまとめ上げる論調には、釈然としないし、一緒にしないでくれと怒りすら感じてしまう。
はっきりと白黒付けられるものなんてない。その灰色のもやもやとしたこの感情。この事件を思い出す度に、取り留めもなく当てもなく考えが宙をさまよう。「もう」なのか「まだ」なのか、何年経ってもそう思うんじゃないだろうか。 …と書いたところで、池田小事件から8年だとテレビで言っていた。やっぱりよく分からない。
これがなかなか難しいもので。
だから、所属というか、ポジションというか、そういうものをいくつも掛け合わせたところに自分があると考えるのかなと。
一方的に「個性」を押し進めた結果、なんだかよく分からなくなっちゃった人が続出したのかも、と考えたりもします。
卵の話も、そうだなと思う一方で、壁もよく見ると実は卵が積み重なったものだったりする場合もあるんじゃないの、とか思ったり。
いずれにせよ、二分法は難しい時代になってきたんだと思います。
何かに所属することは安心を与えてくれるかもしれないけれど、窮屈に思うこともあって。ってじゃあどっちがいいの?とか。
そもそも所属とか関係なくて、もっと自分のプリミティブなものに沿うべきなのかな、とか。
昔のこの国は、もっと陰と陽がはっきりしていたのではないだろうか、とか。
きみの文章を読んで考えてしまいました。
ある作家が、メタファーとして壁に生卵をぶつける内容のスピーチをしていたけれど、ぶつけてみるのも悪くないのかもしれないね。
いずれにせよ、タフでいること(タフでいようとする態度)は良さそうなんだけど、それをすぐ忘れちゃいそうになることが私は多いです。
頭がこんがらがってきたから、眠ってみようと思います。