静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

昭和100年を迎えるいま、道州制導入論議の復活と具体化を!

2024-06-16 10:44:29 | 時評
 明治維新で新政府が行った数々の変革のうち<廃藩置県>と<士農工商:身分制の廃止>は近代国家誕生に不可欠な枠組みづくりであった。大国になりつつあるインドの足かせは『カースト制』であり、
経済成長だけではない真の意味での平等な人権が保障される市民国家となるには『カースト制』の理論的支柱であるヒンディー教の制約を切れるかどうかにかかっている。
 身分制度は人権尊重ばかりか自由の保障にも障害であり、中国同様、経済成長だけで国民の心を繋ぎとめられなくなる日は遠くない。

 来年(2025年)は昭和年号でカウントすると丁度100年目にあたる。ひと時、明治100年を懐かしむ風潮があったが、もはや文字通り「明治は遠くなりにけり」であり、いま国民が日本の将来に向けて温故知新とすべきは、明治ではなく「昭和の100年」であろう。その温故知新には、100年の内の20年を占めた明治以来の軍国日本への反省が当然、含まれねばならない。
 此の意味で、明治維新をまるごと単純なノスタルジーの対象としてはいけない。

 19年前の2005年5月、当時の総務省は<地方制度調査会・専門小委員会>に、全国を8~12の地域に再編する道州制(案)を発表した。だが、現在までのおよそ19年間、政府内部・国会・各政党
どこも検討を続けてこなかった。
 ・・現在の(日本維新の会)が、当時「道州制導入」を訴えたが、それは「大阪都構想」に変貌したのか、あれ以来、維新の誰からも道州制再検討の声が聞こえない。 
   思うに「維新の会」が全国政党に脱皮できない理由の大きなものが、「大阪都構想」への固執と道州制導入へのイニシアティブ放棄ではないか?・・・
 政府を含め、議論消滅には経済停滞、東日本大震災と原発事故、政権交代など様々な障害が重なったのが背景にあるとは推察できる。できるが、大胆な廃藩置県で【国家100年の大計】を構想した明治維新の先達の構想力と大局観は見習わねばならない。廃藩置県は帝国主義に走ってしまった明治後半の傾斜と違い、正しい選択の一つだったと私はプラスに評価する。

 さて、行政制度改革の効果には、公務員や議員数の削減による行政サービス負担が第一にあがる。しかし、行政区画の変更は行政コストの論議だけで済む簡単な話ではない。
年々ひどくなる<過疎と過密の拡大>や<国土保全・環境保全・防災体制>をどうするのか?『税財源の地域格差』是正につなげられるのか? それは人口や行政面積・財政力バランスの改善にどこまで
役立つか? 実施に当たっては(行政庁・裁判所・警察消防等の再編)(選挙区再編)(電話&郵便サービスに関連する付帯業務)(現在までの都道府県意識と新しい自治体市民・国民意識との融合)
(新しい州都をどこに?)等々、解決課題が山ほど出てくる。だからといって、まだ先送りして良いのか?といえば、国の在り方・国力低迷の遠因に国家全体の行政効率悪化があるのは間違いないので、
明治維新の英断に倣い、自治体首長・議員含め全ての政治家は党派を問わず急いで議論を復活すべきではないか? 人心一新という効果もある。これこそ政治家が国民に訴えるべき大事な使命ではないか?


 行政制度改革の効果にはもう一つある。それは、とかく行政効率と統治しやすさの観点から中央集権に傾きたがる保守政治家と支援者たちの危険な国家第一主義尊重にブレーキをかけ、
民主と人権尊重の強化に舵を切り直す目的からも「道州制の再論議と実行」は有益だと私は信じる。議員内閣制については、ひとまず横に置いておく方が円滑にゆくだろう。
 国際情勢の不安定化や近隣集権体制国の横暴で、とかくナショナリズムが煽られる傾向が既にあるいまこそ、日本は同じような強権統治国家にはならないとのモデルを目指すことは大切だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする