「Jerry's Mash」のアナログ人で悪いか! ~夕刊 ハード・パンチBLUES~

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「ハウリンメガネ」が書く! 『行って来たぞ!Enoアンビエント京都』

2022-07-16 14:19:49 | 「ハウリンメガネ」の「ヴァイナル中毒」&more

読者諸賢、ご無沙汰!ハウリンメガネである。

行ってきました!「ブライアン・イーノ・アンビエント・キョート(https://ambientkyoto.com/)」!
本来なら先月にマシュメガネ対談の形で掲載予定だったのだが、ご存じの通り編集長が身体を痛めてしまった為、書き物、編集作業が実施困難でマシュメガネ対談は連載中断(名曲しりとりも。先日直接会って話したが確かにPC類での作業は厳しそう。楽しみにして下さった方々、申し訳ないが御容赦の程を。とはいえ他の連載は継続していくのでそちらでお楽しみ願いたい)。

というわけで私の単独コラム形式になってしまうがアンビエント・キョートのお話と参ろう!(以下、ネタバレというか、前知識なしに観たほうが楽しいと思うので、まだ行ってないよ〜、行く気だよ〜という方は行ってから読んだほうがいいかも。そういう人は行ってから読んで頂きたい。一つだけ先に注意すると、イーノの意向でグッズ売り場に買物袋はないので、グッズを買う気の人は何かしらの大きめの袋必須。私はグッズ買ってから慌てて近くの某電器店で袋を買いました)

まず、結論からいえば心の底から「よかった!」と断言しよう!私自身、開催期間中にもう二、三回は観に行くつもりだ(8月21日まで開催予定)。
開催場所は京都の京都中央信用金庫旧厚生センター(東本願寺のすぐ近く。JR京都駅から歩いて10分程度)。日曜の昼1時頃に行ったのだが中々の盛況。勿論開催形式的に人でごった返すような形ではないが、入れ代わり立ち代わり出入りはかなり多く見られた。しかもカップルや親子連れもかなり居り「おおっ!アンビエント文化の未来は明るいぞ!」と独りごちた私(嬉しかったのは展示室を出たとこにいた子供が親御さんに楽しそうに「すごいねぇ、すごいねぇ」と言っていたこと。イーノのインスタレーションはやはりポップアートであり、老若男女問わず人々を楽しませるものだ。そしてその「楽しい」の中に見え隠れする影(不安や危険を想起させる要素)がイーノのインスタレーションを趣深いものにしている。この辺り、編集者、文筆家の松岡正剛氏の云う「日本人と面影」論やフリップ先生がクリムゾンで演っている「Mie gakure」という曲の趣きに通じるものがまさに「見え隠れ」していると思うのだがどうだろうか)。

閑話休題。
肝心の展示内容を会場案内パンフレットから抜き出すと、
I. 77 Million Paintings
II. The Ship
III. Light Boxes
IV. Face to Face
V. The Lighthouse
の5つ。

「V. The Lighthouse」は展示室以外の、廊下やトイレで流れているイーノの音を全部引っくるめてこう呼んでる模様。
会場内(展示室間)を移動すると音楽が変化してるのだが、面白いことにその変化したポイントが意識できないのだ。音量の変化、曲調の変化があまりにシームレスで、フッと気づいた瞬間に曲が変わっていることに気づく次第(なお、廊下に盆栽や石が置かれていたのだが、これらもアンビエント・キョート用に用意されたものらしい。イーノの音楽と日本の庭園文化は何故か相性がいい)。

そして展示室に展示されていたI〜IVだが、会場の1階にI、2階にIII、3階にIIとIVが展示されており(おそらく会場スペースの都合だとは思うのだが、このパラレルな配置もイーノ的だと思うのは私だけ?)、私は最初、配置がよく分からずとりあえず2階へ。
そこで、「III. Light Boxes」に入ったのだが……そこでまず20分ばかり見入ってしまった。

暗い部屋の壁に(展示室は全部暗いのだけど(笑))、3つの光る四角い箱が横一列に飾られており、これらがゆーっくりとした速度で色を変えていく。

これがいつ変わったか知覚できない遅さで変わるのだ。
夕焼けが夜に変わる瞬間が知覚困難なように、非常にスロウな変化が絶えず繰り返されていく。光の色も原色的などぎつい色のはずなのだが、箱の透過性でフォグが入る為か、目に痛くなく、ずっと見れてしまうのだ(ちなみに色には機能がある。分かりやすいのは信号機の色分けで、人間は赤や黄色は危険を、青や緑は安全を感覚的に認識しやすいのだそうだ(幼稚園などの帽子に黄色いものが多いのもこの理屈)。これらの機能を持つ色が絶えず移り変わっていくところに先述の「見え隠れ」が潜んでいると筆者は考える)。
これに加えて当然ながら部屋にはドローン強めのイーノ印アンビエントミュージックがずーっと流れているのだから、そりゃあぼーっと見入らない方が無理というものだ。

とはいえいつまでも見入っているわけには行かない。次第に主張してきた膀胱の違和感を処理すべく手洗いのある3階へ行き(この時に先述の「V. The Lighthouse」のシームレス感の凄さに気づいた)、その流れで「IV. Face to Face」の展示へ(これはアンビエント・キョートでの展示が世界初公開とのこと)。

こちらは「III. Light Boxes」と発想は同様なのだが、変化するのが光ではなく、人の顔。
モーフィングという技術はお分かりだろうか。人物Aの顔から人物Bの顔に少しずつ変わっていくアレである。
あれをこれまたゆーっくり、21人の顔からランダムにパーツ単位で変化させていくのがこの「IV. Face to Face」なのだが、これもホントにいつ何が変わったかが分からないのである!

「え〜っ?人の顔でしょ?流石に変化したら分かるんじゃないの?」と思うでしょう?
確かにじーっと見ていたら「ん?いまちょっと影が濃くなった?」とか「あっ、ヒゲがちょっとずつ生えてる!」などと気づくのだが、相当集中しないとまず気づけない。さらに言うと、このような感じで3枚の画面パネルがあるのだが、

真ん中の人の変化を捉えようと思い、真ん中を集中して見る。この時、左右のパネルも視界には一応入っている。ところが真ん中の変化を把握し、ふっと視界を左右に広げると、一応見えてたはずの左右の人が全く違う人に変わっているのだ!
「木を見て森を見ず」の言葉通り、1枚の変化に気を取られている間に残りの2枚が変わってしまうのを見逃してしまうし、逆に「森を見て木を見ず」もまた然りで、森、つまり3枚全部の変化を見ようとすると木、1枚ずつの絵の何が変わってたのかが分からなくなる(まるでイーノに「人間の知覚能力なんてそんなもんだよ」と言われている気分にすらなる。なお、この部屋にももちろん音が流れてるのだが、天井のコーナーに小型のステレオスピーカーが吊るしであるだけなのにボトムがとても力強かったのはお見事の一言(普通、吊るしはボトムが出ない)。部屋を一個のスピーカーボックスに見立て、部屋鳴りを上手く使うというのは確かに音響テクニックの一つなのだが、ここまで上手くやられると脱帽!)。

そして次に見た「II. The Ship」。これがよかった!
これは音が主体の展示なのだが、暗い部屋の中に入るとまず、真正面にオーディオスピーカーが積まれている。そしてその上にちょこん、と置かれているピグノーズアンプ!
おっ!と思って部屋の中を見回すとややっ!ギターアンプが3台も!(アンプを見ると血が騒ぐのはギター弾きのサガなのか(苦笑))

部屋を入り口から見て正面にヴォックス、右にフェンダーと思わしきツイード、左にJC-40(名機!私はJC-120よりこれが好き)がそれぞれ置かれ、それ以外にもあちこちにオーディオスピーカーが配置。

それら全てのスピーカーからイーノの「The Ship」という曲が流れてるのだが、その曲の構成音のパーツを部屋中に置かれたあちこちのスピーカーからパラで出しており、自分がいる場所で聴こえ方が変わるのだ(おそらくパンニングもオートメーションされているはず。ギターアンプもそのいちパーツであり、常時音が出ているわけではなく、時折アンプから音が出る、という使われ方だったことも記しておこう(思わずアンプに耳を近づけて確認してしまった私の姿はさぞ怪しかったであろう(笑))。

この、ギターアンプのところにスポットライトが薄く当たってるだけ、という本当に暗い部屋(入口に「目を慣らしてから、お入りください」と書かれているほど)の中で聴く「The Ship」が心底良いのだ。
曲自体はインナースペーシーなシンセと読経のような歌が繰り返される瞑想にはもってこいの曲なのだが、先述のとおり、立ち位置で聴こえ方が変わる為、大型スピーカーの近くに行ってみたり、ギターアンプそれぞれの前に行ってみたり、部屋を一周してみたりして、聴こえ方の変化を感じるだけで気づけば30分経っていた(音とは空気の振動であり、聴く場所で音が変わるということを身体で理解できるイベントは中々に稀有であり、こういうイベントでそれを理解する人が増えると音楽文化も変わっていくのではないか、と筆者は愚考する。読者諸賢もスピーカーがあるなら試しにスピーカーの真横や真後ろで聴いてみるとよい)。

この後に再度「III. Light Boxes」と「IV. Face to Face」を見てから1階の展示を見てないことに気づき、最後に見たのが「I. 77 Million Paintings」(これがイーノのインスタレーションとしては一番有名なのだとか)。
ここも「II. The Ship」同様、真っ暗の部屋。細い木の柱が立ち並ぶ中に大変座り心地の良いソファが並んでおり、それに座りながら壁に寄木細工様に組まれた映像パネルの変化を見る、という展示(まるで教会のステンドグラスの模様が変化していくようでまことに美しい)。
「III. Light Boxes」、「IV. Face to Face」同様にゆーっくりパネルの映像が変化していくのだが、チルアウトな音が流れており、ソファの座り心地も相まってぼーっと20分ばかり見入ってしまった(他の来場者の方に席を譲ることを考慮しなくてよいとかなら一日居られる自信あり。それぐらい気持ちいい)。

以上5つ。
全ての展示に共通するのは「体感時間のスロウダウン」。
全ての変化が「ゆーっくり」なのだ(「ゆっくり」では全く足りない。なんなら棒を3つぐらいにして「ゆーーーっくり」でもいいぐらいだ)。
体感時間の速度がここまで引き延ばされるアートも滅多にない。映画監督の押井守氏がヴェンダースの「パリ、テキサス」を例に出し、「観客の体感時間の流れをコントロールできるのは映画の特権的な機能だ」と仰っていたが、それに近いものを感じる(ついでにいえばイーノプロデュース作の残響の美しさ、あれも「音の面影をどのくらいの時間、どのくらいの量で残せばいいか、減らせばいいか」という時間感覚の発露といって良いだろう)。

これ、インスタレーション、展示というフォーマット故に可能なことではないのか?

体感できる音楽作品、映像作品、例えばコンサートや映画というフォーマットは基本的に始まった以上は終わらなければならない(つまり開始時間と終了時間は予め決まっている……と書くとうちの編集長に「(グレイトフル・)デッドはライブの終了時間なんか決めなかったゾ!」と言われそうだがありゃ例外(笑))。レコードなら再生の限界は各面の最内周だし、映画だって何時間も上映はできない(偶にあるけど)。
となるとイーノの今回の展示のように「ゆーーーっくり」した変化を味あわせるには時間が圧倒的に足りない(故にx時間内に収める為の編集作業が必要になるし、それによって作品がブラッシュアップされることも多々あるのだが)。
ところが展示というフォーマットは開場、閉場時間こそあるものの、来場者が作品に触れたところが開始地点で、帰る気になった時が終了地点。
どこから始めても、どこで終わっても構わないというインスタレーションの形式であれば、媒体に存在する限界、開始と終了の制約を排除することが可能になるーー

そう!アンビエントミュージックとは「環境」音楽!音楽単体ではなく、その音楽が鳴るのにふさわしい「環境」があって初めてアンビエントミュージックが完成する!なんてこった!アンビエントミュージックにこれほど似つかわしい形式があるか?

筆者も意識が音楽に偏りがちな為、アンビエントミュージックが「環境」を必要とすることが意識から抜けていたが、イーノはそもそもノン・ミュージシャン。
イーノの音楽面はこのインスタレーションに表れた表現方法の一面でしかないのだ(そういう意味でいうと、音楽だけでイーノを語るというのは片手落ちといってよい……我々これまで散々話してきたけど(笑)!)。

という訳で、アンビエントミュージックの本質を身体で体感できるアンビエント・キョート。是非おこしやす……と〆たいところだが「イーノで紐解くロックの歴史」を読んでくれていた方の為にそこに最後に触れよう。

会場では「イーノショップ」と銘してグッズも販売されている(作品目録本、Tシャツ、トートバッグにLP、CD、なんと落雁で今回の展示のメイン図案を再現した和菓子まで!なお、私が行った日はトートバッグが品切れ。和菓子は悩んだ末、買わなかった……次回は買おう(笑)。冒頭でも述べたが、イーノの意向(イーノはエコ活動推進家)で買物袋は会場にないので、袋必須)。
せっかくだからTシャツと目録ぐらい買って帰ろう、と思って寄った私だが、そこで先程の「II. The Ship」のLPを発見!喜び勇んで購入したのだが(一緒にディスクリート・ミュージックの12インチ45回転2枚組とTシャツと目録も買っちゃった(笑)!)この「The Ship」の最後でベルベッツの「I'm Set Free」をやっているのだ。
マシュメガネ対談「イーノで紐解くロックの歴史」の始まりが何だったか覚えておられるだろうか。そう、ベルベッツである。

やっぱりイーノのビッグバンはベルベッツだったのだ。
会場案内の裏に「ありきたりな日常を手放し、別の世界に身を委ねることで、自分の想像力を自由に発揮することができるのです。−−ブライアン・イーノ」と書かれている。
まさに「I'm Set Free」ってことだ。

音楽は歴史の連なりであり、どんな音楽にも親がある。それはベルベッツであり、ビートルズであり、ブルースであり、ジャズであり、バッハやモーツァルトであり、もしかしたら心臓の鼓動かもしれない。
さあ読者諸賢!「ありきたりな日常を手放し」、「別の世界に身を委ね」、「自分の想像力を自由に発揮」しようじゃあないか!

ではまた次回!ハウリンメガネでした!