2011. 11/25 1031
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(2)
「守の子どもは、母なくなりにけるなど、あまた、この腹にも、姫君とつけてかしづくあり、まだ幼きなど、すぎすぎに五、六人ありければ、さまざまにこのあつかひをしつつ、他人と思ひ隔てたる心のありければ、常にいとつらきものに守をうらみつつ、いかで引きすぐれて、おもだたしき程にしなしても見えにしがな、と、あけくれこの母君は思ひあつかひける」
――常陸の介の子女たちは、亡くなった母が産んだ者たち、すなわち、先妻の子などたくさんいて、さらに後妻であるこの中将の君の腹にも、姫君と呼んで大切にする子がいて、その他にも幼いお子が次々に五、六人はいます。守はそれぞれの養育をしながらなので、どうやら連れ子の浮舟だけを他人扱いにしている様子がみえるのでした。母北の方(中将の君)はそれを日頃から情けない夫の仕打ちと恨めしく思い、この八の宮の形見の姫君を、どうにかして他の子以上に面目ある程の縁につけても見たいものだと、朝夕に心をつくしてお世話していました――
「様容貌の、なのめにとり交ぜてもありぬべくは、いとかうしも何かは苦しきまでも、もてなやままし、同じごと思はせてもありぬべきを、物にもまじらず、あはれにかたじけなく生い出で給へば、あたらしく心ぐるしきものに思へり」
――浮舟の容貌が並み一通りで、他の子供たちと一緒にしておいても良いというのなら、どうしてこれほどまでに、心配するでしょうか。他人には同じ受領風情の娘と思わせても良い筈ですが、浮舟は他と紛れようもなく美しく成人なさったので、母君はこのまま田舎に朽ち果てさせるのが、いかにも勿体なくも惜しくもおもわれるのでした――
「女多かりと聞きて、なま君達めく人々もおとなひ言ふ、いとあまたなり。はじめの腹の二、三人は、皆さまざまにくばりて、おとなびさせたり。今はわが姫君を、思ふやうにて見たてまつらばや、と、あけくれまもりて、撫でかしづくことかぎりなし」
――この守の家には娘たちが大勢いると聞いて、あまり大したこともない公達めいた人々で、懸想文を寄せる者も多いのでした。亡き先妻腹の娘たち二、三人はそれぞれ縁づけて一人前にしましたので、今度こそわが姫君(浮舟)を理想通りに御縁づけ申したいと、明け暮れ目も離さずいたわり、かしずいて、大切に思うこと一方ではないのでした――
「守もいやしき人にはあらざりけり。上達部の筋にて、中らひも物きたなき人ならず、徳いかめしうなどあれば、程々につけては思ひあがりて、家の内もきらきらしく、物きよげに住みなし、事好みしたる程よりは、あやしう荒らかに田舎びたる心ぞつきたりける」
――常陸の介の素性もいやしくはなく、上達部の血筋で、一族にも見苦しい人はなく、財産も相当に蓄えているというわけで、身分の割には思いあがってもいるようです。家の中も派手に飾り立て、手入れも行きとどいて暮らしてしましたが、風流好みの割には、妙に賤しく荒々しく田舎じみたところがあるのでした――
◆なま君達めく人々=ちょっと貴公子風の人々
では11/27に。
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(2)
「守の子どもは、母なくなりにけるなど、あまた、この腹にも、姫君とつけてかしづくあり、まだ幼きなど、すぎすぎに五、六人ありければ、さまざまにこのあつかひをしつつ、他人と思ひ隔てたる心のありければ、常にいとつらきものに守をうらみつつ、いかで引きすぐれて、おもだたしき程にしなしても見えにしがな、と、あけくれこの母君は思ひあつかひける」
――常陸の介の子女たちは、亡くなった母が産んだ者たち、すなわち、先妻の子などたくさんいて、さらに後妻であるこの中将の君の腹にも、姫君と呼んで大切にする子がいて、その他にも幼いお子が次々に五、六人はいます。守はそれぞれの養育をしながらなので、どうやら連れ子の浮舟だけを他人扱いにしている様子がみえるのでした。母北の方(中将の君)はそれを日頃から情けない夫の仕打ちと恨めしく思い、この八の宮の形見の姫君を、どうにかして他の子以上に面目ある程の縁につけても見たいものだと、朝夕に心をつくしてお世話していました――
「様容貌の、なのめにとり交ぜてもありぬべくは、いとかうしも何かは苦しきまでも、もてなやままし、同じごと思はせてもありぬべきを、物にもまじらず、あはれにかたじけなく生い出で給へば、あたらしく心ぐるしきものに思へり」
――浮舟の容貌が並み一通りで、他の子供たちと一緒にしておいても良いというのなら、どうしてこれほどまでに、心配するでしょうか。他人には同じ受領風情の娘と思わせても良い筈ですが、浮舟は他と紛れようもなく美しく成人なさったので、母君はこのまま田舎に朽ち果てさせるのが、いかにも勿体なくも惜しくもおもわれるのでした――
「女多かりと聞きて、なま君達めく人々もおとなひ言ふ、いとあまたなり。はじめの腹の二、三人は、皆さまざまにくばりて、おとなびさせたり。今はわが姫君を、思ふやうにて見たてまつらばや、と、あけくれまもりて、撫でかしづくことかぎりなし」
――この守の家には娘たちが大勢いると聞いて、あまり大したこともない公達めいた人々で、懸想文を寄せる者も多いのでした。亡き先妻腹の娘たち二、三人はそれぞれ縁づけて一人前にしましたので、今度こそわが姫君(浮舟)を理想通りに御縁づけ申したいと、明け暮れ目も離さずいたわり、かしずいて、大切に思うこと一方ではないのでした――
「守もいやしき人にはあらざりけり。上達部の筋にて、中らひも物きたなき人ならず、徳いかめしうなどあれば、程々につけては思ひあがりて、家の内もきらきらしく、物きよげに住みなし、事好みしたる程よりは、あやしう荒らかに田舎びたる心ぞつきたりける」
――常陸の介の素性もいやしくはなく、上達部の血筋で、一族にも見苦しい人はなく、財産も相当に蓄えているというわけで、身分の割には思いあがってもいるようです。家の中も派手に飾り立て、手入れも行きとどいて暮らしてしましたが、風流好みの割には、妙に賤しく荒々しく田舎じみたところがあるのでした――
◆なま君達めく人々=ちょっと貴公子風の人々
では11/27に。