永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1022)

2011年11月03日 | Weblog
2011. 11/3     1022

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(83)

次の歌は、薫大将がお庭に下りて、冠に挿す花を折って、献上された時の歌とか。

「『すべらぎのかざしに折るとふじの花およばぬ枝に袖かけてけり』うけばりたるぞにくきや」
――「主上の思召しに添って、わたしはおおけなくも藤壺の姫君に袖をうち交わしたことです。(藤の花に女二の宮を譬え、帝のお心にお添い申すために、およびもつかぬ婿とさせていただきました)」帝の婿君として、さも得意げなのが憎いではありませんか――

 帝も女二の宮の美しさをたたえたお歌が二首ほどありました。

 また、

「『世のつねのいろとも見えず雲居までたちのぼりけるふじなみの花』これや此の腹立つ大納言のなりけむ、と見ゆれ。かたへはひがごとにもやありけむ。かやうに、ことなるをかしきふしもなくのみぞあなりし」
――「宮中に生い立たれた藤の花(女二の宮)は、並々の色とも見えません。(帝に選ばれた薫は、何と果報者よ)」この歌は、あの立腹している按察使の大納言の作であったらしい。これらの歌は聞き間違いがあったかもしれませんが、格別面白い点のない歌ばかりだったとか――

「夜更くるままに、御遊びいとおもしろし。大将の君の「あなたふと」うたひ給へる声ぞ、かぎりなくめでたかりける。按察使も、昔すぐれ給へりし御声の名残りなれば、今もいとものものしくて、うちあはせ給へり」
――夜の更けるままに、管弦のお遊びはいよいよ佳境にはいり、薫大将の催馬楽の「安名尊(あなとうと)」をお謡いになるお声は、ことのほか美しいものでした。按察使大納言も、昔、音にきこえた美声の持ち主でしたので、今も朗々と薫大将の御謡いに合わせていらっしゃる――

「その夜さりなむ、宮まかでさせたてまつり給ひける。儀式いと心ことなり。上の女房さながら御送り仕うまつらせ給ひける」
――姫宮(女二の宮)はその夜、宮中から三条の宮(女三の宮と薫の御邸)へ退出なさいました。その儀式がまた格別ご立派で、帝付きの女房たちに、そっくりお供をおさせになります――

「廂の御車にて、廂なき糸毛三つ、黄金づくり六つ、ただの檳榔毛二十、網代二つ、童下仕えへ八人づつさぶらふに、また御迎へのいだし車どもに、本所の人々乗せてなむありける。御送りの上達部殿上人、禄など、いふかぎりなききよらをつくさせ給へり」
――(姫宮は)四方に廂のあるお車で、引き続いて廂のない糸毛の車三つ、金の金具を打った車六つ、普通の檳榔毛(びろうげ)の車二十、網代の車二つに、女房たちを乗せ、童と下仕えが八人ずつ付き添っています。また薫大将方からのお迎えには、出し衣(いだしぎぬ)の華やかな車に、三條の宮の女房たちが乗っています。お供の上達部や殿上人などには、禄として最上のものをお持たせになりました――

◆廂の車=から‐ぐるま 【唐車】

大型で、最も華美な様式の牛車(ぎっしゃ)。唐破風(からはふ)造りの屋根をつけて檳榔(びろう)の葉で葺(ふ)き、同じ葉を総(ふさ)にして庇(ひさし)・腰などに垂らしたもの。檳榔を染め糸に代えることもある。太上天皇・皇后・東宮・准后・親王や摂関などが晴れのときに用いた。唐庇(からびさし)の車。唐の車。


では11/5に。